バレンタインデーを明日に控えた三連休の最終日。ペンション澤樹の談話室兼食堂はキッチンから漂ってくる甘い香りに満たされていた。
 朝から換気扇フル稼働で対策しているものの、香りが流れていくのは完璧に阻止できていない。窓を開ければ少しくらいはましになるだろうけれど、真冬真っ只中な外気が雪崩れ込めば室温はかなり低くなってしまう。朝食後の現象とはいえ、立ち入り禁止エリアにできるわけはなく、廊下へと続く扉を閉めていても漏れてしまうのだ。三連休の間ずっと、通しての状態である。
 宿泊客は一様に不快な素振りを見せておらず、むしろ興味を持って尋ねてくれるのが救いだった。香りは間違えようもないチョコレートそのもので、今の時期にそれ、といえばバレンタインを誰もが連想するものらしい。
 からかってくるお客さんや素直に疑問をぶつけてくるお客さんも、チェックアウト時に趣旨を説明すると納得の面持ちが返ってくる。
 今ではすっかり恒例と化してしまった「ささやかなチョコのお土産」を、この日も那央はせっせと作成中だった。受け取るかどうかはお客さん任せにしているし、受け取って帰る人達は笑顔なので押し付けにはなっていない筈で。苦情が出ればただちに中止をするところなのだが、幸か不幸か入ったことは今のところない。
 引っ込みがつかなくなっている、は若干否めなくもないけれど、「また来年もね」などと言われてしまえばやる気も湧くってもので。
 量産できて簡単に作れるレシピを数年毎のローテーションとしている。今年は一人あたり2個のトリュフと決めた。同じ工程も三日目ともなれば慣れたもんで、仕上げ一歩手前段階に到達する作業時間は昨日よりも短縮されていた。この分だとゲレンデへと出発する時刻も早められそうだ。
「うっわ、もう勘弁して下さいよっ」
 談話室のソファに座っていた侑希が突如立ち上がった。
 顔を上げれば対面キッチンのこちら側からでも様子は窺えた。作業の手を止めず見遣ると、侑希はすでに逃げの態勢になっている。顔が赤くなっているのは暖炉の近くにいたからだろうか。
 床に敷かれたラグに直接座る松元の顔はソファの背に阻まれ見えないが、ソファに座っていた陽向の横顔は見える。苦笑しているのでたぶん、松元が何かからかうようなことを言ったのだろう。
 その松元の手が侑希の袖を引っ張り強引に座らせた。代わりにひょっこり顔だけを浮上させ、那央を呼ぶ。面白い物を発見した時の笑みが対面した。見えない位置で侑希が押さえつけられてる雰囲気だけが伝わってくる。
「こいつ、那央ちゃんに札幌行ってほしくないみたいだぞ」
 人を揶揄している時が一番活き活きしてるんじゃないだろうか、この人は。
「勝手な解釈すんな!」年上に対する態をかなぐり捨てて侑希が叫ぶ。「聞き流していいからねっ」
 くぐもった声を張る侑希の姿は今だ見えず。一体どんな恰好になっているのやら。兄弟のじゃれ合いみたいなものなので放置決定。
 後半は那央に向けてだと判断するものの、そもそも松元の発言の意味がよく判らないので返答のしようがない。取っ組み合いが始まったのか続きはなく置いてきぼりをくう。と、陽向と視線がかち合った。
「受験勉強の邪魔とかされなかった?」
 経緯説明から入ってくれるのだな、と受け取る。陽向は親切だ。
 前に宿泊して以来、陽向や松元とは定期的に連絡を取っていた。中路陽向という人物を知るほどに、その印象は強くなっていった。受験に必要な勉強も教えてもらったのは一度や二度じゃない。時間をいくら取られようと、根気よく付き合ってくれた。合格を手にするのに陽向の功績は大きい。
「邪魔…はされてな、」ふと思い浮かび言葉尻が切れた。「…くもない、ですね」
