落胆の色を表現しろと言われれば、今現在この室内を淀ませる空気だと答えられるだろう。まだまだ少女の域を出ない年齢の顔が見事にむくれていた。
 我儘を言って相手を困らせることを滅多にしない性格なのに、この時ばかりは違っていた。余程楽しみにしていたのだと、容易く想像がつくのだが。
「ルイ、」
 普段聞き分けがいいだけに、今日くらいは気の済むまで、とは思っていたのだけれど。ルイの完全無視に、逸は再度名前を呼んだ。
 逸に過失はない。ルイも承知している。そして自業自得なわけでもない。
 あえて言うなれば、ルイの期待に添えられなかったルイの身体が原因だった。
 夏祭りの存在を知った日より、毎日足繁く担当医の元を訪れ取り付けた外出許可も、今朝の発熱のおかげで呆気なく泡と消えた。当日の体調次第、の条件に備えて大人しくしてきたというのに。
「ルイ、ミウカ達が後でくるだろ。そんな顔してたら気に病むだろーが」
 送り出す時はちゃんと笑顔で手を振ったのには褒めるべきところだけれど。
「そんなの、判ってるもん…」
 萎れそうな呟きだった。だが逸の方を向いた表情は軟化する。
「ミウちゃんの浴衣姿、可愛かったよね。ルイも着たかった」
 縁日へと出掛ける前に、出店のお土産買ってくるからね、と希望をリサーチしにミウカと莉哉は病室に寄っていった。
 ベッド脇に置いてある紙袋に視線を移す。今日の為に新調した浴衣が入っており、引っ張り出してはこの日を指折り数えてきた。
「体調がよくなったら、それ着て花火すればいいだろ」
「うん…、ミウちゃんも付き合ってくれるかな」
「あいつなら率先してやりたがりそうだ」
「あは。そうだね」
 情景が目に浮かぶ。今回の夏祭りも言い出しっぺはルイだが、即刻便乗したのはミウカだった。
 逸は最後まで渋々だったけれど。とにかく人込みが嫌いなのだ。
それでも、付き添いは決めていた。担当医のもう一つの外出許可の条件――ルイには内緒のそれ――がなくとも。
「もうすぐだね」
「ん?…ああ、打ち上げ花火か。こっからでも見えんじゃねぇの」
「遠いけど、見えるかな。それが終わったら、お土産沢山持ってきてくれるんだよね。楽しみにしとこっと」
 過ぎたことでぐじぐじしているのは勿体無い、とルイは気を取り成したらしい。逸は座っていたスツールを手に窓際へ移動する。
「ほら、ここ座れ。遮るもんないから見通しはいいな」
「天気もいいしね」
 ベッドから降りるべくしてルイの足が淵からぶら下がった時だった。
「るーいっ!」
ガラッと扉の開く音に振り返ると、ミウカと莉哉がいた。驚いてる隙に雪崩のごとく入室してくる。
「買ってきたよー。いっぱい!」
 ベッドに備えられている簡易テーブルを真ん中あたりまで動かし設置して、買い込んだ品々を次から次へと並べていく。あっという間に食物のピラミッドが完成した。ルイのリクエスト品から珍しいという理由だけで衝動買いしたものまで。
「超速で廻ってきたからあんま吟味してなくてゴメン」
 ルイも逸も唖然としている。
 全力疾走でもしてきたのか、浴衣二人組は息が上がっていた。にも関わらず、入室以降しゃべりっぱなしだ。
「まだ時間あるよなっ?莉哉は逸兄頼む!」
 任せろと莉哉は逸を引っ張って嵐のように出ていった。扉が閉まるのを見送っていたルイの腕が引っ張られ立たされる。
「ミ、ミウちゃん!?」
 あまりの慌しさに目を剥いて、でもミウカの手にあるモノに動きが静止する。
「ほら、ぼーっとしない。着替えるよっ」
 間に合わなくなっちゃうから、とベッドの上に浴衣を広げた。
「間に合わない?」
 手早く用意し、未だ状況把握未達のルイを着せ替えていく。
「花火はやっぱ浴衣で見るもんだろ。風流重んじるべし、みたいな?」
 軽い口調を連ねていても手は止まらない。あれよという間に髪のセットまで済んでしまった。
「よし。…うん。ルイってば可愛いな」
 上から下までチェックして、仕上がりに満足げだ。
「ありがと。嬉しいっ」
 買ってからきちんと袖を通したのは初めてで、ルイの笑顔が大きく綻んだ。鏡に映る自分がいつもの自分と違うことが何だかくすぐったい。
 それにしても。少しだけ落ち着いてふと思う。
「ずいぶん早かったけど、もしかして…初めからこのつもりで?」
 出掛けていく直前のことを思い出す。妙に慌てた感じで屋台購入リストをメモしたら早々に出掛けていったのだ。あの時はそんなに祭に行きたいのかと、拗ねた思いが込み上げたのだが――
「そうだな」
 当たり前でしょう、と後に続きそうな口振りだった。
「どうして?」
「どうして、ってなにが?」
 後片付けをしているミウカに問い掛ける。その間にもベッドの上は整頓されていく。
「だって、ミウちゃんだって、縁日楽しみにしてたじゃない。花火だってこんな所からより、ずっと綺麗に見えるんだよ?」
 ミウカは窓に寄り、花火が打ち上がる方向を見る。それから振り返って満面の笑みを見せた。
「ここからの方がよく見える。特等席だ。それに、みんなで見た方がきっと、綺麗だ」
 屈託無く笑うミウカに、胸が詰まる。目の奥が熱くなった。
「ミウちゃん…」
「食べ物いっぱい買ってきたから後で食べような」
 スタート合図用の花火が上がった。準備の整った逸と莉哉も揃って、窓に並んで遠い花火を鑑賞する。
 それは遠くに小さく咲いて、小さな音だったけれど、夜空にとてもとても綺麗な花を咲かせた。




[短編掲載中]