「あれ。葵じゃね?」
 遥の視線の先を追いかけた亜理紗も、沙月と並んで歩く葵の姿を確認する。琢巳はおちゃらけて、森で小鳥を捜す学者のように双眼鏡を持つ所作をとる。
 週末の土曜日。三人は暇を持て余し同士集まって、街中をぶらぶら散策していた。どこ行こうか、なんて相談をしていた時に、遥の視界に葵が入った。
 道路を挟んだ向こう側の歩道を、遥達の進行方向とは逆に進んでいる。こちらには気づいていない。
「ほんとだ。あ、そっか。映画って今日だったんだ」
 亜理紗はしげしげと観察するように眺めて、恍惚にも似た息を吐く。
「やっぱお似合い」
 遥は亜理紗の言葉を完全無視する。喧騒に紛れて自分には聞こえなかったと、素知らぬふりを決め込んだ。
「先輩でけーよな。頭一つ分、飛び出してんもん。俺もでっかくなりてぇ」
 琢巳は自身の頭上に手をかざす。すかさず亜理紗が不満げな顔を向けた。
「やめてよね。それ以上でかくなられたら、あたしの首が悲鳴あげちゃう」
「おめーがちっこいんだろー」
「あたしは平均。葵が別格なの!あれくらい身長あれば格好いいよね。見栄えする」
 二人をそっちのけで、葵と沙月に視線を送り続けていた遥はボソリと呟く。
「なぁ。沙月先輩、背縮んだとかねぇよな?」
「ったりまえだ」
 馬鹿言うなと呆れて突っ込む琢巳に向きもせず、遥はいたって真剣に問う。
「じゃあなんで、身長差そんなにないんだ?」
 葵は女子の平均より高いが、沙月も男子の平均よりずば抜けて高い。二人が並んでも結構な身長差が生まれる。それが殆どない。
「ミュールでも履いてんのよ」
 あっさり回答が返ってくる。存知顔で亜理紗は言った。
「なんそれ」
「は?真面目に言ってんの?」
 琢巳に本気で驚かれ、僅かに恥ずかしくなったのだが「知らねーよ」悪いか、と開き直る。
「ヒールのあるサンダルって言えば判る?」
 頭が痛いといった風にこめかみを押さえ、かぶりを振った亜理紗に便乗して、琢巳も大仰に呆れ返ってみせた。俺でも知ってんぞと付け加えて。
「うっせーな。履いてんの見たことねーし」
 いつもスニーカーやらベタ靴だ。
「うちらだけで出掛ける時は普通に履いてるよ。どーせ女だらけの中にいたら背高いの目立つんだし、だったら思いっ切り飛び出してやろーじゃない、って言ってた」
 琢巳は吹き出すと「榊らしーな」と笑った。
「でしょ。変なトコ潔いよね」
 一人だけむっとしている遥の肩に、のっしと琢巳は腕を乗せた。遥の不機嫌理由の代弁を、勝手に買って出る。
「ってことは、あれか。身長越しちゃったらお前が可哀想とか、思ってたんじゃねーの」
 不意に思い出す。
 葵に“告白”される度、ひどく恥ずかしくなって、誤魔化すのにいつも引き合いに小西彩を出した。身長差がないことを口にすると決まって、葵は「5センチの差は大きい」と口を尖らせていた。
琢巳はすっかり茶化しモードだ。遥は不機嫌をより濃くした。放っておくとエスカレートするのは目に見えている。道のど真ん中でそれは勘弁だと、亜理紗は睨み付ける遥と琢巳の間に入って制止をかける。
「違うよ。琢巳もやめときなって。…葵のはね、そんなんじゃないよ」




 アスファルトの上に、黒く細長い陰が二つ並んで伸びていた。足取りの鈍重さを表すように、だらけて見える伸び方だった。
「沙月先輩さ、」
 部活が終わり、学校を出て亜理紗と帰路についていた琢巳は、ついさっきまで雑談の連打を繰り出していた。ふと沈黙が落ち、口にしたのはこの単語だけで、継げなくなった。話題に振るべきか、ずっと逡巡していたのだ。
 心情を察してか、亜理紗は重量を含みそうになった空気を微かな笑音で解いた。
「部活の時のこと?」
「…そう。二人で話してたろ?」
 亜理紗の助け舟にほっとする。
「葵のね、誕生日のこと。ほら、うちら毎年集まってやってるじゃない?先輩、参加させてくれないか、って。場所提供するよって言ってた」
 葵と遥が現状況で今回はどうしよう、という話は二人の間では持ち上がっていた。仲直りさせるきっかけにやろうか、と方向性が固まりつつある時の、沙月の提案だった。
「どこ?」
「沙月先輩の家。葵の誕生日って土曜でしょ。その日の夜、沙月先輩の両親が留守なんだって」
「ふぅん…」
 琢巳は思案顔だ。
「なに?」
「いや。本当は二人きりでやりたいんじゃねーの、先輩さ」
「本心はね、その通り。ずばり言ってた」
 亜理紗も同じことを突っ込んで質問していた。沙月の顔が赤く染まったのを思い出して、可笑しくなる。その場では笑うわけにもいかず、堪えたのだけど。
 馬鹿にするとかではなく、素直で自然体な沙月に好印象を受けたのだ。
「もしも付き合えたなら、是非そうしたいって言ってたよ。でも今の段階ではその権利はないからね、だって。第一、緊張しちゃうし、互いに落ち着かないものになったら折角の誕生日が台無しになっちゃうから、とも言ってた」
 滑らかに挙げられた理由を聞き終えて、数秒琢巳は固まった。そして照れたように、それを誤魔化すように、顔を歪める。一言絞るように「きざくせぇ」と吐いた。
 続けざま「だけど、先輩らしい」と付け加える。
 琢巳の中で沙月は、プレーヤーとしての評価はもちろんのこと、人間性を好いていた。いちいち言葉にしないが、一目瞭然だ。
「一番には、葵を気遣ってのことだよね。気後れさせたくないし、気を遣う状況は作りたくない。でも当日は一緒に過ごして祝いたい。…なんだよね」
「いいんじゃね?確か先輩のマンションって防音設備完備のとこらしいから、騒げるしな。どうせやるなら、楽しくいける方がいい」
 そうだね、と亜理紗も同意し、大人数の方が遥と葵の為にもいいだろうと他の部員にも声を掛けることにしようか、という結論に達した。今度三人で計画練ろうと。
 陰はまだ、二人の行く先をいく。つと、亜理紗の声のトーンが落ちた。
「紺野はどうなの。葵のこと、意地張ってるようにしか見えないんだけど」
「気にしてんのは、間違いないな。絶対口にしねぇけど、後悔してるみたいだし、ずっと気に掛けているように、俺には見える」
「やっぱりそうかぁ」呆れと諦めの混ざった溜息が吐き出された。「これはもう、なにがなんでも会を開いて、二人で話させなきゃね。先輩には悪いけど」
 最早亜理紗の中で、本来の趣旨はそっちのけになっていた。


[短編掲載中]