《夢》をみた――
 いまではもう、目覚めても鮮明に思い出せるほど、何度も何度も、繰り返しみる《夢》。
 少年が現れる。それが目覚めの合図。

 己の悲鳴が耳をつんざいた。《夢》の中だけなのか、現実でも叫んだのか。
 文字通り飛び起きた明石リアは布団を握り締める自身の拳を睨みつけた。息苦しさを覚え、呼気を止めていたと知る。じっとりとした冷たい汗がこめかみを伝った。心臓が張り裂けんほどに鳴って、痛みを打つ。ゆっくりと深く呼吸した。指先は色を失い小刻みに震える。頬にあたるカーテンの隙間からの朝日だけが、あたたかかった。
 両手で顔を覆うと、笑いが込み上げた。――面白いからではなく、恐怖がせり上がる。
 意味が判らなくて、示唆するものが何なのか、対策を考慮することももがくことも叶わない現状に、嘲り笑うしかなかった。
 いつからだった?そして、いつまで続く?
 最初はたまにみる程度だった。目覚めた時に同じだったなと思うくらいの、起きて数時間もすれば中身を忘れてしまう通常と落差ない程度のもの。今ほど長くもなかったし、恐怖に蝕まれる内容でもなかった。
 間隔が短くなってきた頃から内容は変化していった。現在の形になってから数ヶ月、頻度は当初とは比べられないほどの割合で増えてきている。
 日常生活に紛れ忘れることもなく、しかと記憶に刻まれる。できることなら、欠片も残さず消し去ってしまいたいのに。


