太腿あたりの風通しがよすぎて、ひどく落ち着かない。もぞもぞと身じろぎし、めいっぱいスカートの裾を引っ張ってみるも、明らかに綿百パーセントではない素材の布地は伸びてはくれない。そもそも借り物を着用しているので、あまり粗雑に扱うことはできなかった。
 大きく溜息をつく。全身を映し込んでも一人では余りある幅と身丈より高い大きさの鏡に映る自身の姿が、普段では絶対に有り得ない格好をしていて、自分ではなく見えた。
 メタリックホワイトを基調に、真っ赤な一本の太いラインが背中側から胸下を通過して斜めにスカートの裾まで引かれたデザインのワンピース。肩から腰までは身体のラインがぴったりと出る形で、おしりがぎりぎり隠れるほどしか丈のないスカート部分はフレアになっている。普通に歩くだけでも履いているショートパンツがしっかり顔を覗かせる。ショートパンツも足の付け根から申し訳程度にしか長さのないタイプなので、太腿は丸出しといっても大袈裟ではない。下着が見えなければいい、といった趣旨で作られたとしか思えないデザインだ。
 華保の隣で鼻歌なんかを奏でて髪型を整えている小春を、遠慮なく斜に見遣った。視線を感じてか、鏡越しに目線が合う。若干の棘が含まれていることに気づいたかどうかは判然としないが、小春は意地悪な笑みを口端に浮かべた。
「今更やりません、なんて、無責任なことは言わないよね?」
 鼻歌の延長が如く、上機嫌な声質だった。小春が貸し出された制服を気に入っているのは、言わずもがなだ。
「言わないけど…。でも、まさかこんな格好させられるとは思ってなかったし、カフェとか、そういう場所だと思ってた」
「詳細を確認しなかった君が悪い」
 まさしく仰る通り。それを言われたらぐうの音も出せないのだけど。抗議を考えている間に唇が尖ってしまった。
 小春に任せっきりで詳しく聞かずに飛びついたのは華保が悪い。それはちゃんと自覚している。だからといって、普段の性格を知った上で今回のようなアルバイトを紹介してくる小春もいかがなものか、と思う。
「たまには違う自分を愉しむっていうのも有りじゃない?髪型、まとめた方がいいよ。やったげる」
 小春は自身の髪型に満足いったように頷き、華保の返事も待たず肩を掴むと近くにあった椅子に座らせた。髪を高い位置で束ねようとブラシで集めていく。
 座ればますます足が露わになるのが落ち着かず、小春以外の視線が無いのは承知で裾を伸ばしてみる。
「気にしすぎ」小春は笑う。「自分が気にするほど他人は気にしてないって。堂々としてればいいんだって」
「簡単に言うよね…」
 竹を割ったような性格は、時々羨ましくもあり、時々ついていけなくて戸惑う。
「華保はもっと自分に自信を持ちなさい、っての。充分可愛いんだから。どうするー?ナンパとかされちゃったら」
「さ、されるわけないじゃない!」
 馬鹿正直に反応するから、からかわれるのだ。と判っていても、とっさの行動なんてこんなもの。
「されても関係無いかー。恰好よすぎだもんね、彼氏。どんな男も霞んで見えちゃう」
「小春ちゃんっ」
 鏡越しに睨んでも当の小春は何処吹く風。
「できた」
 ぽんと頭を叩かれ、ポニーテールが完成していた。
「あ、りがと。…ね、他に制服ってないのかな。パンツスタイルとか、せめて膝丈くらいの、」
「観念なさい」
 ぴしっと遮られる。直後、ノックの音。小春が応え、ドアの隙間から顔を出したのはアルバイトの指導管理を担当している人だった。短期アルバイトが入ることは慣れているのか、挨拶の直後にはテキパキと指示を出され、着替えが終わる頃にまた来るから、と風のように去っていった。今日と明日、彼から仕事を教わることになる。
「着替え完了したみたいだね。もうすぐ時間だけど準備オーケー?」小春と華保を交互に見て、華保に視線を合わせる。正確には、脚に。「それ、外してね」
 みっともないから、とは言わなかったけれど、それまで浮かべていた笑顔が瞬間消えたことで容易に知れる。
「ちょっと待って下さい。華保のこれは、」
「いいよ、小春ちゃん」
 でも、と言い差す小春を目配せで制す。足元はニーソックス着用とのことで支給されているのだが、下にしようが上からつけようが変だよな、とは想像していたのだ。
