誰かを『好き』だって気持ちは、どう伝えたら『ほんと』だと位置づけられるものなのだろう。

 昼休み終了まで、あと三分。
 天気がよかったので四時限目終了のチャイムと共に弁当をかっ込み、教室からおさらばした紺野遥は、男友達数名と校庭へと繰り出していた。そんな昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り、クラスメイトで友人の西野琢巳と校舎内へと入る。教室へ向かって歩いていると、視界に姿を現した人物に、歩調を緩め近づいていった。相手はまだ、遥に気づいていない。
 T字路になった廊下の左から、両腕いっぱいに資料を抱えた本日の日直――榊葵が、荷物相手に悪戦苦闘しながら歩いていた。高く積み上げた数々の資料に正面の視界を遮られ、上半身を横にずらしながら、いびつな格好で進んでいる。
 そういや、昼休みに入った直後に世界史の大石先生に呼び出しされてたっけ、と教室を飛び出す時に背後で聞いたなと思い出す。
 日直の仕事イコール雑用係。通常二人一組で、一日の当番制だ。次の世界史授業で使用する資料運びを命ぜられたのだろう。半端ない資料の数々を葵は一人で運んでいた。
 ありゃ相当怒ってんな。
 葵との友達付き合いは中学の頃からだ。同じ高校に進み、同じクラスで隣の席で、加えて部活まで同じ。くされ縁が続いている。今更気を遣うような間柄ではなく、気楽に付き合える女友達だ。――少なくとも、遥にとっては。
 葵にとってもそうだった筈が、いつしか変化した。
「おっ。ぶっさいくな顔がいる」
 揶揄口調を葵に投げ付ける。
 猪突猛進さながらに突き進んでいた葵はビタリと立ち止まり、怒顔のまま遥の方を向いた。
「いやー、すっげー量だな。もう一人の日直は?」
「知らないよ。気づいた時には姿見えず」
 怒り心頭らしい。葵は一人で運んでいることに怒っているのではない。もちろん、資料が大量だとか重いとか、なんて理由でもない。
 役目をちゃんと果たさないから怒っているのだ。結果として、相手の都合がつかず一人で運ぶ羽目になったとしても、そこに理由が存在するのなら、葵は怒らない。
 こういうことには生真面目な性格の持ち主だ。
 だからあの時も、あんな嫌味を真に受けて、傷ついた。自分の責任だと、泣いた――
「大石先生の用事付け、無視したら後がメンドイからね」
 怒りながらも、うんざりしている。
「相変わらず容赦ねーな、大石の野郎。ま、とりあえず急げば?あと三分…や、あと二分」
「まじ!?あーもうっ、先行くわっ」
 まるっきり他人事――実際他人事ではあるのだが――の遥の言い方にカチンと来ていた様子の葵だったが、タイムリミットまでわずかの知らせに慌てる。
 運んだ資料は運ぶだけでは駄目なのだ。すぐに授業開始が可能なように、準備しておかなければいけない。
 よほど慌ててしまったらしく、抱えていた資料を落としそうになって――葵の両腕から総ての重量感が消えた。
 葵が懸命に抱えていた世界地図の巻物を肩に担ぎ、資料の詰まった箱をひょいと遥に取り上げられる。
「うぇっ…?」
「変な声出してんなや。運んでやるよ。女にはちと大変だ」
 カラになった自身の掌を見つめていた葵を置き去りに、遥はすたすたと歩き出した。数歩進んでも常の位置関係――遥の隣に並ばない葵を、顔だけで振り返る。
 葵は惚け顔で遥を見つめていた。怪訝な顔を見せ「行くぞ」と声を掛けると、取り残されていた葵は意識を取り戻し、駆け寄ってきた。追い付くのを待ってから、再び歩き出す。
「あ、りがと」
「おう。っつかさ、一人で行ったらこうなんの目に見えてんだから、誰か連れてけば良かったんじゃね?」
「あー…、だね。思いつかなかった」
「ぬけさく」
 馬鹿にした口調をとってみせていても、とても葵らしいと微笑ましくもなる。もっと要領よくいけばいいのにと、感じる場面はこれまでにも多々あった。
「うっさいなぁ。ほっとけ」
 ぶう、と膨れっ面を作るのは中学の頃と変わってない。
 葵を挟んで、遥とは反対側を並んで歩いていた琢巳は、前屈みになって遥に揶揄顔を見せた。
「しっかし遥はさ、なんだかんだで優しーよな。遂に、惚れたか?」
「え?ほんとっ?」
 弾かれたように自分を見た葵の視線が頬にあたる。
「馬鹿、言ってんじゃねぇ。そして葵。嬉しそうな顔してんじゃねぇよ」
 毎度のふりに、毎度の返しを平坦に返す。そして毎度同じように葵は「なんだ、残念」とヘコむ。
「あからさまに落胆してんな。たまたま視界に入って、帰る教室が一緒だから、ついでだよ。俺は誰にでも優しーの」
「うん。知ってる」どこか満足げに、葵は即答した。
「うわぁ、きしょ。変なオーラ出てるぞ、その笑顔」
 過去に何度も葵の笑顔は見てきたけれど、今はそれまでと違った種類の“想い”が、瞳に見え隠れしている。
 琢巳は遥の言葉を受けて葵の顔を覗き込む。
「なんでさ。可愛いだろーが。まさに恋する乙女的で」
「まじで言ってんの?鳥肌立たねぇ?だったら可愛い子の荷物持ち、お前がやれよ」
 即座に世界地図の巻物を琢巳に押し付けた。自分は箱だけになって持ち直す。
「ひどい言われようだね、あたしの笑顔。好きなもんは好きなんだ。滲み出ちゃうもんは仕方ないっしょ?」
 飄々と葵は告げる。
「お前そーゆうこと、恥ずかしげもなく言えんね?ほんとに俺を好きなわけ」
 今や日課のように「好き」だと口にする。軽口調だから本気にとっていいものか判断に困る。
 真剣だったのは一度きりで。遥は忘れていないが『忘れている』ことにしている。そこに触れるのを避けていた。
「もちろんですよ?この愛は本物ですとも」
「う、わぁ…。やめてくれ。聞いてるこっちが恥いわ!」
 背筋に冷たいものが走ったふりをして、げんなり顔を作った。こんな調子だから、自分もどこまで本気で対応すればいいのか戸惑う。
 そもそもずっと、仲の良い友達関係を確立してきたのに、今更『そういう対象』に切り替えられない。葵だってそうなのだと、思ってきたのだし。
 ずっとずっと『友達』なのだと、居心地のいい位置でいくのだと思ってた。仮に恋愛感情がどちらかに芽生えたとしても、通例は関係を壊したくないから告白できないとか、そういう展開になるものじゃないのか?
 異性として意識するなんて、考えられない。
「やめないよ?覚悟しといて」
「勘弁…」
 どこまで本気なのだろう?真意の見極めが難しい。
 葵が毎日ふざけた口調で“告白”する以外に、それまでとなんら変わりはなかったから、どことなく安心していた。
 結局はこのまま、続いていけるのだろうと。


[短編掲載中]