清涼な音色が城下町を抜けていく。
 夕暮れに染まる白亜の城が浮かび上がる『剣聖帝国ナラダ』の城下町の街角で、一人の少女を囲む輪ができていた。
 赤銅色の長い真っ直ぐな髪を風に揺らしながら、その愛らしい唇にあてられた笛から心地いい音が奏でられている。聞き入る子供達は一様に目蓋を閉じて、口元には笑みが浮かんでいた。
 あたたかな旋律。集まってくるのは子供ばかり。皆、少女と過ごす時間が好きだった。
 何曲か終え、余韻を残して音が止むと一人また一人と目を開けていく。目の前にいるのは鮮やかな赤銅の瞳を持つ者。夕焼け色に染まった美麗な顔が柔和に微笑む。
「今日はもう終わり?」
 勝気な瞳を持つ少年――マトゥーサがねだるような視線を投げ掛けた。隣に座るセトはパッと顔を上げるとマトゥーサを肘でつつく。
「駄目だよ、マトゥーサ。ミュウ姉は疲れてるんだし」
「だって、久し振りなんだ。もっと聴きたい。ねぇ、いいでしょ?」
 セトからミウカへ視線を移して笑顔を見せる。
 このところ、ナラダ国の領土内では魔物の出現が多く、不穏な動きに忙しく追われていた。ナラダが誇る騎士団だけでは対応しきれず、皇室付騎士団のミウカは勿論、コウキ、タキも討伐に借り出されている有様だった。その為、こうして城下町で子供達と顔を合わせるのは実に久し振りのことで、だがそれも数刻後の会議までの猶予しかなかった。
 ミウカは困ったように笑う。
 不満そうに頬を膨らませる子、仕方ないよねと息を吐く子、あと一曲だけとお願いする子。どの子も見知った子達。ミウカを見つけると嬉しそうに手を振りながら駆け寄ってきてくれる。
 この子達にとってミウカはミウカであり、宿命だとか史実だとか関係ない。大好きなミュウ姉、ただそれだけ。
 大人達の言うことなど関係ない。
 けれど、ミウカにとってはそうではない。関係ないと割り切れないのが現状で。
 気にしないようにしようとしても向けられる尖った言に、聞こえないふりをしていても突き刺さる悪意に、この自分を慕ってくれる子供達を晒したくなかった。
 一緒にいるところを見られるだけで不興顔を向けられる。それに気づくのが自分だけならいい。けれどそうはいかなかった。子供は大人が思うよりも敏感なものなのだ。
 あんな思いを味わうのは、自分だけでいい。
「あのね、ミュウ姉…」
 思い起こす度、言葉にし難い痛憤が疼く。しかめ面になっていたミウカはハッとして慌てて表情を平静なものにし、声を掛けてきたセトを見た。
「僕達は…ミュウ姉が好きだから、ね」
 照れてゴニョゴニョと話すセト。近づいてしゃがみ込んだミウカの顔がすぐ近くにあって、顔を赤く染めた。
「はっきり言えよなー。なに照れてんだよっ」
 パシッとセトの腕を叩く。押し退けるようにして前へと乗り出したマトゥーサはミウカを真っ直ぐ見つめた。
 本当に対照的な二人だな。内心で笑う。
 性格は真反対といっても過言ではない。が、いつも一緒にいる。何だかんだで気が合うのだろう。
 漫才のような二人の遣り取りに笑顔になったミウカを見て二人もつられる。気がつけば子供達みんながミウカを囲んで先程よりも小さな輪を作っていた。どの顔も、笑っている。
「なんだ?」
 ミウカは小首を傾げた。子供達の小さな手がミウカの服をぎゅっと掴む。離したくないのだと、まだ一緒にいたいのだと、言いたいのに我慢しているさまが伝わってくる。
「なにがあっても、僕達はミュウ姉の味方だから!」
「……え?」
「みんなミュウ姉が好きなんだからね!」
 なんでそんなキレ気味に言ってるのさ、と突っ込まれて笑いが起こる。笑顔の中にも真剣な色が見えて、目の奥が熱くなった。
「本気で…言ってるのか?」
「勿論!なんで?」
「吹聴されてるように、君達を洗脳しているのかもしれないぞ?この笛で」
 意地悪な顔をしてミウカはにじり寄る。素直に感情を、こんなあたたかい気持ちを真正面からぶつけられることに嬉しい反面照れ臭く、天邪鬼な態度をとってしまっていた。
 揶揄する口調に対して子供達はむっと口を尖らせた。冗談を言ったことにじゃなく、冗談でもそういうことを口にしたことに怒っている。
「洗脳なもんか!」
「そうだよ!僕達がミュウ姉の傍にいたいと思うのは、間違いなく僕達の意思なんだからね!」
 口々にされる言葉があまりにも直球で、真剣で、痛いほど嬉しかった。
 どんな表情をしているのか自身でも判らなくて、それを見られるのが恥ずかしくて、ミウカは俯いた。
 黙ってしまったミウカを心配して、それぞれが赤銅色の髪に隠れた顔を覗き込んでくる。
 満たされていられた。
 この中に包まれている時、その瞬間だけは、あたたかい気持ちになれた。
 ――護り抜きたいと、その度に心に願う。
「ミュウ姉?どっか痛いの?」
 セトよりもマトゥーサよりも幼い少女が無垢な声で問う。
 ふるふると首を振って、ついと顔を上げた。そこには清爽な笑顔があった。

「うん…、ありがとう。自分も、君達が大好きだ」




[短編掲載中]