 明らかな邪魔とは言えなくて、曖昧な言い回しになってしまう。
 誕生日に要求されたプレゼントは、受験生にとってはそれなりの妨害と言えるかもしれない。無邪気ゆえの暴挙で故意があったとは思えないけれど。
「少なくとも応援はしてもらってなかった気がします」
「そこがつまり、家から出てってほしくない願望の表れってこと」
 呆れ返った陽向の物言いに、侑希の反駁が飛んだ。大学生二人は「はいはい」と適当にあしらっている。
 今回はサークル活動の一環ではなく、連休を利用して二人は泊まりに来ていた。おとついも昨日も四人でゲレンデに出掛けている。初日の夜には那央の合格祝いの会をささやかに開いてもらった。
「あとどれくらいかかりそう?手伝えることあればやるけど」
 キッチンに近づいて来ながら陽向は問い掛けた。いったん手元を確認して、顔を上げる。
「あとは冷やすだけなので大丈夫です。ぱぱっと片付けちゃいますね」
「洗い物やるよ」
 腕まくりを始めた陽向を止めるよりも早く、からがら逃げてきた侑希が陽向を脇に押し退けた。
「いいです。お客様にそんなことはさせられませんから」
 侑希の言い方には棘があった。目線で諌めてみたが当人が気づいたかどうかは定かではない。言おうとした台詞とだぶったので那央はとりあえず口を噤んだ。バットに並べたトリュフが転がってしまわないよう慎重な手つきで冷蔵庫に収める。
「俺の分ってあるの?」
 侑希はシンクに溜まった調理器具や食器をおおまかに分類する作業を始めた。洗い物籠に入れていくのに小さな物からいくと収まりがいいからで、案外こういう小さな配慮ができたりする。
 澤樹家で暮らすまでの生活が垣間見える部分だった。身に降りかかった色々なことは、よくも悪くも侑希を成長させてきた。
 同情は正しくない。そう思っていても心が締まる感覚は止めようがない。せめて表面に出さないよう気を張るくらいしか、那央にできることはなかった。
「ねーどうなん?」
 意識を慌てて引き寄せる。
「今日は多めに作ったから、」
「ええーっ。その他大勢と一緒?」大袈裟な不満声だ。
「嫌ならあげないだけですー」
 侑希の無邪気さは翳りを知らない。そのことにほっとする。
「嫌とかじゃないけど…」
 むくれた様相が作られただけのものだと判る程度には、侑希のことが近い存在になっていた。そのことは少し、胸の奥がむず痒く感じる。
「じゃあ那央ちゃんさ、俺ら先に準備しておくから」
「あ、はーい。すぐ行きます」
 侑希の失礼な態度に気を悪くした様子もなく、松元を促して出て行く陽向に良い子のお返事をしておいて、扉が閉まったのを確認するや食器洗浄中の侑希を横目で見遣る。
「……陽向さんって大人だよね」
 聞こえよがしにぼそり。
 耳ざとく反応した侑希の視線はさらっと流して、泡だらけの調理器具をすすぎにかかった。
 やはり別人なのだ、と思う。
 同じ癖は持っていても、その人の人間性を定める性質とでも呼ぶ部分で、陽向は別人なのだ。もちろん、頭ではちゃんと判っている。期待しているつもりはないし、安堵している自分も確かにいる。
 大丈夫。勘違いはしない。揺らいでない。陽向さんは、純平じゃない。あの時、図書館で言った気持ちに、嘘はない。
 確信を持って断言できる自分に、安心する。


◇◇◇


 休憩を挟みながら散々滑って満足した頃には、陽は傾きうっすらと暗くなりかけていた。車を暖める間、駐車場に隣接された建物内休憩コーナーに座る。あとは帰るだけ、という段になるといつも身体がどっしりと重みを増す気がする。
