街へと捜索に出て二時間あまり。
 亜理紗に振り廻されっぱなしでついて廻っていた葵と琢巳は休憩を要請した。面白半分に同行していた琢巳も流石に疲れたらしい。
 亜理紗にしても引っ込みがつかなくなっていただけらしく、すんなり同意し、よく行くファーストフード店に落ち着いた。
「まじで有り得ないっ!見つけたらただじゃおかないよ!」
 激昂醒めやらぬ亜理紗はどん、とカップを乱暴においた。憤怒の方はといえば疲れとは同調していない。
「なぁ…」
 亜理紗を宥めにかかっていた葵共々ほったらかしにしていた琢巳は一点を見つめていた。見遣り、三人の視点が揃った瞬間、琢巳と葵は亜理紗を捕縛にかかる。
「早まんなよ、亜理紗」「しばちゃん、落ち着いて」
 葵と琢巳の声が揃い、一手に向けられた亜理紗は仰け反り不興顔になる。
「いくらなんでも飛び掛かってなんか行かないわよっ」
 反論しつつ、実際のところ、二人に掴まれてなければ今頃本多綾の前に仁王立ちしていただろう。
 店内は賑わいを見せているが、綾の声は切り取られたように聞こえてくる。座っている位置関係がいいらしい。
 店に入ってきた本多綾は友達数人と話すことに夢中で、葵達の近くを通り過ぎても気づいていなかった。当然葵達も不自然にならない程度で顔を隠すことはしていたのだが。
 そんなこんなで、幸か不幸か、本多綾グループの会話が筒抜け状態となっている。話題の中心は、名を伏せてはいても明白だった。
 友達の一人が驚きと、それを覆い込んでしまうほど興を含んだ声を気色ばませる。
「ちょ、ホントにやってたのー?冗談だと思ってた」
「現在進行形」
 本多綾の声には得意げな響きも含まれていた。
「沙月先輩の情報、間違いなかったね。しかも、アイツばかにしてる」
 亜理紗は憎らしげに呟く。アイツ、とは本多綾を指しているのだろう。
「先輩心配して調べてくれたんだな」
 想われてんだなー榊、と琢巳は妙なところに感心し、亜理紗に叩かれる。
「葵?」
「へあ?え、うん?」
 意識の舵を本多綾のいる方角にもっていかれていた葵は素でびっくりしていた。
 呼び掛ける前、亜理紗はその横顔に違和感のある表情をみつけてしまい、考えるよりも先に口を開いていた。
「ね、葵。あんたもしかして、」
 改めて思い出してみれば、沙月に話を聞いた時にも今と同じ違和感はあった。
 あの時は亜理紗自身の怒りが沸点を越え、葵の微妙な動きに気付かなかったけれど。亜理紗が問いたいことを予測してるのかいないのか、判然とはしなかったが葵が身構えていることは確かだった。
「もしかして」
 知ってたんじゃないの、と続けようとして、本多綾の声に妨害される。彼女は趣味の話でもするかのように、軽やかに、さも愉快そうに断言した。
「押し切られて付き合っちゃう程度なら、壊すの簡単かなって思って。ゲームみたいなもんよ。あんな天然天然した人に押し切られるなんて、たいしたことないだろーしね。実際、簡単にあたしの話信じちゃって、ばっかみたい」
 がたん、派手な音が葵達の座るテーブルと、その怒りの発生源が座るテーブルの周辺だけを静まり返らせた。
 ここにきて自分の実態がばれたことに、本多綾は一瞬だけしまったという顔を見せたが、すぐに開き直りの顔つきにとって変わる。
 葵はそんな本多綾をじっと見つめるだけだ。音を発した張本人である亜理紗は無言の空気に業を煮やし、ずいっと進み出る。
「人の気持ち試すようなことして、なにが面白いわけ!?」
 人を指差しちゃいけません、なんて幼い頃聞かされた躾なんて知ったこっちゃない、というくらい、潔い指し方をし、ぐりんと振り返る。次席の標的は葵だ。
「言いたい放題言われて腹立たないの!?」
「天然って、柴ちゃんがあたしに言うことだよね」
 当てられちゃってるのかな、なんて論点のずれたことを口にする。
「あのねぇっ、」「それにね、」葵と亜理紗の声がぶつかり、亜理紗が噤む。
 悲しげにも見える曖昧な笑みを口端に浮かべ葵は紡いだ。
「それに、釣り合いがとれるほど想われてる自信がないのは、事実なんだし。……でも」
 唇を引き結び、きっ、と本多綾と向かい合った。
「遥の厚意を踏みにじるのは許さない。だけど、貴女の想いが本当なら、話は別。気持ち判るから」
「あたしの想い…ですって?」
