――これ、使って。
 おず、と差し出した自分の手は、己の意思ではない何かに操られているような感覚だった。手に糸でも捲きついていたなら、ああ自分は今操り人形なんだ、と納得してしまいそうになるくらいに、心地が上擦っていた。
 緊張と不安と焦燥が奇妙な調和で漂う空間にいて、自分も例外ではなく、独特の空気にあてられ気圧されていた。周囲に気を配れるほどの余裕は、皆無。
 なのに、ふと視界に入った姿に、意識を奪われた。
 高校の受験会場という、同年代だけが存在する空間にいて、彼の纏う空気が違って見えたのは、きっと錯覚。
 その錯覚に心を囚われ、気づいたら、声をかけていた。
 差し出している自身の掌には、予備に、と用意していた消しゴムが乗っていて、声をかけられた方は唐突な申し出に戸惑いを隠しきれずにいた。
 消しゴムから視線を移され、目が合った途端、顔面いっぱいで熱が弾けた。
 試験会場である教室で隣の席になったから、なんてことは理由にはならない。馴れ馴れしいと引かれただろうか、と羞恥心が込みあがる。
 試験と試験の合間の時間、最初は視界の端に慌てふためいている様子が入っただけだった。気に留めず、目の前の参考書に集中することが出来なくて。何気なく、と装って様子を窺い、どうやら消しゴムを捜しているのだと判明した時には、予備の消しゴムを引っ掴んでいた。
 ――あ、ご、ごめんね。無くて困ってるのかなって、勝手に思い込んじゃって…。
 下手な言い訳も思いつかず、上擦ったまま、言葉を発していた。
穴があったら真っ先に飛び込むであろう確信が満ちる。己が招いたこととはいえ、残りの教科を居た堪れない心地で受けなければいけないのか、と思うと逃げたくもなった。が、
 ――ありがとう。
 きょとんと自分を見つめていた瞳が、ふわり、と綻んだ。

 違う意味での緊張を上乗せしたのは、自分だけだったと思う。
 ――二人とも合格できたらいいね。
 だとか、
 ――残りの教科、お互い頑張ろうね。
 だとか、言葉を交わした。ような気がする。

 それが彼との、最初の出逢い。


[短編掲載中]