 隣に座る侑希が重力に負けたと言わんばかりの勢いでテーブルに突っ伏した。だらんと腕を伸ばし、だらしない恰好となっている。
「つっかれたぁ」
 片頬をテーブルにくっつけ、見るともなく視座を遠くに置いている。このまま溶けてしまいそうな脱力感を漂わせていた。
 毎年参加している札幌で行われるスノーボードのエアー大会の一次予選を通過し、残すは最終予選のみのところまできていた。
 四人でゲレンデに来たものの、侑希はほとんどコースを滑らず、ハーフパイプやジャンプ用に造られた雪山で練習していた。那央たち三人とは終始別行動だった、と言っても言いすぎではない。
「根詰めすぎじゃない?今更って言い方はあれだけど、うっかり怪我とかしたら元も子もないよ」
 最終予選に向けて調整している、と言うには気合充分すぎる印象だ。
「だぁってさぁ」ころんと顔を那央の側に向けると上目遣いになる。「最終、通りたいもん」
 落ち着かないのは想像に容易いけれど。
 くす、と笑い声を立てたのは陽向だった。「おねーさんみたいだね、那央ちゃんは。そこまで心配してあげなくても、本人だってちゃんと判ってるって」
 ぴくりと侑希の眉根が寄る。
「そーゆうつもりはないんですけどね」
 苦笑を漏らしつつも、なるほど傍目からだと自分の態はそう見えているのか、と感心に似た心地になる。あながち的外れな渾名でもなかったらしい。
「優勝したら賞金山分けな」
 本気とも冗談とも覚束無い口調で松元が言う。
「要求する根性がどうなんだ。よく恥ずかしげもなく言えるもんだな」
 毎度のことであっても律儀に陽向は突っ込みを入れた。この二人の遣り取りは、近くで見ていると面白い。二人とは大学は違うが同じ街に住んでいると思うと、新天地への気後れはかなり薄れている。
「まずは本選突破しなきゃですよね」
 当然のことを口にした那央の言葉を聞いて侑希が呻いた。
「うぁー…プレッシャー…」
「そんなんでいけんのかよ」
 笑い声を上げながら松元が侑希の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した時、女の子の声が侑希を呼んだ。くん付けだが、下の名前だ。おず、とした感じではあるが、呼び方には慣れた感じがある。
 一斉に向けられた四つの双眸に一瞬だけ腰をひかせ、踏み止まった。テーブル脇に立つのは、知らない顔だった。緊張しているのか、強張った表情で侑希だけを見つめている。
「…ども」侑希は上半身を起こし、軽く頭を下げた。「ここでバイトしてる子で、たまにオマケでその日の余りもんくれたりするんだ」と那央たちに紹介する。
 ほっとしたように女の子は笑みを覗かせた。「あの、予選突破、おめでとう」
「ありがと。どのへんで見てたの?」
 知り合い同士の会話が始まり、那央はじめ陽向も松元も置いてきぼりをくう。こっちはこっちで、と別の会話を始めるのもおかしいわけで、結果、二人の話を聞く恰好になってしまう。これは存外、気まずいものがある。喋っている二人はともかく、残された三人は互いに顔を見合わせた。
 一次予選は大通公園内に造られた特設ステージで雪祭り期間中に行われた。わざわざ見に行くとなると、よほどのエアー競技好きか、他に目当てがあるか、だ。おそらく後者、というのは、見合わせた三人での暗黙の了解となる。本人は気づいてるんだろうか、と横目で窺うも、そんな感じは見受けられなかった。
「こいつ目当て?」
 会話の隙間に突如割り込んだ松元は、親指で侑希を指し、女の子を見上げていた。
 恥ずかしげにしっかりと頷くのと、陽向の諌める言が重なった。無粋な質問などしなくても明白な状況なのに、当人だけはきょとんとしている。
 侑希って、実は鈍感?
