一人で考えたかった、に嘘はない。ないが、今になって思う。高輝に話していたならきっと、揺れた。自分ではどうにもできないほどに揺れて、違う答えを弾き出した。残る方を選んだ。
 無意識の内に、己の弱い部分を本能が悟っていたのだ、きっと。
 本気で環境の変化を望むなら、一人で決断しなければいけない。少なくとも、高輝にだけは言ってはいけない、と。会社の意向を一度受けてしまえば、個人の感情だけで覆せるものではなくなる。
 自ら追い込まなければ引きずられるところだった。そのことに気づき、苦笑せざるを得ない。
「楽しい話なんてしてないよ、更紗」
 かなり卑屈モードに入っているらしい。
「判ってる。あたしも楽しい会話をしてるつもりはないよ。――高輝さ、応援してくれないの」
「……するよ。する、けど」不承不承といった口振りだ。「…寂しいよ」
 ぽつりと言ったそれこそが、一番に知ってほしい本音だとしたら。
 親友冥利に尽きる、と喜べばいいのか。更紗の側も、高輝と同じ感情であるのなら。素直に嬉しいと喜べた。最良の言葉として想いを受け取れた。
 高輝にとって、自分はとても大切な存在で、形振り構わず引き留めたい対象で。さきほどの嵐を思えば、単なる自惚れと片付けることはできない。――でもそれは、更紗の欲したかたちじゃない。
 叶わないのなら。諦めるしかないのなら。
「応援してよ。高輝が応援してくれたら、あたし、すごい頑張れそうな気がする」
 前に進む為に、決めたのだ。逃げる為だけじゃない。立ち止まってしまわぬ為の決意だ。
「会社の命令だから行くわけじゃないんだよね」
「前もって打診してくれたんだよね。断っても今後に支障をきたすことはないって、言ってくれた。なかなか良心的な会社じゃない?知らない土地で暮らして仕事するってさ、不安もあるけどね。それ以上にわくわくしてる。自分がどこまでやれるのか。社長の人を見る目がどこまで確かなのか、確認してやろうと思って」
「前向きだね」
「当たり前でしょ。じゃなきゃ受けないよ、こんな荷の重いこと」
 高輝がほっとしたように肩の力を抜いた。
「応援はする。でも、送別会は出ないから。俺、いなくなることに賛成してないから」
「駄々っ子しない。あんまり周りに迷惑かけないでよ。海越えてまで苦情とか受けたくないからね。無視するけど」
「なにそれ。保護者じゃないんだから。第一、苦情なんてないじゃん」
「知らぬは本人ばかりなり」
 つらっと返すと、高輝はますますむくれた。
 後日、社内では営業部とデザイン部がそれぞれで送別会を開いてくれた。嬉しいことに社外からも多数誘いがあり、個人的にと少人数での開催もしてくれ、プライベートの友人も含めると、定時後のほとんどがそれらで埋まった。
 高輝は宣言通り、送別会は不参加だった。暁登と梨恵が幹事のものでさえ、頑として貫いた。日本での仕事もあと2週間を切った頃、初志貫徹を感心していたのを、見事に覆された。
 粗方の引き継ぎは完了しており、最後のややこしい案件を阪木と打ち合わせた後だ。デザイン部の部長に担当の割振りと進捗状況の一覧表を提出し、自部署に戻りかけたところで、高輝に呼び止められた。止められるなり、「更紗、送別会やろう」と至極真剣な顔で言われた。
 思い切り眉根を寄せ、素っ頓狂な声を上げた。「は?なに言ってんの」
「だから、送別会だよ。いつがいい?」
 南更紗の送別会には絶対参加しません宣言は、何故か翌日には社内中に知れ渡っていた。噂によると、楠木高輝が挫けるかどうか、密やかに賭けられていたとかいないとか。
「やるの前提とか、おかしいでしょ。しないって言ったじゃない」
 みな素知らぬふりを決め込んではいるが、聴覚だけはこちらに集中しているのが判った。聞き納めといった感じなのかもしれない。
「やるったら、やるの。――きちんと送り出したいんだ。ごめん、更紗。俺さ、応援するって言ったのに子供じみた真似して」
 今頃自覚したの?という驚きは当然口にしない。
「しなくていい。色んな人にいっぱいしてもらったし、まだあるし」
 幹事側が違えば「同じだから」とは言い難いけれど、受ける側は更紗一人なのだ。連日連夜ともなれば身体的にも疲労が溜まってきつつあった。加えて、気心知れた相手となると、改めては気恥ずかしいものがある。
「送別会する。空いてる日、教えて。俺、セッティングするから」
「いいってば。気持ちだけで充分、てことで」
「更紗、」
「しつこい」
 粘るな。必死になるな。どうして初志貫徹しないかな。
 うんざりした声音を作っていた。懸命に縋られると弱い。でも、じっくりと送り出されたくなんかない。
 鋭い視線に気圧されて一瞬だけ怯み、情けなく表情を崩した。
「更紗冷たい」
 誰の所為か。怒鳴りつけたいのを堪える。
「南、受けてやってくれ」
 見兼ねた部長が高輝を援護射撃する。
 更紗がばっさり切ってデザイン部を去った後の高輝が、どのような状態になるかは容易く想像がついた。下手をすると仕事に影響が出ることを危惧してのことなのだろう。汲めなくはない。
 ひとまず「判りました」と返事をし、部長に断りを入れて、高輝とミーティングルームへ移動した。
「あたし的にはほんと、気持ちだけでいいんだけどね」システム手帳を開き、高輝に向けた。「ご覧の通りなんだよ。びっしり詰まってるわけ」
 だから時間空けたくても空けられないんだよね、と言外に匂わす。真剣な顔で確認し、眉根を寄せていることから諦めてくれるかと期待したのだが。
「週末空いてる!」
 嬉々として笑顔を向けられた。頭を抱えたくなる。
「冗談でしょ。荷造りだって諸手続きだって色々あんの。週末は無理」
 直前でないと着手できない諸々も含め、やることはまだまだあるのだ。
「じゃあ転勤やめればいい」
「そこに戻るな」



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