肩に届くか届かない程度の長さの赤銅色。
 さらさらと流れるその細髪も、鍛錬には邪魔だからと少女は無造作に束ねてしまう。ピョコピョコと跳ね散らかっているのはいつものこと。優雅に風になびくまで伸ばしたこともない。
 きっと伸ばせば見事なものだろうに――

 日常のひとコマ――鍛錬の合間の休息時。晴れ渡った碧空の下で、赤銅の双子は剣を置いた。
 流れる汗もそのままに、ハルは草地へと寝転がる。
「ハルってば、汗くらい拭きなよ。風邪ひいても看病してやんないからね」
 寄り添うようにして座ったミウカに呆れた目線を向けられた。はいはい、と返事を返しながらも行動に移さずにいると、バサッとタオルを顔に投げ付けられる。
「こら、ミウカ!もうちょっと女の子らしく、」
 視界を覆ったそれを取り除きにかかった時、ミウカの「あっ」という声が重なった。
「なに?」
「ターニアだ!」
 ハルが上半身を起こした時にはすでに、妹は目標と定めた人物の方へと駆け出していた。束ねられた短い毛先が元気よく跳ねている。

 双子はどこか一線を引いている大人達に囲まれて育ってきた。
【赤銅】の宿命を背負っていることが彼等をそうさせるのだと自己解決してきたのだが、やはり心地のいい環境ではなかった。
 その中で、母親以外に隔たりなく接してくれるのがナラダ国専属占者ターニアだった。

 ミウカは満面の笑みで足を進め、少女を待ってくれるターニアに突進する勢いで駆けていった。
「ターニア!久し振りっ。ずっと忙しかったの!?」
「お久し振りです。しばらく篭りっ放しだったのですが、ようやと一段落着きました。お元気でしたか?」
 うん、と大きく頷いて、ミウカは彼女の裾を摘んだ。本当は抱きついてしまいだいのだが、万が一宰相である父に見つかってはターニアが叱られてしまう。
 少女の思考を読み取って、ターニアは微笑みと共に頭を優しく撫でた。
「ああ、ターニア様っ。ここにいらっしゃいましたか」
 女官が駆け寄ってきた。軽く息を弾ませて立ち止まる。
「どうかされましたか?」
「ええ、あの…。すみません。私あまりにも嬉しくて。早くお伝えしたかったものですから」
 疑問符を浮かべて見つめている少女とターニアの視線に気づいた途端、羞恥心が込み上げて女官は少し顔を赤らめた。
「どうしたのですか?」
 優しく諭す。ターニアは一緒にいるだけで周囲の者を落ち着かせる雰囲気を持っていた。
「願い事が叶ったのです!ターニア様のおかげです。どうしてもお礼を申し上げたくて…」
 ターニアは合点顔になり、ますます笑みを深くした。
「それは良かったですね。でもそれは私のおかげなどではないのですよ?貴女が努力した報いなのですから」
「ですが、願掛けをしたら本当にっ…」
「私は助言をしたまでです」
「いえ、ターニア様のおかげです。あとで改めて御礼に伺いますね!」
 仕事の途中ですのでこれで、と深々と頭を下げ、再度礼を述べてから走り去っていった。
 あとに残された二人はポカンとしたまま、去っていく背中が角を曲がって見えなくなるまで見送った。目を合わせ、同時に吹き出す。
「慌しいですね」
 常の調子に戻してターニアは言った。ちょいちょいと袖を引っ張られ「なんでしょう?」と見上げてくる赤銅の双眸を見つめる。
「願掛け、ってなに?」
 それはですね、と応じようとして、一瞬躊躇った。
 【赤銅】を背負う【呪いの双子】――広く浸透している口碑。
 だが実際は、何も知らされず、ただ宿命をまっとうせんとして、日々鍛錬に勤しんでいる純真無垢な存在。
 双子の父である宰相ヘルバオは内にも外にも厳しい人物だ。曲がったことを嫌い、現実的でないことを最も嫌う。
 ターニアは双子の教育係ではないが双子が彼女に――特にミウカが――懐いているのを知り、釘を刺しにきたことがある。
 不要な知識は一切与えるな、と。故に俗説の類を一切知らずにきている。
「ターニア?どうかした?」
 はっと意識を戻し、依然向けられている無邪気なまでの疑問符に笑みを向けた。
「いえ。なんでもありませんよ。願掛けとはですね」