「エアー見るのが好きなんだよね?」
 素で判っていない渦中人物が女の子に問い掛ける。鈍感認定、と心の中で呟いた。
「エアー、ねぇ」松元は意味ありげに声にした。
 おい、と諌め継続の陽向を丸無視だ。奇妙な空気感があって、ひどく居心地の悪さを覚える。こんなの、自分の知らないところでやってほしい。
 ますます顔を赤らめた女の子が、あたふたと声を発した。
「もっ…もともとは、友達が好きで、そのっ、去年誘われて初めて大会見に行って、」
 松元に対する返答なのだろう。律儀な性格が垣間見える。
「それで、あの…去年のテレビ放送なんかも録画してたの貸りたりして、」
 大会開催に合わせて放送している番組を指しているのだろう。本選は全国放送されるが、予選や選手紹介などはローカル局で放送される。
 どうやって侑希を知ったのか、を正直に説明している誠実さは彼女のいいところを表していた。言えば言うほど松元の餌食になりそうなものだが、彼女がそれを知る由も無く。
 初対面相手という松元の良識具合に期待するか、陽向の制止に期待しよう。こんな場面では同姓である自分は極力口を開かないのがいい。いきなり噛み付くタイプには見えないけれど、関わらずに済むならそれに越したことはない。
 自分の好きな人の傍に同姓がいるというのは、その人が好きな人から見てどういう位置にいる者であろうと、多かれ少なかれ妬ける対象になる。
 ぴり、とした痛みが、一瞬だけ胸を通り過ぎた。――なに、これ。
 もやもやとしたものが残る。居心地の悪さが引き起こしてるの?
「バイトはずっと?」
 話題変えを狙ったか、陽向が話し掛ける。まるで那央が口を閉ざしている理由を知ってるかのようだった。
 温厚な口調で問われ、女の子はほっとしたように強張った表情をほどいた。
「今シーズンからです。…その、ここをホームゲレンデにしてるって、聞いたので…」
 遠慮がちな話し方をするわりには、きっちりアピールしている。天然なのか故意なのか。そう過ぎってしまえば、少しむっとくる。そして、むっときたことに戸惑う。
 きょとんとしている侑希との温度差が滑稽に映った。
「侑希くんと知り合えるかなって、思ったりして…」
 やっと侑希にも伝わったらしい。驚きで目を見開く。まじまじと見つめる恰好になって、女の子の方も見つめ返していた。
 最初っから判りきってたことだけど、三人は邪魔者だ。端から除外もの扱いは面白くない。侑希から見えない位置に隠し持たれた、この時期言わずもがなの小さな紙袋の存在にも、面白くない心地が沸く。
 と、その紙袋が動き、那央の目の前を通過し、侑希へと差し出された。「これっ…一日早いんだけど…っ」
 明らかに侑希は戸惑っている。凝固したまま、カラフルな紙袋を凝視した。
「あ、あのっ、陽向さん。車あったまったと思いますっ?」
 口走った中身はずれたことではない。が、タイミングは思いっきり間違いだ。とにかく何か言わなければ、と衝撃が突き上げていた。
「那央ちゃーん?」暢気な松元の声が応対する。「今回は俺の車なんだけどー?何故に陽向に聞くよ?」
 指摘されて、自身が動揺していたのだと、気づく。原因が不明で、さらに動揺する。
「先行ってっかぁ」のんびりと松元が続け、
「車で待ってるな」陽向は侑希に言ってから、女の子に向かって微笑んだ。「ごゆっくり」
 陽向からの目配せを受け、申し合わせたようにして三人が立ち上がる。慌てて続こうとした侑希を、楽しそうに松元が制した。
「邪魔者は退散。ごゆっくり〜」
 縋るような目線を感じたけれど、知らんふりを決め込んで陽向と松元の背中を追った。




 板やビンディングについた雪を丁寧に払ったところで陽向がカバー掛けを手伝ってくれ、そのまま積み込んでくれた。松元の車は、人が四人乗ってもトランクに板やらブーツやら荷物を積めるほどに大きい四駆だ。
