二年前。柚乃は十四歳だった。アルバイトの募集は高校生以上。年齢を偽るのは得意とするところで、実際、あの頃で二つ掛け持ちできていたのだ。

「んで?」
「はい?」
 面接、と呼ぶにはあまりにも軽い空気の中進んでいた面談も終盤に差し掛かった頃、向かいに座る隆人が急に白けた声を出した。それまでは軽いながらも聞く体勢をとっていた雰囲気が、一気に拡散して消滅した。
「な、んでしょうか」
 テーブルに肘をつけ、上半身をずいと乗り出してくる。内側の隅まで覗こうとするような隆人の視線に尻込みした。
「実際は何歳なわけ」
「十六です。先ほども言ったと思いますが…」
 唐突に近づいた隆人に一瞬は怯んだものの、年齢詐称を貫くのは御手の物。動揺せずにさらりと返した自信はあった。
 だが自信は見抜いた隆人側にもあったようで。
「嘘とか、いらねーって」
 乱暴な物言いだが、苛ついてる様子ではなかった。どちらかといえば面白がっている風に見える。
「確かに、その話し方とかだと騙せるかもしんねーけどな、あんま大人を甘く見んなよ?」
 彼の中では完璧に結論が出ているのだろう。
 白露庵の佇まいを目にした時、惹かれた。店名を見て、それは更に膨れ上がった。近づいて店内を覗こうとしたら求人の貼り紙を見つけた。気づいたら面接の申し出をしていた。後先考えないでの行動をとっていた自分に、内心驚きながら。
 順調だと思ってたんだけど、な。落胆を見せず、この場を去る為の算段を頭の中で組み立て始める。
 外観は元より、店内も柚乃好みだった。後ろ髪を引かれるものの、決め付けてかかってくる相手に粘るのは得策じゃない。
「正直に言えば雇ってやる」
「ちょっと、隆人」
 隣のテーブルで面接の一部始終を見守っていた伊吹が思わず口を挟む。ふ、と笑音を洩らしたのは、隆人だ。
「偽るつもりなら、もっと徹底的にやれって。なんでその歳で働きたいんだ」
「自立資金を貯める為です」
 するりと、述べていた。意識の片隅で、嘘を貫いて店を出ろ、と指令が出ていたのにも関わらず。目の前の、不敵ともとれる隆人の笑みを見ていたら、偽っているのが急速に馬鹿らしくなっていた。
「家出でも企んでんのか」
「隆人ってば」
 諌めに入ろうとした伊吹を遮ったのは柚乃だった。
「あたし、施設で暮らしてます。いずれ出て、生計を立てていかなければいけません。なにをするにも先立つものが必要です。施設には頼れないから、今から少しずつ貯めようと思っています」
「施設?」
「児童養護施設です」
 隆人と伊吹が顔を見合わせ、考え耽るようにして黙り込んだ。可哀想な境遇だと哀れんでいる様子はない。どちらかといえば、企んでいる表情だ。なんてことを思っていると、二人の間で無言のままに結論が出たらしく。
「里親になるか、伊吹」
「そうね」
「はいっ?」
 素っ頓狂な声を発したのは柚乃だけで。
「なにをおっしゃってるんですか」
「だから、俺達が里親になるって言ってんだ。そーゆう仕組み、あんだろ」
「ありますけど……ではなくてっ。あたしはアルバイトの面接にきただけで、」
「里親見つけにきたわけじゃないもんねぇ?」
 伊吹はいたって暢気に口を挟んだ。
「捜してたんだよね、俺達。週末あたり何軒か行ってみようかって、話してたところなんだ。丁度いーじゃねーか」
 そうね、などと伊吹までもが同意して、置き去りにされるのは、矛先にいる柚乃だけだった。慌てて状況の把握を試みるのを余所に、二人は話を進めていこうとする。契約書があったなら、すぐにでも押印しそうな雰囲気すらあった。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ」
「うん?」