 嬉しそうな顔をして戻ってくる妹を、ハルは中庭中央に枝葉を大きく広げる大木の幹にもたれ掛かり見守った。その笑顔を見て、久方振りにターニアに逢えたこと以上に何かを仕入れたのだと推測する。
「ハル!聞いて、ハルッ!」
「そんなに大きな声出さなくたって聞こえてるよ。なに?」
 冷静に返す。自分との温度差にぷうっと頬を膨らませながらも、ミウカは楽しそうだった。
「願掛けって知ってる?」
「神に頼み事をするんだろ。叶うまで好きな物を断ったりして」とあっさり。
「えええ!?なんで知ってんのぉ?」
 更に不満げになるも、同時に尊敬にも似た感情も垣間見えた。
「ミウカは誘惑に弱いから無理だよ」
「決め付けないでよっ。やってみなくちゃ判んないでしょー」
「やんなくても僕には結末が見える」
「また意地悪ばっか言う!無理じゃないよー、だ。今はまだ願掛けしたいまでのことがないだけだもん。本当にお願いしたいことがあれば、ちゃんと遣り遂げられるっ!」
「どうかなぁ」
 ハルはわざとらしく斜にミウカを見た。むっと眉を寄せはちきれんばかりに頬が膨らんでいる。
「だったらっ…ハルはどうなの!?」
 ムキになって喰って掛かるミウカは本当に可愛い。柔和に崩れそうになる表情を押し留め、平静を装った。
「僕?僕はそんなものに頼らない。自分の力で成し遂げるさ」
 じっと見つめられ、ハルは「なに?」と見つめ返した。てっきりむくれっ面が倍増するかと思っていたのだが、
「そういうハルってすごいなって思うけど、」
「うん?」
「……可愛げない」
「なんっ…だ、それ!そんな不確かなものに陶酔したって、現実的じゃないだろうっ?ミウカだってそういうの信じないじゃないか」
 思わずムキになってしまった。気持ちを引き戻す。
「うん、そうだけど。…じゃー、そんなものには頼らないでもいいけど、あたしには頼ってよね?」
 差し出された小指に自分のそれを重ねる。ぎゅっと握った指先の温もりがあたたかい。
「当然だろ」
 ミウカは嬉しそうに笑う。ハルも同じように笑顔を向けていたが、つと真顔に戻した。
「だって、僕ばっかり頼られるなんて、分が悪いじゃないか」
「えぇぇ!?なにそれっ」
 再びの膨れっ面に吹き出してしまった。
「冗談だよっ。って、叩くなっ!」
 防御するハルの顔は無邪気な笑顔を振りまく子供そのものだった。
 さて、と気を引き締めミウカは立ち上がった。
「鍛錬の続き、やろ」
 緩んでいた結び目を直そうと、髪の毛と悪戦苦闘する。やっと結べる程度の長さだ。肩に当たってもいないのにピョコンと撥ねていた。
「髪、伸ばさないの?女の子って皆伸ばしているよね」
「それは貴族とか皇族の方でしょ?綺麗に見せる為に必要なんだよ。あたしにはそれ、不要だもの」
 きっぱりとした言い方だ。羨望の類は含まれていない。つまりミウカにとって長髪は「どうでもいい」ことなのだ。
「別に、厳密に拘ることないんじゃないの?」
「あたしに必要なのは、剣術と体術。第一、髪が長いと邪魔くさいだけだもん」
「女の子らしい格好とか、したいと思わないの?」
 正装すべき場面でも、少女は一度とてドレスを着たことはない。ハルと同じものを好んで着るのだ。
「思わない」
「即答だね」
 軽く呆れてしまう。【赤銅】を背負う宿命に、嫌気が差したことはないのだろうか。
「ハルしつこいよ。長いの好きなの?」
「…そういうわけじゃないけど」
 ミウカはふと笑顔になった。
「こっちのが断然楽しいよ」
「こっち?」
「術を学んでいる時。だって、」
「うん?」
「ハルが一緒だから。一緒に並んでいられるから」
 数瞬呆気に取られ、それからハルは柔和に笑み崩れた。
 差し出されたミウカの手を取り立ち上がる。
「そうだな。ずっと、一緒にいこうな」
「うん」
 堅く堅く、二人は手を握り合った。
 伝わる互いの温もり――想い。確固たる絆を確かに感じていた。

 だが宿命は無情に降り注ぐ。引き裂かれ、運命の濁流に呑み込まれていった。


 時は流れ、幾度も相見える双子。
 五年分の想いを込め伸ばされた髪は、艶やかに鮮やかに少女を象徴する。兄の何気ない一言を記憶に刻んでいるのは自分だけかもしれない。だけどいつか気づくことを願う。
 長く大切に伸ばした赤銅に込められた想いと一緒に――




[短編掲載中]