耳のすぐ傍で、シャクシャクと軽やかな音が奏でられていた。鋏が動く度、生徒会室内を駆け廻る。
 心地よく耳にしながら、穏やかだな、と思う。こんなにものんびりとした気分でいられるのは、いつ以来だったかな、と思い返せば、波乱の種を蒔いたのは自分だったと思い出し、思わず苦笑を零した。
「ん?どーしたの?ちーちゃん」
 目の前でちょこんとしゃがみ込み智姫を見上げる妹は、こうしているとだいぶ幼く見える。自分も同じ格好をしたらそう映るだろうか、と想像しようとして、失敗した。
 部活の真っ最中だというのに、詩姫は生徒会室にやってきた。百花が智姫の散髪をすると聞いて、何故か詩姫は興味津々だった。見たい、と言って、部活を抜け出してきたのだ。
 別段派手なパフォーマンスがあるわけでもない。散髪が始まって数分、劇的な変化が起こるわけでもないのだから戻りなよ、という智姫の言葉に素直に頷いたくせに、真逆な行動をとっている。このままだと座り込んでしまいそうだ。
「しーき。マネージャーさん。部活ほったらかしはまずいでしょー」と智姫が言えば、
「うん。戻るよ。あとちょっとしたら」と返ってくる。お返事だけは大変よろしい。
 作業に執心な百花は双子の会話には興味も示していない。さっきから発した言葉といえば、「動かないで」くらいなもの。髪が長かろうが短かろうが、言われる言葉は変わらない。
「ねー、ちーちゃん」
 我が妹は話し方も動きもほんわかしてるくせに意外と頑固だ。そして実は、なかなかの策略者ではなかろうか、と疑ってもいる。企てるだけ企てて、巧くいかないあたりが可愛げもあるけれど。
 同じことを繰り返し言ったところで暖簾に腕押しの気がしてならない。息を吐いて目顔で、聞く態勢はとったよ、と示す。
 姉の受諾ににっこり微笑んで返されれば、まぁいいか、となってしまうから笑顔の魔力というものは怖ろしい。
「髪伸ばすの? 長いの嫌いじゃないよね?」
「当たり前。伸ばすよ、長いの好きだもん」
 すかさず答えたのは百花だ。作業を開始してから単語以外に発してはおらず、双子の遣り取りにも気に留めず集中していたと思っていたのに、耳だけは傾けていたらしい。
 智姫に向けられた質問なのに、回答権を颯爽とかっさらっていった。
「いや、なんで君が答えんのよ」
 あくまで頭を動かさず突っ込む。ただでさえ短いのに手元狂ってざっくりいかれたら堪ったものではない。
 ばっさりショートにしてから初めてのカットだった。伸ばすにしろキープするにしろ切り揃えなければいけないのは判っていたけれど、ほんのちょっと伸びただけの時期では尚早ではないだろうか。まだ、伸びたというのがほとんど判らないくらいの時期なのだ。
 なんてことを当人には一応言ってみたのだけれど、見事にスルーされた。
「ここまで短いと楽しみ甲斐がないでしょ?」
 当然でしょ、という口振りだ。
「いやいや。だからね、なんで君の為に伸ばさなきゃならないわけ?」
 呆れた調子をぶつけたのと、だったら、と詩姫の声が重なる。
「シュウちゃんの為に、でいいじゃない」
 ころっと可愛く詩姫は言う。
「なっ…なんでそこに秀司なのよっ」
 鏡を拝まずとも己の顔面が真っ赤になったのが判って、必死に冷まそうと両手で顔を扇いだ。智姫の頭上に位置しているであろう百花の表情が、ニマーと歪んだのが容易に思い浮かべられ、げんなりもする。
 爆弾投下犯はといえば、相変わらずののんびり空気を背負ったまま、更なる投下をしてくる。天然なのかわざとなのか、最近では時折判らなくなることがある。
「シュウちゃんが髪の長い子好きだって知ったから伸ばしたんでしょ? あそこまで伸ばしたのって、初めてだもん。絶対そう」
 名探偵事件を解決しましたよ、くらいの得意満面で詩姫は断言する。
 図星すぎて、しかもそれをずっと知られていた事実に、言い訳めいたものすら出てこない。酸素を欲する魚の如く、口をパクパクさせるしかなかった。顔で弾けた熱は冷めそうにもない。
「へえぇぇ?」
 頭上すぐ近くから、含みある声が落ちてくる。百花に弱味を握られた気分だ。
「詩姫はさ、いつから気づいてたの?」
 誌姫には智姫の背後にいる百花の表情まで見えている筈なのに、その表情の語るところを全く意に介していない。百花に便乗して面白がるでも、これから先からかわれ続けるであろう姉を気の毒がる風でもなく、うん?と小首を傾げる。そもそも、爆弾発言をしてる張本人なのだ。後者は有り得ないか。
「智姫が最上弟を好きだってこと」
 ああ、と合点がいったように笑顔になる。これまでの流れでいけば質問の中身が判らないとは考えにくいのだけれど。装っているのだとしたら、なかなかに性格が悪い。
「んなことっ…どうでもいいじゃない!」
 むきになって話をへし折ってやろうと声高に割り込んでみたけれど、どうしてか詩姫のペースには勝てなかった。智姫に構わず、のんびりと回答を紡ぐ。
「消しゴムの件はあたしにして、ってお願いしてきた時から。ちーちゃんはこの人のこと、好きになるんだろうなぁって」
 いたってのんびりと、つらっと述べる。
 そうだよね?とにっこり笑みを向けられたら、もう、返す言葉もありません。
 穏やかな時間が訪れた、はたぶん錯覚だ。そう自覚せざるを得ないけれど、これくらいが自分には合っているのかもしれない。
 照れとか虚勢とか完全排除は難しそうだけれど、自分を想ってくれてる人達くらいには、胸をはって言える。ようになれるかもしれない。
 好きなものは好き、と。




[短編掲載中]