「説明してもらえませんか。なにがなんだか…」
 ふるふると頭を振って、そこを押せば整理がつくのだというように、柚乃はこめかみを指先で押した。
「需要と供給の関係だな」
「なんかそれ、殺伐としてない?仕事じゃないんだから」
 ずれた観点を伊吹が突っ込む。隆人は「判り易いと思ったんだけどなぁ」とのんびりしたものだ。
「俺達は子供がほしい。だけど出来ない。そこでだ」
 ぴっ、と人指し指を立てたかと思うと、柚乃の鼻先に突きつけた。
「君を施設から引き取って俺らが親になる。で、君はここに住んで、この店で働けばいい。高給は出せないが小遣いくらいなら出せる。三食寝床付きだ。どうだ」
 これ以上の名案は無いだろう?とでも言い出しそうな、自信に満ち溢れた態度だった。
「あの、ちょっと待って下さい。普通ないですよね。だって得体の知れない人間を、いきなり住まわせるわ雇うわ、ってしないですよね」
 目の前の二人の、あまりの普通っぷりに、思わず自分の感性がずれているのかと疑うも、即刻否定する。ずれているのは二人の方だ。飛び込みなんて慣れないことをするもんじゃないな、と後悔しても始まらない。自ら「得体の知れない人間」と言ってしまうほどに、焦っていた。
「一石二鳥だろ」隆人は飄々と言う。
「一石二鳥よね」伊吹も頷いて同意する。
「あの…っ」
 話がとんとん拍子に進んでいきそうで慌てるも、二人の中ではとっくに決まっている空気すら感じられた。
「二人はお子さんがほしいのですよね」
 とりあえず整理しませんか、という含みを込めて問う。実質、この場で混乱しているのは柚乃だけのようだったけれど。
「そう言ったな。うん」
 柚乃に合わせる為なのか、隆人は神妙な顔つきをとる。
「施設に行くことも考えていたんですよね」
「そうね。明日か明後日くらいには行ってたんじゃないかな」
「施設にはあたしなんかよりももっと小さい子はいます。一般的に、お子さんがほしい方というのは、こんな歳ではない、とあたしは思うのですが」
 数年前なら、それこそ、施設に入ったばかりの頃だったなら引く手数多だった。世間の同情は注目を集め、まるで犬や猫を引き取るくらいの軽い気持ちが大半を占めているのではないか、と疑問が拭い去れないほどの殺到ぶりだった。
 だからこそ園長は、柚乃をその時期に手放すことはしなかった。
 それが落ち着いた頃、本当に心から子供を欲している人が幾度も訪れては、いなくなっていった。頑なに拒否したのは柚乃だった。今の歳になって、売れ残りと陰口を叩かれようと、自分で選んだ路だと、柚乃は胸を張っている。
「かもな」隆人はあっさりと肯定した。
 脱力しそうになりながら続ける言葉も見当たらず、じっと目を見つめた。
「だってな」
 次の瞬間には二人は真摯な声質に切り換え、柚乃は身構えた。続く言葉に検討がつかない。二人は視線を柚乃に置き、声を揃えた。
「安賃金でコキ使える!」
 今度は軽口調だった。軽すぎて、本気なのか冗談なのか判断しかねる。柚乃は呆気にとられて口が半開きのまま凝固した。
「どうだ」
 咄嗟には意識の舵を取り直せずにいるうちに、隆人は続けた。
「その、胡散くさい笑顔をしないなら、雇ってやる」
 隆人の指摘に、心の水面が揺れた。今まで誰にも見抜かれたことなど無かった。まして指摘されたことなど。
 ――すさんで堕ちていくだけなら、安直な生き方だった。
 周囲も、その境遇であれば当然だ、とばかりに遠巻きに避けるだけの話だ。楽な方へと流れていればよかった。柚乃はその選択をとらなかった。突っ撥ねるよりは溶け込む偽りを身につけた方がいいと判断した。
 そうして、幼いながらも最良と信じて築き上げたものを、隆人はいとも簡単に見抜いてしまった。


[短編掲載中]