 礼を言い、座席に置いてある靴に履き替える為に車の側面へと移動した。自分の分も積み込んだ陽向も移動してきて、背後を通り過ぎ、助手席のドアを開ける。
「浮かない顔だね。気になる?」
 紐を解きにかかっていた動きが一瞬だけ止まる。すぐに動きを継続させ、屈んだ恰好のまま笑った。
「まさか」
 反射の返答だったのに、どことなく違和感があった。
「侑希はもてんのか?去年は何個もらってた?」
 トランク側からひょっこり顔だけを出した松元は、やっぱり楽しそうだ。
「正確な個数とかは判らないです」
「もらってたことはもらってたんだ?」
「……まぁ、そうですね」
 那央が知ってるのは二個だ。他にもあるなどと考えたこともなかったけれど、無かったということにはならない。
「ひけらかしてた?」
 質問の意図が判らない。判ってないのは那央だけのようで、陽向はまたもや諌める響きで松元の名前を呼んだ。
「自慢げでは…なかったですけど」
 侑希は那央が甘いものが好きなことを知っている。ラッピングをはずして、ブランド名が書かれているであろう蓋をはずした状態で「一緒に食べよう」と差し出されたのだ。もちろんあの時期の、ちゃんとしたチョコレートの意味くらい判っているのだから、最初は断っていた。最終的には侑希の粘り勝ちだ。
 深い意味のこもってないやつだってば。友チョコってやつだって。と、しつこいくらい念を押された。
「やっぱり、本命チョコだったり…したのかなぁ」
 独り言レベルの音量で思考が漏れた。
「申し訳なさそうだね?」
 うわ、拾われてた。恥ずかしい。陽向の柔らかい笑みが見つめてきて、観念して白状する。
「あたし、食べちゃったんですよね、一緒に。特別な想いが入ってるものだったかもしれないのに。自分だったら他の子となんて食べてほしくない…です」
 声がどんどん小さくなった。陽向は柔和さを深くした。
「真面目だね。気にすることないと、俺は思うけどな。無味乾燥な意見言えば、くれたもんはもらった人のものになるわけで、それをどうしようともらった人の自由なわけだし」
 歯切れ悪く首肯する。言ってることはごもっとも。かといって簡単には切り替えられない。納得してるようなしてないような那央の表情に陽向は小さく噴き出した。
「強奪したわけじゃないんでしょ?」
「んなっ…。す、するわけないじゃないですかっ」
 真っ向否定した直後、冗談だと気づく。ますます恥ずかしい。視線をわずかに逸らした。陽向の手が軽く頭に乗る。
「そんなとこが可愛いんだね、那央ちゃんは」
 撫でるように叩かれると兄の手を思い出す。那央を安心させてくれる手だ。
「あまり褒められてる気がしません…」
「褒めてる、褒めてる」
「うちのペンション、ナンパ禁止です」
 うち、を強調した、平坦な声が背後からした。陽向を睨みつけている、と表現できる目つきで侑希が口をへの字に曲げていた。
「失礼だな。ナンパなわけないだろ」
 心外極まれりな口調で返していても、陽向にはあしらっている感がある。
「告白だったのか?結果は?」
 さっそく喰い付くのはご多分に漏れず松元だ。
「断りましたよ」
 侑希は溜息と共に「当然です」と言わんばかりに吐き出した。
「ちゃっかりもらうもん、もらってるみたいだけどなー?」
 目敏く見つけられた後では慌てて背中に手を廻したって無駄な所作でしかない。バレバレなんだから隠すことでもないのに。
「断ったんだけど、受け取るだけ受け取ってって渡されたんです!そのまんま逃げられたら、追いかけてまで返すのもなんじゃないですか」
 弁解めいた語調だ。事実がその通りだったとしても、もらった現実に変わりは無い。言い訳しているみたいで嫌な気分になる。