 葵の示す“想い”がなんであるか、気づいたのは本多綾だけで。ぎくりとして、当人は空とぼける。
「意味不明なこと言わないで」
 遥に対する好意が、兄弟に持つものではなく、葵と同種であると悟っていたのは、葵だけだった。
 沙月が葵達に知らせてくれた真実。それは本多綾の兄は生きている、ということだった。
 友達が本多綾の兄が通っていたという学校に通っているので調べるのは簡単だったよ、と沙月は言った。彼にしては珍しく、刺を含む語調だった。
 それを聞いた時、葵は驚かなかった。知っていたからだ。知った上で沈黙していたのだ。
 亜理紗を追い掛けて教室をあとにしようとした時、葵だけが呼び止められた。激昂した亜理紗がその時は気付けなかった違和感に、沙月は気付いていたからだ。 
『本当は知っていたの?』
 沙月の目を見ながら葵は数瞬迷い、無言で頷いた。
 予測していたとはいえ、図星を突いていたことに驚き紡ぐ言葉を失っていたが、それならばどうして、と目は問い掛けていた。
『知ってて、黙ってました。だって』
 葵が返した解答に、沙月が賛同できたかどうかは判然としない。葵は沙月との遣り取りを思い出しつつ、亜理紗と琢巳を見た。
「ごめんね、柴ちゃん。琢巳くん。あたし、知ってたんだ。沙月先輩が教えてくれたこと」
「知ってて放っておいたってこと!?一体何考えてんのよ!あんたはっ」
「うん。ごめんね。だけどね、柴ちゃん。あたし判るから、さ。自分の本気を判ってほしくて必死になるの、判るから」
 想いが届かないのなら、いっそのこと、消えてしまえばいいと思った。記憶喪失のふりして、遥への想いが消滅して。
 それが本物になればと願った。
「葵…」
 亜理紗は近いところで葵を見てきたから。彼女の気持ちが判ってしまったから。僅かに落ちた沈黙。その周辺だけが切り取られた空間を形成する。
「そいつは俺が悪かった。自信持っていーぞ。俺は葵をちゃんと見てるから」
 葵達の背後から現れたその人物は、ぽむと葵の頭に手を置き、するりと空間に入り込んできた。
「は、遥っ!?」
 そしてまた、空気が凝固する。
「悪かったな、葵」
 一斉に自分に注がれた視線を払拭するようにして、緩やかに笑み、再度謝る。
「え。遥どうして」
「沙月先輩に言われたんだ。それで捜してた」
 言われて初めて、額に薄っすらと浮かぶ汗に気づく。澄ました顔つきは繕っているだけなのだ。
「俺ってやっぱ鈍いんか?全く気づかんかったわ。とりあえず、そーゆうことなら俺が君の相手をする必要はないわけだ。じゃあな」
 葵を促し踵を返すと後方に向かってひらひらと片手を振る。数歩も進まぬうちに首だけで振り返ると、遥は本多綾を直線的に捉えた。今まで向けてきた柔らかさを微塵も含まない強い視線だ。
「あんま、人の彼女悪く言わないでくれよな。つか、二度と俺達の前に現れないでくんない?」
「遥っ…!」
 冷端な遥の物言いに葵は慌てて窘める。
 彼女が友達に真相として語ったことは、ある種の虚勢なのだ。先の葵の言葉を聞いていたなら、遥なら判っている筈なのに。
「ん?なんだよ、葵」
 本多綾とは百八十度異なる視線を向けられると詰まってしまう。そもそも、葵に、ここで本多綾の本心を暴露していい権利はない。
「あの、」
「葵。色々悪かった。葵がどう解釈してようと、俺はちゃんと向き合ってるつもりだぞ」
「押し切られたんじゃないの?その程度の気持ちなら、それなら、」
 本多綾は言葉を詰まらせる。
 もしも、を期待した。遥の葵に対する気持ちを揺るがすことができるのかもしれないと。
「残念だったな。んな適当な程度で誰かと付き合ったりしねーよ、俺は」
 きっぱり断言すると遥はもう本多綾を振り返ることはなかった。
 遥に引っ張られ、嬉しさと綾に対する心情とを複雑に絡ませ、けれど葵は遥の横顔を見つめるしかなかった。
「葵」
「へ?え、あ。うん?」
「不安になんなよ。自信持てって。俺はちゃんと葵をみてる」
 言い終わるや、すぐさま正面に顔を戻す。遥の頬に微かに上昇した熱が見えた。小さく「うん」と返し、繋いだ手に力を込めた。

 天秤はちゃんとバランスをとっている。らしい。




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