おもむろに口を開いたかと思えば、唐突な質問に、戸惑う。七海の顔に浮ぶのは、やはり悪心の感じられない笑みだ。
 利用、とは会場内で朔が吹聴していた件だろう。柚乃は質問には答えず、隣にいる兄を見上げた。
「お兄ちゃんはあたしを利用したの?」
「……っ、そ…そうとられても仕方ないけど、俺は嘘は言ってない」
 一度だって柚乃を恋人だとは言わなかった。際どい言い廻しをしていたので、勘違いするように仕向けているのは明白だったけれど。
「利用しているつもりはなかった?」
 似たような問い掛けに朔は詰まる。真っ直ぐに自身を見上げる妹の視線が、責めているように感じられるのかもしれない。
「つもりもなにも。利用なんてしないよ」
 答えははっきりしているのだと、きっぱりと明言した。
「そう…」
 数秒考え込む柚乃が作り出した沈黙に誰もが黙る。つい、と七海の方を向き、にっこりと笑った。
「ということです」
「え?」
 柚乃が怒る、または悲しそうにするかと、兄弟は想定した。すっきりと微笑まれ、唖然としている。
「あたしも、利用されたなんて思ってません。受ける本人がどう思うか、じゃないですか?それに、喩えそうだったとしても、お兄ちゃんなら構わないです」
 そして今回、朔にその気はなかったのだから問題はない。
「呆れた。相当なブラコンね」
 七海は遠慮なく言い放ち、「でも、羨ましい」と笑う。
「よく言われます」
 柚乃も笑顔を返す。
「おどかすなよ、ゆん」朔は、ほう、と息を吐いた。
「寿命が縮まったみたいだね、兄さん」唖津はからかう。
 柚乃はその遣り取りの意味が判らず小首を傾げた。
「兄さんに利用するつもりはなかったけど、利用したと思われたかと、心配したんだよ」
 唖津の釈義に、柚乃は合点顔になった。
「お兄ちゃんね、そんなに気を遣わなくていいんだよ?あたしはもう、手を引かれないと歩けなかった小さな子供じゃないんだから」
 どの兄が本当の兄であっても、自分はそれを受け入れよう。そう決めた。どんな兄でも、柚乃の兄に代わりはないのだから。
 再会できて、一緒に時間を過ごせるようになって、それだけでも感謝しなければいけない。今以上を望んでは、ばちが当たる。
「ゆん、」
 ひどく沈んだ声に、どきりとする。
「迷惑…か?」
「え?」
 身構えていた分、その問い掛けは柚乃にとって突飛だった。
「俺はさ、そんな気を遣ってるつもりはなかったんだ。むしろ一緒に時間を過ごせるのが嬉しくて、」
「お、お兄ちゃん?」
 思わぬ展開にたじろぐ。
「ごめんな。俺…自己中すぎたか?」
「ち、…違うよっ」
 ひと廻りも歳の離れた兄が萎んださまは、柚乃を動揺させるには充分すぎる。
「あたしといる時のお兄ちゃんは昔のまんまのお兄ちゃんで、でも、パーティ会場ではまるで別人で…。だって、お兄ちゃんは汐見家で何年も過ごしてきてて、それはあたしの知らないお兄ちゃんで、本当のお兄ちゃんがそっちだとしたら、あたしといる時のお兄ちゃんには気を遣わせているのかな、って」
 動揺が、妙な焦燥を呼び、捲くし立てるが如く一気に吐き出していた。兄には成長していることを知ってもらいたかっただけなのに、これでは台無しだ。言い終えて、羞恥心が込み上げる。支離滅裂。自己嫌悪。
 柚乃の慌てっぷりに気圧され、ぽかんと朔は妹を眺めていたが、ふ、と笑音を零した。
「なに言ってんだよ」
「ごめんっ。今の無し!忘れてっ…」
 穴があったら入りたい。目を見ているのさえ恥ずかしく俯く。柚乃の頭に優しく大きな掌の感触が乗った。
「ゆん、」
 柔和な呼び掛けにさえ、到底応じられない。ぶんぶん、と首を振る。
「ほんと、お兄ちゃん。ごめん、忘れて」
「俺はね、ゆん。――ゆんといる時が一番、自分らしくいられるんだ」
 ぽむぽむ、と朔の手が頭を撫でる。懐かしい感触と、朔の言葉と。目の奥が熱くなる。
「――ほんと?」
「おにーちゃんが信じられないか?」
 朔が目線に合わせて屈み込んできて、ようやと柚乃も顔を上げた。
 幼き頃、まだ施設にいた頃、多くを過ごしたあの河原で、四つ葉のクローバーをくれた兄の笑顔と変わらぬ微笑が向けられていた。
 そうだよね。お兄ちゃんは、お兄ちゃんなんだよね。
 柚乃も笑みを返す。
「もちろん、信じられるよ」
 ――もう、疑ったりしないと、己に誓ったから。




[短編掲載中]