侑希はそっと近づいてしゃがみ込む。那央の頭をポンポンと宥めるように撫でた。いつも篤がそうしてくれたように。
「那央ちゃん」いっそ柔和な声が沁みる。「捜しているのはどういうもの?俺も一緒に捜すから、教えてくれない?」
 こんな所まで黙って一緒についてきてくれた侑希は、驚くほど穏やかだった。
 魔法のように響く。促されるままに特徴を挙げていった。とつとつとした口調を辛抱強く待ちながら、侑希は穏やかに、柔和に、促す。
 いくつか聞き終え立ち上がると捜索へと入る。
「他には?なんか特徴ある?」
 懐中電灯の光を巡らせる侑希をじっと見つめた。
 もともとこんなに優しい人なのだろうか。辛いことを経たからこそ、こんなにも優しくなれるのだろうか。
「紐の部分に、キューブ状のビーズがついてるの。ローマ字が刻まれてて、」
 それまでずっと雪の上に視線を這わせていたのに、那央の言葉が終わるか終わらないかのところで、不意に瞳がかち合った。同時に、続けようとした言葉が揃う。
「アダージョ」
 侑希の顔が本当に嬉しそうに綻ぶのを、呆気に取られて眺めていた。
「……え…?」
「そのストラップ、どこで見つけたの?」
「海、で。…打ち上げられてたの。去年の秋、純平の誕生日に行った海で、見つけた瓶に入ってた」
 侑希は無邪気に喜色を濃くしていく。理由が判らなくて、知る術もなくて、疑問符を浮かべ見上げるしかなかった。
 彼の中では何かが上手く接続されたみたいに。清々しささえ窺える。
「侑希?」
「『太陽を見上げるように、いつでも心が上を向いていられますように』」
 ゆっくりと滑らかに諳んじる。那央の目を真っ直ぐに見つめながら。――瓶と一緒に入っていたメッセージを。
 そっか、と笑う。侑希の巡らせた双眸が一点で停止した。前屈みになり、何かを拾う。
 空はもう懐中電灯が不要なほどに明るくなってきていて、侑希の手に拾われた物が存在を誇示するかのように陽光で反射した。
 近づいてくる手を凝視する。差し出された掌には、ストラップが乗っていた。動けない那央の手を取って、慎重にのせる。
 たった数時間離れていただけなのに。ずっとずっと離れていたような。涙で滲み始めた視界から消えてしまわぬよう、ぎゅっと握り締めて胸の前で抱いた。
「……ありがとう」
 掠れた湿る声を絞り出す。あとはもう、落涙に阻まれて言葉にもならない。
 ふ、と柔らかな空気が動く。「どういたしまして」という侑希の声も、静かに昇る朝日も、とてもあたたかい。
 侑希は那央の隣に腰を降ろし、両手を後について空を仰いだ。
「それ、さ。俺が細工したんだよね」
 え、と横を見遣ると、誰にともなく喋る風を装って空を眺めていた。はにかんだ横顔は照れているらしい。
「紐にキューブ通して瓶に入れて島から海に流したんだ」
 自身の願い。自分へのメッセージを込めて。
 きっかけを与えてくれた久米島から、自分と同じように苦しんでいる人の元へ、届けばいいと祈りながら。
「まさか、ちゃんと届くとは思ってなかったし、それが那央ちゃんの元へいくなんてね。…なんか、すごいな」
 運命的だ、と大仰にふざけ、無邪気な笑顔を見せる。
「実は俺も、同じの持ってんの」
 ポケットから取り出した携帯に、キューブのついていないストラップがついていた。すっかり姿を現した朝日に瞬く。
「意味は?」
「意味?メッセージの?」
「うん。時々純平と考えたりしてたんだよね」
 懐かしさに目を細める。侑希は優しく見守り、静かに口にした。
 辛いことがあっても上を向いて進んでいけますように。
 純平、当たってたよ。心の中で呼び掛ける。笑顔が返された気がした。
「なんで太陽か、判る?」
「いつでも上にあるものだから?」
「そうなんだけど…。こっちから覗いて、太陽の光にあててみてよ」
 ガラス玉の平らな方から、くっつきそうなくらいの距離まで近づけると、太陽の方向を向いて言う。
 …当たってたね。
 さきほどよりも強く、同じことを思う。姿が、重なって見えた。
 ちっとも動こうとせず自分を凝視している那央にいったん視線を移し、苦く笑う。
「この人なにやってんの的な視線投げないでよ、那央ちゃんっ」
 咄嗟に反応できずにいることを『引いている』と勘違いした侑希は気恥かしそうだった。
「いいから、やってみ」
 照れ隠しに口早に言い、再びガラス越しに太陽の方向へ戻っていく。
 那央は「そういうわけじゃないよ」と呟いたのだが、侑希には届かなかった。真似て、ガラス玉を覗き込む。
 光輝く、海の水面が揺らめいた。
 発見した時の、純平のはしゃいだ声が、耳に蘇る。傍に、いる気がした。
 ゆっくりと、息を吐く。満足そうな侑希の顔が隣にあった。
「太陽の光じゃなきゃ、見えないんだ。下を向いていたら、これを見ることは出来ない。気持ちが沈んだ時に、見てほしいなと思ってさ」
「うん。綺麗、だね。…でも、」
「でも…?」
 侑希の胡乱げな視線があたった。可笑しくて内心では笑ってしまったのだけど、表面には意地悪全開な笑みを貼り付けた。
「太陽じゃなくても見えるよ。花火でも、見えんの」
 ぽかん、と口を半開きにしている様に、今度こそ堪えきれず、遠慮なく噴き出した。笑われたことで我を取り戻し、むきになった侑希の声は一段階大きくなった。
「那央ちゃん!そーゆうことは早く言って!さっきの花火で見たかったぁー!!てか、知ってたんなら早く言ってよっ」
「うん。だね」
 那央は悪びれることなく首肯した。
 笑顔でいる那央をよしとしたのか、侑希はつと表情を和らげた。
「那央ちゃん」
「んー?」
 ガラス玉の海へと戻っていた那央は、変化した声音に侑希の方へと向き直った。向けられる視線があまりにも柔らかく、あたたかく、心地いい居心地の悪さを感じる。
「来年も、一緒にこようね。花火、一緒に見てくれる?」
「うん」
「約束」
 立てられた小指におずおずと自身のそれを当てたとたん、大きく上下に振られた。侑希の笑顔につられ、笑い返す。

 ――太陽を見上げるように、いつでも心が上を向いていられますように。
 おまじないのように、噛み締めるように、もう一度侑希は言った。
 朝日がとてもあたたかく二人を包み込んでいた。

 adagio――ゆっくりと、自分の速度で…。




[短編掲載中]