-0-
吐く息は白く、夜気に溶けていった。
雪に覆われた冬の山の、頂上に澤樹那央はいた。リフト降り口から滑らかに滑り出たばかりで、スノーボードのウェアを身につけているとはいえ、深夜も零時を廻ろうというこの時刻では山の空気は心底冷え切っていた。露出している顔に、冷気が針のようにチクチク刺さる。
さきほどまで乗っていたリフトはくるりと半回転して下降していく。那央の後からも続々とスキーヤーやスノーボーダーが降りてきた。邪魔にならない位置まで片足漕ぎで移動する。同じようにしてスノーボードを漕いで那央の隣に並んだ、幼馴染みの松尾純平を見上げた。
同じ土地で同じ年に産まれ、共に育ち、小中高と同じ学校に通う腐れ縁の純平は、高校に入って急激に身長が伸びた。中学卒業までは那央と目線の高さはほぼ同じだったというのに。どうにもならない性別の差とはいえ、首に角度をつけないと目が合わないというのは、何となく悔しい。
「…寒い」
恨めしげに呟く。隣にいる純平には聞こえる音量で。
「道産子が何なまっちょろいこと言ってんだよ?」
強引に那央を連れてきたことに悪びれた素振りは全く無い。
純平の態度も、友人達の蜘蛛の子散らすような解散を思い返しても、どっちも気に喰わない。むっとした表情のまま続けた。
「なんだってナイターなわけ?いつだって来れるじゃない。今日でなくたっていいと思うんだけど。しかも、なんか人多いし」
周囲にいるのは男女の組み合わせが大半だった。ちらほらグループも見受けられるが、どちらかの性別だけに片寄っている組は無い。平均年齢的には若年層、といったところだろうか。
普段のナイターで、こんなにも人が溢れているのを見たことがなかった。
いわゆるカップルだらけの中に自分達がいるのは、ひどく場違いな気がしてならない。正直、居心地が悪い。
「クリスマスイヴだからじゃないのか?」
那央の内心を読み取ったかのような返答をする。それもまた、気に喰わない。
付き合いが長いだけに、相手の考えてそうなことがなんとなく判るのは那央にもあるところだったけれど。
そもそもの発端は、友人達の予定変更だ。
「大体さ、計画立ててた頃は『夜中まで騒ごう』って言ってたくせに!日付変わったら真っ先におめでとう言いたいからって言ってたくせに!当日になっていきなり揃いも揃って予定なんてできるもん?こっちの方が先約だっての!薄情もんばっかだよっ」
「那央の不満はそれか」
宥めにかかるどころか、興を見つけた顔で純平は納得している。
「イヴだし、那央を祝ってばっかもいられなかったんだ」適当なことまで追加する。
そこまで薄情な奴等と友達してきたつもりはなく、純平の言うことが冗談だというのは那央にも判っていた。
クリスマスは、那央の誕生日でもあった。
一ヶ月ほど前から集まって騒ごうと計画を練ってくれていたにも関わらず、しかも夜中までと言い出したのは友人達の方からで、なのに二十時頃には純平を除く全員が、申し合わせたように予定があるからここまでで、と帰ってしまったのだ。
渋る両親をやっとのことで説得し門限を伸ばしてもらったというのに、あの説得に費やした時間を返してもらいたいものだ、とむくれていたら、純平がナイターへ行こうと言い出した。
クリスマス限定で深夜まで営業時間延長しているから、と。
気分が全く乗らなかったけれど、珍しく純平が粘るので根負けし、今に至る。
「なんだよ。ちゃんと誕生日祝ってもらえたんだし、いーじゃねーか。俺の美声を独り占めしたの、那央だけだぞ?」
「美声って、自分で言う?」
得意げに胸を張る純平の作った表情が可笑しく、噴き出した。
リフトで上がってくる最中、何を思ったか突然、純平は歌い出した。かの有名な誕生日の歌を。
思い出すと笑える。棘々しているのが馬鹿らしくなってしまった。
「笑ってんなや」
「だって、笑えるし。まぁ、いーや。せっかくここまで登ったんだし、滑ろ?」
スピードにのって一気に滑り降りるのは気持ちがいい。なんのかんの言ってても、那央はスノーボードが好きだった。純平に勧められて始めた、楽しいことの一つだ。
雪面につけていた方のブーツをヴィンディングに乗せ、ベルトに手を伸ばそうとしたところで、純平に腕を掴まれた。前屈みになりかけを引き戻される。
「なに?」
怪訝そうに見遣った純平の視線は、天に向かっていた。何が、と同じ方向を見遣り、開いた口がそのまま固まった。
真っ暗な夜色の、晴天の空に散りばめられた星達が、色彩豊かに咲く光に隠された。直後、おなかに響くほどの音と振動。
次から次へと打ち上がる光の花々に、周囲のあちこちから歓喜の声が湧き起る。
「うっわぁ…。めっちゃ綺麗…」
見惚れていた那央の呟きに、満足そうに純平は笑った。
「冬の花火ってのも、オツだよな?」
「なにこれなにこれなにこれっ。純平知ってたの!?」
純平のウェアの裾をがっちり持って、ぐいぐい引っ張った。さっきまでの不機嫌なんて忘却の彼方、だ。
「もち。…誕生日、おめでとう!那央」
「やばい。嬉しいかも」
「お。那央、見てみろよっ」
純平は携帯電話を取り出し、ストラップの先についているガラス玉を覗き込んでいた。
「花火でも見える!」
「うっそ、あたしにも見せてっ」
携帯電話を受け取り覗き込む。視界いっぱいに海の水面が広がり、花火が上がる度にそれは色を変えた。
赤。緑。黄。青。金。桃。白。紫。
色とりどりの色彩は、冬の夜空に舞う粉雪に映えた。響き渡る音と共に、子供みたいにはしゃぐ姿。花火に照らしだされる横顔。
どんなに鮮明に思い出せても、息遣いが傍にないのならば、記憶など無慈悲にそこにあるだけで。
大切じゃないなんて、思ったことはない。かと言って、それを意識して、大切に大切に、あたためていたわけでもない。
当たり前すぎて、あらためて包み込む必要もなくて。
その度合いがどれほどのものだったか、いなくなって初めて、知った。

[短編掲載中]