「サポーターは合わないな、って思ってたところだから」
 留まれば小春に食いつかれると察知するが早く、「よろしく」と残しそそくさと行ってしまう。閉ざされたドアを睨みつける小春にソックスとスニーカーを差し出す。
「急ご」
「華保…」
 言い足りなさそうな小春に笑顔を向ける。こうして心配してくれる人が一緒にバイトをするというのは心強い。小春が持ってきてくれたバイトを、小春自身もすると知って、詳細を確かめることなく「やる」と言った理由はそこにある。いくら短期とはいえ、バイト経験の無い華保には不安な領域で。
 勉強が忙しくてもできるだけバイトはした方がいい。社会に出る為の準備、勉強と思えば、ちょっとばかりきつくてもやるべきだ。とは、学校の先生の持論だ。
 もっともだと思う。本末転倒にならぬ範囲でやれ、というのには頷ける。が、実際のところ、勉強にあてる時間を削るわけにもいかず、勉強しなくてもスイスイ頭に入るような才能もなく、そちらに手を廻すことができずにきていた。
 短期でなるべく稼げて怪しくないところない?と小春に縋りついたのは、情報雑誌を数冊、隅から隅まで目を皿にして捜した結果だった。世の中そう都合のいい仕事などあるわけがない。小春に尋ねたのは、以前話の中で短期でそこそこ稼いだことがある、と言っていたからだった。
 時間的に余裕があったわけでも、勉強に余裕ができたわけでもない。だけど、やりたかった。
 自分で働いたお金で、お返しがしたかった。左小指の指輪の。
 だからもちろん、良尚には内緒だ。期間中は「学校が忙しいから会えない」と言った。大きく解釈すれば嘘ではない、と自分に言い訳して、心苦しさを見て見ぬふりした。
 学校ならしょーがないよな、あんま無茶すんなよ、と疑い皆無な瞳を向けられ、良心は痛んだけれど、やっぱり見て見ぬふりをした。

 女は度胸、と、いまいちずれた気合いを小春に入れられ、控え室にとあてられていたプレハブを出る。二日間だけのユニフォームに身を包んでいた。歩く度にやっぱり足元が気になって仕方なかったけれど、前行く小春の堂々とした歩き姿に、華保も背筋を伸ばした。
 わ、と大きくなった喧騒に、一瞬怯む。夜だというのに臨時で備えられた照明が煌々と夜空の闇と星を隠していた。外気に漂う芳香の匂いは濃い。このままでいれば香りだけで酔っ払ってしまいそうだ。春の懇親会を思い出し、正確にはお酒に呑まれた後の記憶は残っていないのだけど、苦い心地になる。風がほどよく吹いて満ち溢れている香りをさらってくれることを祈るしかない。
 メイン広場に面するように設置されたプレハブは、さきほどまで華保がいたそれとは趣きが違っていた。簡易調理場を備えた、所謂屋台造りで、揚げ物特有の香ばしい匂いがした。プレハブの横まで行くと、広場に置かれた長テーブルとパイプ椅子に座る人の多さが視界を埋める。
 外で飲むお酒はそれだけで美味しさ倍増なのか、決して座り心地がいいとはいえないパイプ椅子に座り、陽気に談笑する顔が無数にあった。
 芝生や花壇やベンチがある、公園とも通りとも言える場所で、注文をとって、飲み物とか食べ物を運ぶ仕事。これが小春から聞かされていたバイトの内容だ。
 カフェだと思い込んでしまい、あまつさえ、ちゃんと確認しなかった華保に責任はあるかもしれないが、よもやアルコールに極端に弱いと知っている小春の紹介するバイトが、ビアガーデンとは思わなかった。
 小春に言えば「華保が飲むわけじゃないんだから」と言われるのが目に見えているので黙ってはいるけれど。
 バイト管理者の姿を認め、近づいていく。
「覚悟は決めた?」
 周囲の雰囲気に負けないくらいの陽気さで小春は話しかけてくる。
「大袈裟な。腹は括ったけどね。やるって言ったのは自分だし」
 それに、お金はやっぱりほしいし。とは飲み込む。小春は満足そうに笑った。その笑顔が不敵なものに変化した、と思ったら、顔を近づけて耳打ちしてくる。
「あたしたちの年齢、二十歳ってことになってるから」
「え?」
「じゃないと、深夜時間帯までバイトできないの。遅い時間の方が時給いいんだから」