「板かして」陽向が侑希のボードに手を伸ばした。「それ持ってたら積み込みづらいだろ?」
 親切する者と受ける者。普通であれば和やかな空気でもありそうなものなのに、二人の間には真逆のものが流れていた。




 夜空から雪が舞い降りる。足下からは踏みしめる度に引き締まった音が鳴いた。
 降雪量が増えれば明日は朝から除雪だな、どっちの順番だったっけ。と、天を仰いだ格好で那央はふと考えた。
「今夜は冷え込みそうだね」
 助手席に座る陽向が、那央と同じく空を見上げて言う。吐く息の白さが低温を如実に表していても陽向の語調は穏やかで寒さを感じさせない。
「すでに寒いです」那央は苦笑した。
 ずっと、自身の中にある不明瞭な感情を持て余していた。思考に蓋をしたくて見上げただけなのに、見透かされた気がしてばつが悪い。
 ゲレンデからペンションに戻り、チェックアウトをしている隙に、那央は手早くラッピングをした。それからエンジンかけっぱなしの車に乗り込んだ二人を見送りに駐車場まで出ていた。窓が開けられた助手席側に侑希と並んで立っている。
「札幌に着くの、遅くなっちゃいますね」
「帰っても寝るだけだし、今日中に着ければ問題無し」
 助手席の方へ身を乗り出す松元の語調は軽い。陽向もさして気にした風もなく頷いた。
「気をつけて。忘れ物とかないですか?」
「どうせすぐ会うし、一緒に引っ越してきてよ。うちのサークル、入るんだよね?」
 札幌出てからのことは特に話してはいなかった。陽向の確信めいた質問に松元も同意している。どうやら決定していることらしい。
「落ち着いたら連絡しますね」
「よければ引っ越しも手伝うから、言って」
 陽向の申し出は有り難く胸に留めておく。
「那央ちゃんの方が忘れてるもんないか?」
 松元が言って、那央の手のあたりを指した。渡すタイミングを失っていたトリュフだ。
「もらってくれますか」
「もちろん」
 それぞれの手に包みを乗せる。と、唐突に侑希が声をあげた。目線は包みに一直線だ。
「数多いっ」
「多くしたもん。当然だよ」
 つらっと回答する。予想通りの反応が可笑しい。
「賄賂です。うちのペンションをこれからもどうぞ御贔屓に、というのと、札幌行っても宜しくお願いします、ってことで」
「言われなくても」陽向は笑い、
「任せとけ」松元は企んでそうな顔を見せた。
 テールランプが見えなくなるまで見送り、くるりと方向転換した。冷え始めた身体を縮めながら玄関へと小走りする。
「バットに残ってなくなかった?」
 横に並んだ侑希が口を尖らす。
「よく見てるねー。全部包んじゃった」
 陽向たちのを多くしたのは、残りがあったから、というわけではない。日中にチェックアウトした宿泊客分は母親にラッピングをお願いしていたが、数量は念押しして守ってもらうようにした。三連休中楽しく過ごせたお礼を込めて、二人には多く渡したかったのだ。
「俺には無いってこと?」
 本当に残念そうに窺う態に心がくすぐられる。同時に意地悪心が刺激された。
「無理じいする気はないよ、あたし」
「要らないとか言ってないよ」
 こういうことで粘られるのは悪い気しないな。明日は別のを作ろうか。喜んでくれるかな。想像して内心綻んで、不意に浮かんだ光景に、またチクチクした違和感を憶える。持て余した感情が復活して、少し不愉快だった。
「みんなと同じは嫌だって言ったじゃない」
「嫌とは言ってないって」
 ちゃんとしたのもらったんだからいいじゃない、とはまるでヤキモチ妬いてるみたいだから口が裂けても絶対言わない、と堅く誓ったことは絶対に内緒だ。
 ほんの少しの必死さを滲ませて甘えるように粘る侑希を適当ぶって受け流す。
 明日別物作ったら、喜んでくれるかな?
 そうだといいな。と思ったことも、絶対に内緒。




[短編掲載中]