◇◇◇


「またなの?」
 椅子の背もたれに片腕を乗せて横向きに座る野尻唯衣は、怪訝さ全開に眉根を寄せた。真摯な顔つきでも深窓の姫君然とした可愛らしさは損なわれない。
「またですよー」
 リアは半ばやけっぱちにふざけると、脱力のふりと共に顔の側面をつける恰好で机に突っ伏し唯衣を見上げた。あーこの角度からでも可愛いなぁなんて不真面目なことを考えてると知ったら怒るだろうか。かといって、だらけた態度でもとってないと唯衣につられて深刻になってしまう。一種の虚勢なるものを内面では大いに張っていた。
 《夢》をみたと報告してみたものの、すでに日常茶飯事というか日課と化したものに怯えていのだと知られたくないからと、ふざけた態で濁そうとするあたりで女子度合いに差がつくんだなとか自己分析。なんて、お馬鹿なことを考えて余裕かましてるふりをしようとするあたり、自分自身にすら強がって騙してしまおうと願っているのかもしれない。
 小さな頃から一緒にいる唯衣には些細な凹み具合でもばればれで、今朝顔を合わせるなり指摘された。《夢》の概要はとうに話済みなので「またみたよ」の報告をした返しが「またなの?」だった。
 細かいことを言えば、少しだけ変化した。ここしばらく判で押したかのような同じ展開が、僅かに一部だけ。これまでも幾度かはあった。あったが、今回のはひどく引っ掛かりを覚えるものだった。
 少年がリアに向ける柔らかい表情は、安心させるのに足るものだったのに、差し伸べられたその手を取ることができなかった。――あの手は、何を、意味するのか。
 教室内は平時以上の喧騒を撒き散らしていた。クラスメイトが小さな紙切れ片手に右往左往している。早々に席へとついていた二人はまるで余所事の如く眺めていて、前触れなく「それで体調悪いの」と唯衣が問い掛けてきたのだ。
 ホームルームを開始するなり、朝の挨拶もそこそこに担任が席替えを提案した。学期の変わり目でもない高校一年生の中途半端な時期に行なうのは、単に気まぐれな担任の思い付きに他ならない。厳選なるくじ引きの結果、リアは窓際最後尾、唯衣はそれのひとつ前という特等席に治まった。未だ移動最中の者たちの中には、こっそり交換なんて不正もちらほら見受けられるが見て見ぬふりだ。
「しっかし鋭いですね」
 少しだけ《夢》が変化したことは内緒だ。根拠はなくとも嫌な予感が存分にする。
「当たり前でしょ。何年友達だと思ってんの」
 心配顔に膨れっ面を追加して見下ろしてくる。
 真剣なのも本気で心配してくれるのも本当に有り難い。が、相手が《夢》であれば対処のしようがない。心配の上乗せをさせたくなくて平常を繕ったのだが、唯衣にはお見通しだったらしい。
 ありがとうの代わりに「ごめん、ごめん」と笑ってみせた。
「もうっ」
 唯衣は呆れたように笑い返して、視座を窓の外へと移したリアの頭を撫でる。それから、うーんと唸った。
「にしてもさ、前に夢占いの本で調べた時には、別に悪いことは書いてなかったよね、」
 語尾に重ねてむっくり頭を上げたリアは、唯衣の手を乗せたまま、まじまじと親友の瞳を見つめた。見つめられた方はじっとリアの言葉を待つ。
「唯衣さ、あたしにはイイコトしか言わなかったでしょ。あの後ね、自分でも調べてみたんだ。気遣ってくれたのは嬉しいんだけど」
 良くない方のが的中してそうで怖いんだ。とは続けられなかった。何故と追及されたら一部始終を話さざるを得ない。それだけは、避けたかった。
 リアの頭に乗せていた手で宥めるようにぽんぽんと叩いて、わざとらしく大袈裟に膨れっ面を強めた。
「なによぉ、あたしが調べたの、信じてくれなかったの」
「ごめん。信じてないとかじゃなくて。どうしても引っ掛かってさ。他にも何かあるんじゃないかって。だって、あまりにも頻繁すぎるから。なにか暗示してるんじゃないかって…」
 しどろもどろにならないよう注意を払いながら話すのは骨が折れる。それでも、その努力は惜しまないと決めた。明確になるまでは隠し通すのだ。取り越し苦労で終わるのなら、それでいい。不安を伝染す必要はない。
 総てを話せない、恐ろしい《夢》。内容を語るのが、怖い。自分の中に押し込めてでもいなければ、口にしてしまえば、現実に取って代わりそうで。
「最後に出てくる男の子って、本当に知らない人?印象に残ってないだけで、実は逢ったことあるのかも」
「うーん…」眉根に力が入って回想する。「判んないや。あれだけの見た目だったら、忘れる筈ないんだよなぁ」
 同年代くらいの少年が出てきて、《夢》は終わる。何度見ても繰り返される、同じ終幕。目覚めの時間になる瞬間。
 《夢》が始まる時、リアは身構える。目覚めたいとさえ思う。現実ではないのだと認識しながらも、逃げる術を知らない。目覚められない。いつも、最後まで見続ける。
「気にしすぎると、ハゲるよ」
 冗談めかして、ハゲに力を込めて唯衣は言う。
「あのさぁ、そーゆう言い方やめときなって。ファンの皆様のイメージが崩れちゃう」
 お返しとばかりに揶揄をたっぷり含ませて言い返す。唯衣からはじっとりとした斜視が返された。
「ファンとか、やめてよね」
 露骨に嫌がる唯衣には申し訳ないが面白いので止められない。
 外見よし、中身よし、となれば当然もてるわけで、どうやら唯衣にファン心理を持ってる人なんかは、理想が膨らんで『可憐な女の子』なる印象を持っている人も少なくないらしい。背も小さくて細いから、そんなイメージが出来上がるのも頷ける。
 確かにそのへんの女の子に比べたら、護ってあげたくなるようなタイプではある。だけど、言うことは言うし、負けず嫌いで頑固な面もあったりする。唯衣と口をきくのにあがってるのなんかを目の当たりにすると、失礼ながらリアは毎回笑いを堪えるのに苦労する。
 唯衣としてもいちいち誤解を解くのも面倒臭いのか、そう親しくない人に対しては『そういう』素振りをするものだから、誤認的な部分は未だに解けてない。当人曰く、敢えて解かない方が都合のいいこともあるそうで。
 思い出し笑いを洩らしたリアが唯衣にひと睨みされた時、名前を呼ばれた。声の出所は廊下に近い所にいたクラスメイトだ。教室後方の出入口に、麻居諒と倉橋優輔が立っていた。


[短編掲載中]