この世で一番安堵できるぬくもりに、電波を介さない良尚の声に、余計泣きたくなった。
「迷惑がってないし、邪魔になんて思わないよ」
 良尚の両手が華保の左手を包み込む。長い指が動いて、するすると小指の上を移動する。不思議な思いで見つめ、手が離れて、そこにはピンキーリングが残されていた。
「これ…?」
「左の小指に指輪をすると願い事を成就させるって意味があるらしい。理学療法士になるって夢、実現しますように、ってことで」照れくさそうな声が耳元で囁く。くすぐったく、あたたかい。「姉貴みたいな、ってのには賛同し兼ねるけど」付け加え、笑う。
 良尚の腕を両手で掴む。離すものかと指先に力が入った。
「他にも、幸せを逃がさない、って意味もあるって聞いたことあるよ」
「そっか」
 知ってたのか、と益々恥ずかしそうに良尚は言った。
 華保を抱く腕が少し強くなって、良尚が肩口に顔を埋めてくる。吐息が首筋をくすぐった。
 しばらくそうしていた。互いの存在をしかと確かめるように、言葉ではなく、ぬくもりに身を委ねる。やがて、良尚が身じろぎした。
「俺、重くない?」
 深い吐息のあと、数秒おいて、良尚は呟いた。聞かれたくないのかと思えるほどの掠れた声だった。
「え…?あ、うん。この状態で体重かけられたら、重いと思うけど…」
「……」
「……え、あれ?良尚?」
 ぶは、と噴き出した息が、華保の髪を揺らした。
「え、なんで?笑うとこっ?」
 押さえ込みつつも笑う良尚がそれをようやと引っ込めるまでに数分は要したかもしれない。その間華保にできることといえば、むーと唇を尖らせるくらいで。
 やっぱり余裕なのは良尚だけだ。いつだって華保はただ一人の声に、仕草に、一喜一憂されられている。
 悔しい、と思ってしまったら、こうして抱き締められてるのも癪に思えてしまって、腕を外すと身体を反転させた。抗議めいた視線を受けても、良尚の表情は平常のそれに映る。
「だってさ、そーゆう意味じゃなくて」
 思い出したか、また噴き出してくっくっと押し込め笑い。
「意味判んない」
「むくれんなって。華保を潰すようなことするわけないだろ。俺が言ったのは、気持ちの重みの方。あー、そーゆう意味では潰してしまうってこともあるのか」
 勝手に一人で妙に納得されてもついていけない。そもそも、良尚がそんな風に思っていたこと自体が信じ難い。
「――ほんと、駄目なんだ」
 急速に温度を変えた声色に、たじろぐ。「え?」
 そっと華保の手をとり、包み込んだ。良尚の手は、震えていた。
「良尚?」
 寒いの、と問う前に、屈んだ良尚の顔が接近して、おでこ同士をこつんとぶつける。おまじないをする時の格好で、今それを欲しているのだろうかと考え巡らせている間に、小さく笑音を零した。少し、自嘲するような音。
「判る?手が震えるくらい、怖いんだ。駄目なんだよ、華保がいないと。別れんのかな、って、ずっと怖かった」
 懇願するような声が囁かれる。胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「こーゆうのってさ、重く感じる人だっているだろ?重みに耐え切れなくて去ってしまうかもしれない。だからちゃんとセーブしないと、とは思うんだけど、どうにもできてないってゆーか。で、いっつもびくびくしてる」
「びくびく?」
 普段の良尚のどこを見れば怯えていたというのだろうか。思い描こうとして、失敗する。
「判んなかった?」
「全然。というか、」
「うん?」
「そーゆうの、あたしだけだと思ってた」
「んなわけない。いったい、どこ見てたら、そう思うんだっての。もっと自信持っていいよ。華保以外には考えられないから。傍にいてくんなきゃ困る」
 大きな手に包まれている手を引き抜くと、不安げに目の前の双眸が揺れた。ゆっくりと笑み、今度は良尚の手を包み込む。おまじないをする時のように。
「大丈夫。傍にいる。……傍に、いさせてね」
 ほっとしたように良尚は柔和に笑む。自分の一言に、安心してくれる人がいる。そのことが嬉しい。
 握ったままの手を小さく引っ張った。
「おまじないの、恰好」
 再び引力を小さく込めた。言ってから、羞恥心が込み上げて、一直線に見つめてくる双眸から逸らさないことだけで精一杯となる。顔が熱い。暗さに紛れているのを祈るのみだ。
「呪いでもかけんの」
 素直に目蓋を降ろしても、冗談めかすことは忘れない。どうやら一人で照れてしまったのはばれてるらしい。精々取り繕って笑い返した。
「そうだよ。呪いかけんの。悪い虫つかないようにすんの」
 悪い、と喧嘩腰みたいな口調が出てしまう。良尚の口端は緩やかに持ち上がる。
 かかとを上げて、背伸びして、距離を埋めた。大好きな人を見つめて、愛しさに心を満たされるのを感じながら、ゆっくりと顔を近づけた。




[短編掲載中]