中学の頃から近くにいた存在で、よく知ってるつもりだったのに、新たな事実が判明したことが悔しかっただけなのかもしれない。と、勝手に自己解決した。
 解答を見出したからといって、苛立ちがすぐさま収まる筈もなく、亜理紗に困惑した顔を見せている葵を見ると、余計募るだけで。
「ほんと、信じらんねぇ。無神経すぎ」
 唾棄するような口調になってしまい、自分でも驚いた。吐き出してしまったものは引っ込みがつかず、自分に向けられた葵の視線を正面から受け止める。
 葵はまた「どうしよう」と呟いた。遥にではなく、自分に問い掛けているような口調だった。そして再び、亜理紗に向き直った。「あたし、先輩に謝ってくる!」
 駆け出しそうになる葵の腕を、亜理紗が掴んで引き止める。
「追い討ちかけるような真似、やめときなって。――先輩の反応は?」
「……笑ってた。そうだよねって」
 叱られた子供みたいだ、と葵の姿を見て思う。
「なんていうか。大人、っての?穏やかだよね、本当に」
 敬服すら滲ませる亜理紗の瞳には、羨望までもが含まれている、ように見えた。
 またぞろ、胸の奥がもぞもぞと、居心地の悪いものに支配されていく。
 空気を、琢巳の能天気な声色がぶち壊した。
「どうすんだ。遥は」
「は?俺?」
 つっけんどんな返事になった。琢巳はさして気に留めていない。軽口を続けた。
「いつまでも榊が、お前のこと好きだとは限らないぞ」
 葵は自分の名前が出たことで、加えてその内容に、驚いている。な?と振られても、すぐには意味として吸収しきれていないのか、ぽかんとしていた。
 遥は切り返す。
「コイツみたいなガサツな女より、小西さんみたいな可憐な子がタイプなんだ。身長が低い子が好きだからな。俺と変わらねーじゃん、葵じゃ」
 いつも言ってることだった。それこそ葵が遥に“告白”をする度に。
 毎度の返しに葵は本来の調子を取り戻し、むっとした顔を見せた。
「変わるよっ!あたし170いかないもん」
「168なんて四捨五入で170だ」
「だとしたって、5センチは違う!その差はでかいよっ」
「みみっちい」
 遥は据えた目をした。大袈裟な振る舞いも日常の風景だった。むーと口を尖らせる葵もすっかり沙月のことを失念しているかのようで、亜理紗は話の舵を戻した。
「沙月先輩なら不満とか出てこなさそうじゃない?身長高いし、葵とバランスいいじゃん。先輩にしちゃえば?」
 望みが無いならとっとと次にいけば、とでも続きそうな口振りだ。
 葵は遥に向かって駄弁を述べる。
「遥、聞いた?あたしOKしちゃったら、傍にいなくなるよ?いいの?」
 ノリはすっかり普段通りになっている。遥の中で、またムカムカが再浮上してきた。
「その方がせいせいすらぁ。お前が俺の周りでちょろちょろしてるから、寄ってこれない子もいるかもしれないじゃんか」
「なになに。自分がモテるとでも思ってんのー?」
「んなの、わかんねーだろ。もしもの話だ」
 始まった二人の遣り取りに、亜理紗と琢巳は顔を合わせて肩を竦めた。いつものじゃれ合いだ。見慣れた光景だ。
「好きなら好きって、言えばいいんじゃないの?」葵は断言する。自分は有言実行しているのだから、と。「黙ってたって伝わるなんて、そうそうないよ」
 若干得意気にみえる葵を、遥は容赦なく一蹴した。
「みんながみんな、お前みたいに図太い神経してるわけじゃないんだよ」
「言葉にして言わなきゃ、判んないじゃん」ムキになっている。
 軽い喧嘩状態だ。それでも日常茶飯事に変わりはなく、遥も平然と言い返した。
「だからお前は、無神経だっていうんだよ。俺だって纏わりつかれてなかったら、小西さんに近づけるのに」
「纏わりつくって…。人のこと、ストーカーみたいに言わないでくれる!?」
 勢いのある言い争いの最中に、切り込んだ声があった。担任が戸口に立っていた。
「まぁた、お前らか。さっさと帰れ」
 四人を一瞥し、追い払う仕草をする。「はぁい」と間延びした返事をして、もそもそと支度を開始した。
 手を動かしながら、葵は遥の名前を呼んだ。ついと顔を上げた遥だったが、葵は目の前の作業に視線を置いたままだ。
「迷惑、だった?」
 さっきまでとは打って変わって、萎れた声音だった。どきり、とするも遥は延長戦を装った。葵相手に、深刻さから逸れていたかった。
「んなの、当たり前だっつーの。だいたい、友達以上に今更思えるかって。無理無理。絶対無理。一生掛かっても不可能だね」
 一気に吐き出していた。追い立てられてる感覚が遥を襲い、息巻いていた。
 葵は俯いている。手はまだ動いている。髪が顔を隠しているので表情は見えない。打って響く早さで返ってこない反応が、何分にも感じられた。
 背筋がぞわぞわと、何かを予感させる。
「葵?」
 ぴたりと葵の手が止まった。鞄を閉める。顔は上がらない。もう一度名前を呼ぼうとして、笑声が洩れた。嘲笑に近い、落胆に近い、そんな音だった。
「…は。きっつ、いなぁ…」
 露わになった葵の顔に、背筋が凍る。さぁ、と頭のてっぺんから体温が引いていって、爪先から抜け落ちていく。
「ちょっ…!?おまっ、何泣いてんだよ!?」
 訳も判らず、心底動揺していた。たじろいて、困惑して、葵に向かって手を伸ばしていた。触れようとしているのか、掴もうとしているのか、遥自身が知りたい動きだった。
 目標に到達する前に、快音と共に弾かれた。遅れて遥の手に熱が走る。挑むような葵の双眸を受けて、振り払われたのだと把握した。
 事態の変化に亜理紗と琢巳の注目も向けられた。葵の涙を見つけ、二人の目が見開かれる。
「……判った」
 低い呟きだった。けれど、耳に届かない不明瞭なものではなく、むしろハッキリと聞こえた。
「…なにが、だよ?」
「…判った。もういい。もう、やめる」
 それは、宣言だった。
 遥はオウム返しに問い返していた。やめるってなにをだよ、と。お前は馬鹿か、と内なる己が嘲った。
 目に溜まる雫もそのままに、葵は遥を睨みつける。
「もういいっつってんの!やめるからっ。遥を好きなのなんか、やめてやる!」
 吐き出して、身を翻し、三人を置き去りにして、葵は教室を飛び出していった。残された者達は場に縫い付けられ、でくの坊と化す。
 数秒後、意識を戻し、琢巳は遥を炊き付ける。担任が割って入ってからの二人の会話を知らなくても、よくない方向に進んだのは明らかだった。
「追いかけろって」
 強く腕を叩かれても、遥は葵が消えていった戸口を見ているだけだった。呆然自失のようにも見えて、眺めているだけのようにも見える。
 内側では色んなものが騒いでいたけれど、平静を装った。それこそが重要だとでも言うように、取り繕うことだけに必死になっていた。
「何キレてんだよ、アイツ。わっけ判んねぇ。いつも言ってることだろーが」
 琢巳の忠告を、聞くともなしに流していた。
 明日になれば、いつもと変わらないのだ。いつもと違うことを言ったつもりは、ないのだから。
 そう、高を括っていた。


[短編掲載中]