動くな、と言われて微動だにせずにいられる人間など、そうそういない。
 それは身体的なこと然り、心の想い然り。

 ちなみに、現在強いられているのは前者だった。
 北條智姫は内心で「動かずにいられるわけないじゃないか」などと文句を述べていた。が、実際声にしてそう反論しようものなら、智姫の髪を触っている百花の不機嫌が即刻落ちてくるので、内側に留めてある。
「あー、もうっ。ちょっと、智姫! 動かないでってば」
 さきほどから似たようなことを智姫の背後に立っている百花は叫んでいる。
 生徒会室の、会長にと割り当てられた机に座っている智姫同様、他の生徒会役員も慣れたもので、多少大きくなった声が発せられようと気にも留めていなかった。それ以前に、役員でもない百花が生徒会室に居座っていること自体を咎めることもない。
 執務をこなす智姫の髪をいじくっている百花は、ああでもないこうでもないと納得がいかない様子で、こうして簡易美容室が開始されてから智姫は幾度も髪型を変えている。
「これでも動かないようにしてるって。仕事してんだから限界はあるの。適当でいいよ。あとは帰るだけなんだし」
 百花は、むーと口を尖らせる。
 智姫の髪はさらさらのストレートだ。色を抜いたり染めたりしたことがないおかげか、コマーシャルに出れそうだね、と言われるくらいの艶は保てている。ただ、根っからの不器用さで、自身の髪型をセットするなどできず、毎朝登校直後に百花が髪をセットするのが習慣となった。
「あたしの方はいいからさ、先にあの子のやってあげたら?」
 髪型が崩れかけてる、と言って百花は智姫のセットにかかってしまい、元々約束していたであろう女友達に待ちぼうけを喰らわせている。
 百花は、校内のどこでも簡易美容室を開いていた。まだ専門学校に通っているわけではないので完全なる我流ではあるのだけれど、固定客はなかなかの数がいる。
 将来美容師になるための練習と言って、智姫はその練習台の筆頭だった。放課後に生徒会室で行なわれる美容室もどきは、いつの間にやら公知となっていた。
「だって、気になる〜!」
「こだわりを持つのはプロ意識っぽいけどさ、ちゃんと優先順位は守らないと、プロとは言えないんじゃない?」
 的を射ってやれば、ぐ、と詰まった。渋々了承し、ようやと智姫から離れる。と同時にドアが元気よく開いた。室内にいた誰もが戸口を見遣る。
「ちー、いるかー?」
 智姫を「ちー」と呼ぶのは、男友達では最上秀司だけだった。だから、ドアを開けた人物を秀司だと百花が判断するのは当然のことで。
 作業の手を止め、あれ? という顔をしている。他の生徒会役員も同様だった。
 その中で智姫だけが、据えた視線を戸口に向けていた。直後の展開が手に取るように想像できる。
 動作を再開した百花は浮んだ疑問を早速口にした。
「部活は?休み?」
 放課後になって一時間ほど経過した時間帯で、バスケ部に所属する秀司がこんな所に、しかも制服でいることは有り得ない状況だった。
 最上秀司は成績優秀者で、常に学年トップを保っている。首席で入試を通過し、入学式では代表挨拶をこなした。もっと上位の高校も狙えたのにこの学校を選んだ理由が、バスケで尊敬する先輩がいるから、だとか。それを聞いた百花は秀司に「バスケ馬鹿」と渾名をつけた。
「え、でも。今日は体育館、バスケ部がフル使用ですよ?」
 書記の子が体育館の使用表をチェックしながら言う。百花と同時に「あれ?」と浮べ、直後確認に動いた素早さは感嘆ものだけれど、学年が違うにも関わらず、百花と同様の疑問を持たれるほどに「バスケ馬鹿」っぷりが浸透しているのはどうなのだろう、と智姫は内だけで突っ込む。
 バスケ部と生徒会執務の終了が重なることが多いのが原因の一つではある。駅までの方向が同じなので集団で帰ることが多々あり、接触する機会もそれだけあるからだ。普段は沈着の形容詞を背負っている秀司も、ことバスケの話題になると熱がこもる。初めのうちはその豹変ぶりに呆気にとられていた者も、今では通常と捉えていた。
 不思議がる目線を心地よさそうに受け入室してくる人物を斜に見上げ、智姫は大袈裟に息を吐いた。
「そうやって、秀司の真似して、なにがしたいの?雅司」


[短編掲載中]