翌日、葵は三時限目から登校した。
 亜理紗と琢巳にはちゃんと朝一で連絡が入っていて、心配を通り越して腹が立っていた。いくらなんでも、徹底しすぎだと。文句の一つも言いたくなる。
 が、着座するなり亜理紗の気遣いの質問攻めに遭い、加えて、調理実習には間に合うように来るあたり「らしいよね」とからかわれ、たじろぐ葵を見ているうちに、責めること自体が馬鹿らしくなってしまった。大事に至らなくて良かったじゃないか、と。
 とにかく良かったよ、と亜理紗が落ち着いたのを見計らって、遥は気軽に挨拶を投げ掛けた。
 押して駄目なら引いてみな、でもないが、葵の頑なな態度に対抗するには騒ぎ立てず、自分だけは今まで通り接していくのが得策に思えていた。というか、それしか思い浮かばなかった。とも言う。
 なんにせよ、こちらには元通りになりたいんだという意思表示をしていく他なかった。挫けず継続していけば路は啓かれる、などと根拠のない悟りを貫こうとしていたのだが。
 挨拶を投げた直後、さっと顔色が変化するのを、目の当たりにした。昨日同様、戸惑いと驚愕が全面に出ている。
「えっ、っと…なんで、紺野くん?」
 また名字呼びだ。また「なんで」だ。
 流石に顔をしかめずにはいられない。なんの冗談だよ?
「どうしたっ?葵っ?」
 亜理紗が葵の肩を掴んで揺さぶる。琢巳も阿呆面でポカンと口を開けていた。少しも悪びれた様子がない葵は、いたって真面目に不思議がっている。
「どうした、って?」
「だって呼び方…」
 葵がふざけていないことを亜理紗も承知していて、彼女が真摯に口走っていることに当惑していた。
「下の名前で呼ぶことも、止めたってこと?」
 それはいくらなんでも遣り過ぎじゃないの、と続きそうだ。いっそ、言ってくれたらいいのにと、遥は思ってしまった。
「へっ?なに言ってんの。下の名前でなんて、呼んだことないよっ?」
 葵を囲む三人が、固まった。言葉を失う。本気で驚いているようだが、こちらも本気で驚き入っている。なに言ってんの、はこっちの台詞だ。
「あんた、頭打っておかしくなっちゃったんじゃないの!?」
 わずかに亜理紗の声が大きくなった。
「失礼なこと言わないで」
 おでこにあてられた亜理紗の手を退けながら、葵はむっと眉を寄せる。「柴ちゃんこそ、変なこと言わないでくれる?あたしは正気。大真面目」
 口を尖らせていても、言ってる言葉に茶化しや偽りがあるようには見えない。
「葵にとって、紺野はどんな存在?」
 まずは落ち着こう、とでもいうような面持ちで亜理紗はトーンを平らにした。
「へ?」
 素っ頓狂な声をあげた葵に対して、亜理紗は質実な態度を崩さない。葵は相手がふざけていないことが判り、そっと肩を竦めた。観念して息を吐く。
「同じ中学出身でクラスメイト。あ、部活も一緒」
 淡々と、国語の授業で答えを連ねるように葵は述べた。
「それだけ?」
「うん?…そうだよ。それだけ」
「家に遊びに行ったことは?街に出掛けたことは?お互いの誕生会を毎年してることは?ついこの前、葵のしたよね?覚えてないの?」
 畳み掛ける亜理紗に気圧されているものの、きょとんとした態度は変化なし。
「柴ちゃんや琢巳くんとはよく遊んでるよね。でも…紺野くんはいなかったよ?仲良くないし」
 言葉が突き刺さる。鋭い矢となって、遥を貫いていた。
 ただのクラスメイト。ただの部活仲間。それ以上でもそれ以下でもない。そこにあるだけの存在。葵の記憶の中に、友達である遥はいない。
 遥は葵の顔を凝視するだけで、声を出そうとすることすらなかった。出すべき言葉が見つからない。
「紺野のこと、好きだってことも?」
 数秒の間。葵の視線は亜理紗を見て、琢巳を見て、遥を見た。勢いよく逸らされる。またぞろ素っ頓狂な声を出して、赤面した。
「あああ有り得なくない!?」
 大いにどもって、己にけしかける勢いで続けた。
「だって、紺野くんは小西さんみたいな子がタイプだって騒いでたでしょ。背の小さい子がいいって。身長差無い上に、あたしじゃ真逆な性格だよっ?んな、わずかな望みもない相手を、好きになったりしないよぉ。ムボーなことはしない主義!柴ちゃんがよく知ってるじゃない」


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