 言わんとしたいことは理解できるが、それって年齢詐称というのではないだろうか。ただ、ここで苦言を呈したところで今更なのも事実で。
 観念して息をつく。それを了承ととったか、小春はますます満足げな笑顔で華保の腕を引っ張った。
 そうして始まったバイト初日は、瞬く間に終わった。手順を覚えながら慣れない接客を必死にこなしていたら終了した、という具合で。
 途中数度の短い休憩を挟みつつとはいえ、更衣室で着替える頃には足が棒になっていた。着替えを終えて椅子に座ると一気に身体の重量が増した気がして、しばらくは動けなくなりそうな予感がした。
「華保」同じように隣に座ったいた小春は気遣わしげな声を出す。「足、大丈夫?」
 まるで小春に非があるような面持ちだ。無意識に伸ばしかけていた手を、それと悟られぬよう気を配って引っ込めた。
「大丈夫。意外と平気なもんだよね」
 一度は引っ込めた手を膝まで伸ばし、さする為ではなく軽く叩いた。鈍痛が続いていたものの、しゃがみ込む事態にはならなかった。スニーカーだったのが幸いだった。
 憂慮を拭い去れないままの小春の肩を少し強めに叩く。
「みんな酔っ払ってて、人を観察してると面白いよね。このバイト、紹介してもらって良かったって、思ったよ」
 華保、と呼んだきり言葉に詰まる小春を差し置いて笑顔を向けた。
「明日も頑張ろうね」


◇◇◇


 仕事内容的には覚えることはそう多くはなく、二日目は余所行き用笑顔にも余裕ができた。
 昨夜の数時間で蓄えられた膝への疲労は翌日になっても若干残ってはいたけれど、仕事に集中していれば気にならない程度だった。
 開き直りの境地か単なる慣れか、昨日ほどの抵抗を覚えずユニフォームを纏い、会場内を動き回っていた。
 数時間が過ぎた頃、よく知った声が素っ頓狂な音程で華保の名前を呼び、現実逃避の為に幻聴を疑った。きっと、酒気が濃い所為だ。酔っ払っちゃったんだ、と。
 背後からの声に無反応を決め込み、動き出そうとしたところで、ちょうどこちらに向かってきていた小春が華保の背後に視線を置いた。明らかに「知り合いを見つけた」という表情になる。
 華保が目配せするより早く、小春が駆け寄ってきた。
「華保っ」何故か小春は嬉しそうな顔だ。「後ろ。彼氏いるよ!」
 やっぱりそうか、と苦いものが込み上げた。幻聴じゃなかった。
「呼んだの?」
「呼んでない…」
 嬉々とする小春とは雲泥の、困惑した弱々しい声になってしまった。それで小春にも華保の心境を悟ってほしかったのだけど巧く伝わってくれない。
 幻で無く現実であるならば無視を貫くわけにもいかない。良尚だって驚いた声を出していたのだから、苦い偶然としか言い様がない。
 平常心、を唱えつつ振り返る。ものすごく引き攣っているのが自分でも判った。呆気にとられた表情に対面したのは僅かに一秒ほど。すぐさま噴き出された。よほどの面構えになっていたらしい。
「ひどっ…。笑うなんてひどいっ」
 嘘を吐かれた事実に思い至らせまいと出た声は、非常にわざとらしく響いた。口を開けば開くほど自ら墓穴を掘り進めそうだ。
 良尚は一人ではなかった。同じ大学の友人なのだろう。華保には見知った顔がなかったので部活の方ではないらしい。男ばかりが小さな集団を作っていた。
「この子が彼女?」
 良尚の背後からひょいと顔を出したのも、やっぱり知らない顔で。「まじで?」だの「彼女っ?」だの、興味津々に次から次へと顔が湧き出てきても、高校時代から知る屈託無い笑顔は無い。
 自分が犯した配慮の無さが招いた結末に、胸が締め付けられる。公園で話したのを最後に、彼とは一切の交流が消えていた。
 良尚と一緒にいない現実が、更に華保を打ちのめす。
「ええいっ。煩い!手ぇ出すなよっ」
 小虫を払うが如く良尚は煩わしそうにした。感嘆めいた「おおー」だの「可愛い」だのは単なる社交辞令なのに。まっとうに牽制してくれても居た堪れなくなるだけだ。
「呑みにきたの?未成年の飲酒は禁じられてますが?」
 小春にその意図は無かっただろうが、まさに天の助け。露骨になろうが大きく頷いた。
 数名が一斉に人差し指を立て「しー!!」と迫る。集団で同じ所作をさせるとなかなかの迫力だ。
