翌朝、校門をくぐったところで遥は声を掛けられた。大体同じ時間帯の登校となる、琢巳と亜理紗が近づいてきた。
 挨拶もなしに開口一番、琢巳は真面目に「きちんと謝れよ。言い過ぎたお前が全面悪い」と言い放つ。琢巳に同意して亜理紗もうんうん頷いている。
「わーってるよっ。朝一で謝る」
 両手を肩の高さまで持ち上げて、降参ポーズをとった。昨日も散々言われた台詞だ。結局、後を追ったのは亜理紗で、けれど葵を見つけることは出来なかった。
「お。噂をすればなんとやら、だ」
 琢巳にならって目を向ける。亜理紗はいち早く動き出して、遥の腕をポンと叩き、葵の元へと走り寄っていく。
「おはよー、葵っ」
「おはよ」
 亜理紗を見、追いついてきた男二人を見る。が、すぐにその視線は一人に絞られた。
「琢巳くんも、おはよ」
 瞳が合ったのはほんの一瞬で――しかも零下な温度。
 名前を呼ぼうとした遥は、さっくりと途中で遮られていた。かちんときたものの、昨日の説教を思い出し、ぐっと堪えた。
 琢巳は遥の心情を知ってか知らずか、常と変わらない陽気な声を出した。
「はよーっす。なぁ、数学の課題やってきた?」
「うわぁ、忘れてたっ。当たるんだよ、あたし。先行くね!」
 走り出そうとする葵の腕を、咄嗟に掴もうして、
「葵っ…昨日は…」
 故意にかわされたのが判った。するりとすり抜ける。
「葵!?ちょっと待ちなよ!」
 露骨さに、流石に驚いた亜理紗が止めようとしたが、すでに葵は数メートル先まで進んでいた。追い掛けていった亜理紗を見送り、後に残された琢巳はボソリと呟いた。
「そーとぉーきてんな。どうすんのよ」
「うるせ。考える」
「さっさと仲直りすれよ?お前らがそんな調子じゃ、空気悪いわ」
「重々承知だ」
 平然とした態度をとってはいたが、正直いって頭の中は、真っ白だった。
 思い起こせばキツイ言葉も、平気で葵にはぶつけてきた。彼女はめげずに変わらぬ態度で接してきていた。――それに慣れきっていた。
 勝手に自信を持っていたのかもしれない。葵は変わらないのだと。
 いつの間にか甘えていたことに、初めて気づかされていた。


◇◇◇


「お。まただ」
 窓を開け放ち、サッシに腰掛けていた琢巳は空とぼけた声を出した。身体をよじって外に目線を置いている。
「今週入って何人目?」
 近くにいた亜理紗は、琢巳の横に並ぶと視線の先を追いかける。指折り数えて三本立て、琢巳の顔の前に突き出した。
「すげーな、榊」
「途端に始まったもんね。今こそ絶好のチャンスってやつですか」
 単純に感嘆の声を洩らす琢巳とは対象的に、亜理紗は哀れみを含んだ目で、葵と向かい合っている男子生徒を見ていた。
 葵が遥を諦める。――そう宣言した噂(というか真実なのだが)はあっという間に広まった。
 それまでの葵の気持ちは周知の事実であり、全く取り合わない遥を想い続ける葵の姿勢に、どことなく応援ムードすらあったのだが、その中にも沙月同様想いを寄せている輩はいたらしく。
 ダムの崩壊然として、翌日からその想いの丈を伝える人物が登場し出した。
 弱っている時に付け込む、といえば聞こえは悪いが、強固にあった“遥を好き”という分厚い壁が取り払われた今しか、葵は聞く耳を持たないだろうという解釈もあったりする。実際、こうなる前に告白した沙月はあっさり振られているのだから。
 ここ数日の二人の離れっぷりは話題にも上るほどだった。完璧なる葵の無視状態に、遥の苛々度は上昇しっぱなしなのだが、打開策は浮かばす。時間だけが淡々と過ぎ去っていく。
 スポーツ観戦でもしているかのような軽口調で実況中継している琢巳を、近くの席に座っていた遥は斜に見上げた。
「なんだ、遥。気になんのか」
「全く。俺には関係ない」
「あっそ」
 物言いたげな一瞥をくれてから、琢巳は視線を戻す。
「粘ってんなー。あ、とうとう携帯取り出した。根負けしちゃってんじゃん、榊の奴」
「葵ってば、結局みんなに教える羽目になってるみたいだよ。本人は友達増えたと思えばいいしょ、なんてボケ発言してたけど」
 しょーがねー奴だな、と琢巳を亜理紗は笑い飛ばす。その間もずっと、遥はむくれた顔で座っていた。
「本当に気になんねーのか」
 笑いを収めて、今度は真面目に問い掛けてくる。葵が離れていってからというものの、明らかに苛立っている。両者の気持ちが判るだけに、友人として放っては置けない。
「しつこい」
 一段階不機嫌に輪をかけ、遥は呟く。強がりだ。素直に認めれば――自分自身の心にも素直になれば――いいものを、と思う。内にも外にも鈍感過ぎるのだ。
「だよな。振っといて気になります、なんて虫が良すぎるもんな」
 あからさまに棘のある、実直な言葉を琢巳は投げ付けた。睨み合いに、亜理紗が割って入る。互いにそっぽを向く二人の間に立って、亜理紗は小さく溜息を吐いた。そして遥に向かって静かに、真摯に言う。
「いずれ、葵は誰かと付き合うことになるよ。その時はちゃんと、祝福してあげてよね?」


[短編掲載中]