彼女の心を、傷つけた。
 総てを見透かした碧眼は言葉を残して部屋へ戻って行った。
『お前の境遇には同情する。この世界に染まれとは言わん。が、一つだけ覚えておけ。あの子の精神は、お前が想像するより遥かに繊細だ』
 剣が強いことは精神的に強いこととイコールではない。
 ずっと考えていた。コウキの言葉、ミウカの心底、そして――自分がここにいる意味。
 考えてもやっぱり、答えなんて見つからなかった。

 眠れずにぼんやりとしていた頭に、ノックの音が飛び込んできた。寝台の上で手足を投げ出して座っていた莉哉は、うつろな声で応える。
「おはようございます、リイヤ様。お召物をお持ちしました」
 顔を出したシェファーナは明るい笑顔で部屋へ入ってきた。
「…はよ。着替えはいいよ。せっかくだけど…」
 長くいるつもりはないし、長衣など動きずらそうで。なんにせよ、城内にいても奇異の目が向けられるのは莉哉の服装以外にも原因があるのだ。服装を合わせたところで今更関係ない。
「あの、ですが」
 困って口籠もったシェファーナの後を次いで、愛らしい声がぶっきらぼうに被さった。
「城下街に行かないか。慣れないかもしれないが、こっちの服に着替えてもらわないと。その格好は目立つ」
 莉哉が問い掛けるよりも先に、よく通る声が同じ疑問を投げ掛けた。
「なにしに行く?」
「おはよう、コウキ。リイヤの服を調達しようかと。ついでに街の様子も見てくる」
 まるで友達にするような挨拶を気にも留めていない。恐縮して部屋の隅へと移動したシェファーナとは対照的だった。
「服なら沢山あるだろう。何故着ない」
 後半は莉哉に向けて言っていた。何故、と問われてどの理由を挙げればいいのか判らなかった。
「皇族には判らないってこと」
 つらって言ってのけたミウカに対して、みるみるシェファーナは蒼白になった。こんな物言いが尋常ではないことくらい、莉哉にも判る。が、コウキに気にしている様子は全くない。
「くれぐれも気をつけるようにな。戻ったら執務室にくるように」
「了解。行ってくる」
「で、どこ行くって?」起き抜けの寝呆け声。
 いち早く姿を見つけたシェファーナは深々とお辞儀をした。
「おはようございます。タキ様」
「おはよー。なんか昨夜は大変だったらしいじゃないか。この城の警備はどうなっているんだろうね」
 まるっきり他人事の言い方に、コウキは呆れて溜息を吐いた。
「そういうお前はなにをしていたんだ」
 寝台から直行してきました、といわんばかりの軽装で髪も結われていない。一見だらしなく見えても、麗容な姿は兄に負けてはいない。ミウカとは逆側の戸口にもたれ掛かって、欠伸を洩らした。
「寝てました。一度眠りに入ってしまうと目覚めがよくないのはご存知でしょう、兄様」
「そんなことではいつ寝首を狩られても文句は言えないな」
 ミウカは辟易して部屋の中まで進むと、シェファーナが抱えていた着衣を取り莉哉の脇に置いた。
「あれはほっておいて、出掛ける準備してくれ」
 あれ、とは呆れる兄と飄々とした弟のことだろう。ますますミウカの立場が判らない。
「廊下に出てるな」
 莉哉の返事も待たずに身を翻し、シェファーナを促すと戸口に留まっていた兄弟を部屋から吐き出した。
 後に残された莉哉は仕方なくもそもそと着替えを開始した。


◇◇◇


 城壁を抜け街へ近づくほどに、活気に溢れた喧騒が大きくなっていった。
 数日前ウィルの背に乗り辿った道を逆に進む。この世界の服で身をくるみ歩いていても、やはり莉哉を見る目は違っていた。気の所為ではない。
 ミウカ自体も存在感を放っているのだが、二人に視線が注がれるのはそればかりではなかった。
 道の両脇に並ぶ数々の露店。威勢のいい掛け声。人々の笑顔。目深に布を被らず闊歩できるのはやはり気分を高揚させる。目に入るのは珍しいものばかりで、あちこち目移りばかりした。
「リイヤ、欲しいものなんでも言えよ?あっちに服の店がある」
 気持ちが上がっているのは莉哉だけではなく、ミウカも楽しそうだった。仕方なく出掛けたのだが、今は外に出れてよかったと、少女の笑顔を見て思っていた。
 くるくるとよく表情が変わり、無邪気そのものだった。本来ならこれが歳相応なのだ。
「あそこの店にするか。品揃え豊富だ」
「…お、おうっ」
 袖を引っ張られつんのめるようにして後についていく。
 どっちが楽しんでんだか判んねーな。
 城を出てすぐ「気分転換になるぞ」とミウカは言っていたけれど、莉哉よりも息抜きしてるのはミウカの方だった。
「やっぱ、窮屈なんだろうな」
「ん?なにがだ」
 独り言を呟いたつもりで、しかも店先で品定めに夢中になっていた筈なのに、ミウカにはしっかり聞こえていたらしい。
「な、なんでもねー。なに見てんの?」
「服に合わせて装飾品はどうだ?これなんかなんにでも合わせ易そうだ。格好いいと思うぞ」
「服だけでいいよ」
「遠慮するな。これは?」
 無邪気に笑顔を向けられると無下にもできない。並ぶ品々を一瞥してみる。
「じゃあ…、ミウカがしてるようなの、とか」
 莉哉の目線を追い掛けてミウカが見た先には手首にはめられたバングルがあった。両手首にかっちりとはめられている。
 その瞬間、その場の空気が凍った。ミウカは勿論、店主でさえも。
「あ、これはな。売ってるもんじゃないんだ。バングルなら、こっちのはどうだ」
 場を取り成したのはミウカだった。明らかに誤魔化しの空気に、踏み込むことはできなかった。


[短編掲載中]