 小春と揃って気圧されていると、集団の後方から集団に呼びかける声が上がった。喧騒に紛れ気味でも、すぐに判った。声の主が浮かび、鼻の奥がつんと痛くなる。
 良尚との友情が壊れていなかった事実に安堵すると同時に、胸が軋む。華保には合わせる顔などない。
 手を挙げて良尚達を呼ぶ声を振り切るように視線を転じた。そのちょうど、向けた視線の先にウエイトレスを呼ぶ仕草が見えた。
「小春ちゃん、仕事だ。行ってくるね。――じゃあね、良尚っ」
 そそくさと場を離れる。こんなばればれな動きでは不審に感じるだろうけれど、取り繕うだけの余裕はなかった。

 ビアガーデンは各ビール会社がエリアを分けて開催していた。その会社ごとにユニフォームが違い、小春曰く、華保達が着用しているのは人気があるという。デザインといい、どうにも邪な理由が存在しているようにしか思えないが、他と比べて混雑具合から見ても狙いは成功しているとは言える。
 小春があそこまで堂々としていられるのは、気に入っているから故だとこの二日間で確信を得ていた。少しでいいから分けてほしいと願ったのは内緒だ。
 結局、良尚達は華保がいるエリアに席をとってしまった。大学での仲間ともなれば成人している人もいるのだろう。良尚含む数名はソフトドリンクにしているが、未成年でお酒を飲んでいる人がいるとして、ばれた時を考えると気持ちが落ち着かなかった。
 良尚の向かいには入沢が座っていた。ちょうど華保が待機する立ち位置に身体の正面が向いているのは良尚で、入沢が振り向くことはなかった。背中しか見えない入沢は、仲間内で同じタイミングで笑い、盛り上げ役が如く喋っていた。表情は見えない。
 視線がかち合わないことに安心している自分は、確実にいた。
 ほんと、嫌んなる…。
 そっと溜息を吐く。最後に見た入沢の表情が浮かんで、もう見られない笑顔を思い出して、目頭が熱くなった。
 ぽむ、と肩に手を置かれ、大仰に揺らしてしまった。仰天した顔で固まってる小春が立っていて、言い訳が口を出る前に「休憩だよ。入っといで」と苦笑された。
 なんだかバツが悪くて逃げるようにして調理用コンテナの裏手に廻った。あと数時間、やり過ごせるだろうか。小春はきっと、華保の様子がおかしいことに気づいている。良尚はその原因にも気づいている。
 入沢が一度も華保を見ないのは、きっと意図的だ。嫌いになった相手を視界に入れるのも嫌だ、ということなのだ。
 一人になって誰の目も気にしなくていい状況になったとたん、鬱々とした己の思考に囚われる。そして、傷ついている自分に気づき、嫌悪が込み上げた。
 人を傷つけた代償を甘んじて受け入れきれていない。
 眩暈がしてしゃがみ込みそうになった時、名を呼ばれた。遠慮がちに、華保が知るどの時にも当て嵌まらない、距離を感じさせる声音だった。
 俯いていた顔を上げることができなかった。反応を示すこともできず、泣きそうになるのを必死に堪えるしかなかった。
 舞阪、と、今度は少し和らいだ声で呼ばれた。それで、相手も緊張しているのだと判った。
 公園で別れてから一ヶ月ほどしか経っていない。けれど、知り合ってから顔を合わせていた頻度を鑑みれば、ひどく懐かしいとさえ感じられた。
 唇を引き結び、顔を上げた。傍に立っている入沢は、無表情でもなく、怒ってるでもなく、真面目な顔つきだった。
 息を止めていたことに気づき、ゆっくりと呼吸した。自分が今、どんな表情でいるかなんて、想像もつかない。また呼吸を忘れそうになって、対峙する入沢がふっと笑って、呆気にとられる。
「久しぶり」
 屈託無い笑顔は、確かに以前の入沢のままで。戸惑って、見つめ返すしかなかった。
「休憩中ごめんな。少し時間もらっていい?」
 何事もなかった風に話し掛けられて、一度は押し込めた涙腺が緩みそうになる。声を出せば震えてそうで、頷いて肯定を表現した。
 腰の位置より少し高さのある貨物コンテナにトレイを置く。話をする態をとろうとしての行動だったのだけど、手持ち無沙汰になった両手が行き場を失ってしまった。かといって、いったん置いたものをすぐに手にすれば逃げ出したい表れだと判断されかねない。
 結局、身体の前で所在無さげに指を組んだ。


[短編掲載中]