登校して着席と同時に躯ごと振り返った成澤が、挨拶もそこそこに放った言葉に対して、莉哉は間髪入れずに呆れ顔を晒した。
「は?」
 前振りなく意図の読めない投げっ放しのそれに、莉哉は不機嫌そのものの語調を返す。低血圧で朝はとにかくテンションの低い彼は眉をひそめて、あからさまに一瞥くれた。
 毎度の温度差に慣れきっている成澤は、もともと相手の機嫌を伺うことをしない。勿論、相手が莉哉だからこその不躾な態度ではあるのだが。
 莉哉の表情をあっさり流し、成澤は同じことを繰り返した。
「だからな、今日調理実習でお菓子作りなんだと、一年坊が。今朝ミウカちゃんが言ってた」
 名前を強調して言われ、莉哉は小さくむっとする。
 すっかり仲良しになっているのは判ってはいたのだが…、はっきり言って気に喰わない。とはいえ、それを妨害する権利が莉哉にあるわけではなく。
「だから?それで?ナルになんの関係が?」
 俄然低いままのトーンで畳み掛ける。
 それまで眺めていた井塚が肩を竦めて止めに入った。
「はいはい、そこまで。ナルもいー加減にせぇ。機嫌がMAXまで堕ちたら手におえん」
 成澤は莉哉をからかうのを趣味にしている節がある。頃合いを見て制御するのは井塚の役目だった。時には一緒になって揶揄することも、少なくないが。
「俺はそこまでガキじゃねー」
 と言いつつも、そっぽを向くあたりが子供じみている。こと、とある少女のことになると、常の莉哉は消えがちだ。
 傍観者の立場からすれば面白く、かっこうの揶揄ネタになる。
「見計らって行ったら、くれると思うか?」
 ぶすくれている莉哉の代わりに成澤は井塚に話し掛ける。
「お菓子作りだと殆どの場合、誰かにあげる用に作ってるみたいなとこあるけどな。ま、ナルにはこないだろーよ」
 井塚は冷静に返し、諦めろと含意のある顔をした。

 成澤が確定もしていないことに期待を寄せた調理実習は、四時限目だったらしい。
 そして現時刻――放課後。
 莉哉とて、期待をしていたわけではないのだが、成澤の余計な情報のおかげでどことなく落ち着かない一日となってしまった。昼休みに入ったあたりから、ちらほら手渡されている情景が目に入ったのも原因の一つだろう。ちなみにミウカからは音沙汰無しだった。
 天文部にあてがわれた部室で、書類整理にあたっていた莉哉は時計を見て小さく息を吐く。大半の生徒は帰宅している時間だ。まだまだ途中ではあったがキリがないので切り上げることにした。
 のそのそと帰り支度を完了させ玄関へと向かう。廊下に出ると、まだ残っている生徒の声や足音などが遠くでしていた。
 その中に混ざって軽やかな足音が際立って莉哉の耳に届いて、不意に浮かんでしまった期待を慌てて切り棄てる。
 誰が見てるわけでもないのに誤魔化すために、ファイルを開いて目を落とした時だった。
「リーヤッ!」
 明るい声が、ひどく懐かしい呼び方をする。咄嗟には自分へ向けられたものなのか判断しかねて、あやふやなまま顔を上げた。
 正面から駆け寄ってくる少女。その笑顔は一直線に莉哉を捕らえていた。真ん前に辿り着くと、屈託ない子供っぽい顔をみせる。
「こんな時間まで、どうした?」
 心の準備が整いきらず、心音が騒ぎ出す。落ち着くまでは直視できないなと逸らした視界に、ミウカの手に乗せられた小さな紙袋に照準がいった。ラッピング用の綺麗なデザインのものだ。
 視線に気づいて、ミウカはそれを持ち上げて見せる。
「調理実習があったんだ。巧くできたからお裾分けを届けようかと、」
「え」
「逸兄に」
 間髪入れずに続けたミウカを見ながら、余計なことを口走らなくてよかったと、胸を撫で下ろす。同時に落胆してしまった自分を叱咤した。
「お菓子なんだけどな、逸兄ってば甘いもん好きなんだよ。意外な感じしないか?同じ顔してても別人なんだなーって。コウキなんて見向きもしなかったから。……それで、」
 無邪気に笑う少女を見る。
 勝手に抱いてしまっていたとはいえ、一瞬にして失墜した期待感に肩を落としたなんて事実を悟られないよう、早々に立ち去ろうと決めた。
「俺さ、職員室寄らなきゃいけないから」
 行かないと、と手にあったファイルごと持ち上げたのと、ミウカの声が重なった。
「まだ残ってたんだな。よかった」
「へ?」
 それって…、捜してたってことか?俺を?
 呆気にとられている間にミウカは続けた。
「らっぴんぐ、ってゆーの?手間取ってしまったんだ。こーゆうことには無縁できたからな。でも無駄にならずに済んだ」
 鞄をまさぐり取り出されたのは、オレンジと金色の不織布を二重にして包み、リボンで包装されたモノ。
「はい」
「俺に?」
 目の前に差し出されといて、何とも間抜けな問い返しだと嘲笑するも、思いっきり気づかないふりをする。照れ隠しに、大仰にうやうやしい手つきで受け取り礼を言った。
 ヤキモチにも似た感情など、木っ端微塵に拡散していた。
「逸兄と同じでいいと思ってたんだけど、止められた。で、これは皆から分けてもらったのだけど、色は莉哉のイメージだって、こだわってみたんだ」
 明るく暖かい色――ミウカがイメージする莉哉色。
 あれこれ勘ぐる必要はない。見たままの解釈でいいのだ。素直に嬉しさを噛み締める。
「素路先輩に渡すなら気合い入れて勝負しないと、って言われたんだ。不恰好にしか出来なかったけど最後まで一人でやってみた。勝ち負け言われたら、やんなきゃって思うよなっ」
 生来の宿命と向き合ってきた少女だから、その単語に敏感になる。ただ単純に反応する。
 込み上げる笑いを押さえ込むのは骨が折れた。真面目な顔つきが保ちきれずに、口端が歪んでしまう。
「その意味判ってないだろ」
「ん?え。うん。え?なに?」
 ミウカらしい解釈の仕方だ。堪え切れず可笑しくて、そっぽを向いてくつくつ笑う。
「えっ?えっ?なん…?」
 純粋に疑問符をいっぱい浮かべ、懸命に考えているさまが可愛らしい。
 いらぬ心配だ。勝負を仕掛けろなど、差し出口でしかない。
 この目の前にいる少女以外から挑まれても、莉哉には何処吹く風なのだから。
「いや。なんでもないよ?」

 だってもう、この心はこんなにも君に囚われている。




[短編掲載中]