望むモノになれるのならば、彼女を救う【術】になりたいと思った。
 過去も、過ちも、罪も、何もかも、総て払拭する術があるなら、知りたいと切に願った――


「母を殺めたのは自分だ。…ミウカはそう繰り返した。そこに起きた瞬間だけを見れば、間違いなくそうなるのだろう。だが、経緯を無視するのは誤りだ」
 コウキは悔しさに顔を歪ませ、眉間に深く皺を刻んだ。痛みは現在も、続いている。 
 五年前。たった数刻間の出来事が、彼女の運命を大きく狂わせた。
 想像を遥かに超えた現実に、何も言えなかった。莉哉の覚悟など、重圧の事実を前に、塵に等しい。本当は覚悟など、できてさえいなかったのかもしれない。
「何度違うと言っても耳を貸さない。ミウカに、重説は無駄だった」
 負の感情を総て受けようとする。独りで背負い込む理由など、どこにもないのに。
「あの日起きたこと自体、自分達が招いたことなのだと…責め続けている。自分の存在を拒否し続けている。自分達さえいなければ、スラは死ななかった。母は死ななかったのだと」
 雷鳴轟く中、小さな躯を更に小さくしていたミウカ。布に包まれ、震えて怯えていたミウカ。
 ごめんなさい、と――何度も、何度も繰り返していた…。
 依然コウキの腕の中で眠り続ける少女。そこだけが唯一、存在を許された場所なのだろうか。


◇◇◇


 ナラダへの帰国日が決定した前日、夜会が開かれることになった。
 陽の傾きに合わせるように、莉哉の表情も不安な色へと変化していく。その様子の一部始終を眺めているミウカはくすくすと、笑い続けていた。
 莉哉が不安になっているのは、着衣を着せられ髪を整えられ装飾品をつけられて、傀儡然として、されるがままなことに対してではない。身支度を整えた後にくる夜会への臨席を言い渡されたからだ。
 莉哉の周辺で細やかに動き回るシェファーナはいつになく楽しそうだった。彼女曰く「本当はミウカ様を盛装するのが夢なのですが」とのことなのだが。
 女官の仕事は相当きつい筈なのに、彼女は動いている時こそ生き生きとしている。
 ナラダの者で夜会に列席するのはミウカとシェファーナ以外だった。
 身分の低い者は会場へ足を踏み入れることを禁じられている。皇室付騎士団に所属しているとしても、ミウカには参加の権利はない。本人としても有難いことらしいが。
 それでは何故、身分のない莉哉が列席できるのか。
『波紋を投げ掛ける者』がナラダにとって重要な存在であるということは、城下街自警隊のラコスの態度をみれば判るように、ナラダと友好国にあるフィーゴスにとっても、莉哉は敬うべき存在だった。
 特例で参加を認められた人物ということになる。
 そんな裏事情を知らない当の本人は戸惑うばかりだった。
「なんで俺、出なきゃなんないわけ?」
 何度同じ質問を口にしただろうか。包み隠そうともせず、あからさまに不満顔だ。準備はほぼ終盤に近づいていた。満足気に全体姿を眺め最終チェックをしているシェファーナとの機嫌の差が可笑しい。
「何事も経験だろ。こっちの夜会はナラダとは比べものにならないくらい華やかだぞ?」
「興味ないよ」
「その格好、似合ってるじゃないか。そんな顔してたら、せっかくのイイ男が台無しだ」
「からかうなっ」
 着慣れない豪華な正装が恥ずかしいやら、茶化すミウカの態度が気に障るやら。耳まで赤くなりながら「くそっ…」と小さくぼやいた。
「冗談は抜きにして、ほんと似合ってる。な、シェファーナ?」
 近づいてきて、莉哉の襟元を正しながら見上げてくるミウカの瞳に鼓動が早鐘を打つ。慌ててあさっての方向に視線を泳がせた。視界の端にシェファーナが何度も頷いているのが見えた。
「よし、完了だな。では、行こうか」

 長い長い廊下をミウカと並んで歩いていた。このまま着かなければいいのにと半ば祈りながら。
 ミウカは莉哉を会場へと送った後、周辺の警護にあたる。肩を並べて歩く彼女はどこにいても内側から醸し出される空気を纏っている。背筋を伸ばし、臆する隙をみせない。ピンと線を張り詰めて。
 その姿は雄傑で、凛々しい。だが莉哉の目には、同時に脆弱にも映る。
 片付けがあるからとシェファーナを残し部屋を後にしてからずっと、無言だった。人気も無く、二人の足音だけが規則正しい速度で響いていた。
 そうしてしばらくして、足元を見つめて歩いていた莉哉は向かう先から聞こえてきた声に顔を上げた。
 立ち止まって莉哉を制したミウカは深々と頭を下げる。近づいてくる人物が立ち止まるまで体勢を変えない。莉哉もそれにならい会釈する。
 数名の女官を従え着飾った女性は二人の前で立ち止まった。長い髪を結わい上げ、下ろされた束はゆるやかなウエーブを描いている。香水の香りが鼻腔をくすぐった。動きの一つ一つが優雅そのもので、気品が溢れていた。
 ミウカはまだこれから変化していく美麗さを残しているのだとしたら、この佳人は完成された美しさを持っていた。
「貴方がリイヤ様?」
 一瞬とはいえ目を奪われていた自分を叱咤し、意識を引き締める。
「…ええ。そう、です」
「初めまして。私はスティアと申します。本日は臨席されるのですよね?」
 可憐で柔和な微笑み。誰もが見とれる容姿、雰囲気。だが何故か、莉哉は違和感を感じていた。明確な理由のない、違和感。
 戸惑いがちに頷いた莉哉に、ようやと顔を上げたミウカは「フィーゴスの皇女だよ」と紹介した。
 一瞬だけスティアの方を見、視線を合わせるとすぐに躯の方向を変えた。
「お久し振りです。先を急いでおりますので、これで」
 再び深くお辞儀をすると莉哉を促して歩き出した。まるで早くこの場を離れようとするように。
「コウキ様は、本当によくして下さってます」
 どれだけも離れない内にスティアは言い放った。丁寧で鈴が鳴るような声色なのに、どこか棘のある言い方だった。


[短編掲載中]