俺はタイミングの悪い人間なのか。これは神様の意地悪なのか。そうか。俺があまりにも完璧な人間だから、やっかんでいるんだな。そうかそうか。にしてもだ。あんまりだよなぁ。そう思わない?
 開店と同時にやって来て白露庵の指定席に座るなりボヤキを連発している真木瀬は、大体同じような内容を繰り返しては柚乃に同意を求めている。
 週末の昼下がり。店内は混んでいた。
 初めこそ律儀に突っ込みを入れては真木瀬の包囲網から柚乃を救い出していた隆人も、今では存在自体を丸無視して柚乃にも近づかないようにと指示を出していた。伊吹はひっきりなしに入ってくる注文に厨房に入りっぱなしだ。
「真木瀬さん、ごめんなさい。折角の休みに来てくれたのにゆっくり話もできなくて…」
 接客の合間をぬって柚乃が声をかける。
 騒然とする店内を奔走する二人が構ってくれないと判断すると大人しくなったものの、いじけた雰囲気をしょいだしたので堪らず声を掛けた。
「柚乃ちゃん、やさしー」
 泣き真似をする。
「ゆーの、ほっときゃいーんだ。二番テーブル、頼む」
 すかさず割って入ってくる隆人が目顔で後方を指した。
「了解です」
 素直に仕事に戻っていく背中を男二人は見送った。

 二番テーブルに着いた客はランチタイム終了間際に入ってきたので、オーダーが済めば後は出来上がった料理を運ぶだけだった。カウンターの客席側に廻った隆人は、真木瀬の隣を陣取ると、立ったまま背中をカウンターに預けた。腕を組み、接客する柚乃を眺める態をとる。
「そもそも。居場所がばれたのはお前の所為だ」
 隆人は、柚乃からは視線を外さず、真木瀬に平な声をぶつけた。
「俺の所為だ?言いがかり甚だしい」さも、自分は悪くないという口振りだ。「時間の問題だったろ」とは言いつつも、真木瀬は責任を感じているらしい。最後に小さく「たぶん」と加えた。
 隆人も伊吹も、柚乃の過去を、生い立ちを、細部までは聞いていない。傷に触れることだから、抉ることだから、本人から話そうとするまで待つと決めたから。話さないことを柚乃が後ろめたく思っていることも、判っていた。
「真木瀬」
「なんだよ」
「柚乃にとっての幸せって、なんだろうな」
「金さえあれば幸せになれるってわけじゃない」心意を汲んで先回りした回答をする。「なんだよ。自信ないのか」茶化すことは忘れない。
 珍しく反撃してこない隆人の横顔をちらり覗き見る。柚乃に向ける視線は、慈愛に満ち柔らかい。
 気持ちが弱っているのは、明白だった。誰もが同じだ。
 真木瀬は大袈裟に溜息を吐き、隆人に倣って柚乃を眺めた。
「俺はさ、ここにきたばかりの柚乃ちゃんを知ってるから、今のあの子を見てれば、判っちまうけどな。いい笑顔、するようになったよ。…お前らが傍にいるからなんじゃねーの?」
 思ってもみなかった真木瀬の台詞に、隆人は面食らう。真面目な顔つきのまま真木瀬は続けた。
「それに、あの子は苦労しているけど、それを悲観的には捉えてない。金が人を幸せにするんじゃない」
 同じ事を二度言う。普段から「ビンボー暇無しとはよく言ったもんだ」と不平を洩らしているとは思えない、颯爽とした語り口だった。
「柚乃は我慢が癖になってるんだ。やりたいこともほしいものも、我慢してる。それが当然だと、諦めてる」
 常とは少しだけ違う友人に引きずられて、隆人は愚痴めいた言い草を零す。もっと甘えてくれたらいいのに。心の底に横たわる願望が疼く。
「確かにな、あの子はなにかを欲しがったりしないよな」
「やりたいことをやるにはさ、やっぱ、先立つもんが必要なんだよ。やりたいことがあっても、言い出せない環境は我慢を強いてるだけだ」
 数秒後にはオーダーを取り終えた柚乃が戻ってきて、二人の前を素通りする。奥の厨房へ続く扉を半分だけ開け、顔だけを突っ込んだ。注文内容を伝達している。
 柚乃の意識がこちらにないことを確認して、柚乃を見たまま、隆人は隣の真木瀬に話し掛ける。
「血の繋がりは、重要か?」
「くそ喰らえ、じゃねーのかよ。…まさか、手放すってのか」
 真木瀬の声に警戒が滲んだ。
「遠くの親戚より近くの他人。ってのは…違うか」隆人は下らないことを言って乾いた笑いを洩らした。「実際は、近くにいた兄、だからな」
「手放したくないんだろ」
「俺のエゴで、柚乃を縛れってのか?」
「だな。お前のエゴでしかない」
「本気で思ってたさ。血の繋がりなんて、って。柚乃の、あの瞬間の顔見るまでは、な。あんな顔見ちゃったら、もう言えねーって。俺さ、自信あったんだよな。いつか柚乃が、心開いてくれて、俺達を本当の家族だって思ってくれるって」
「昔っから、根拠の無い自信家だったよな。そーいえば」
 何を思い出したのか、真木瀬はくくくっと短く笑った。
「お前さ、少しは人を労わる気持ちってのがねーのかよ」
「相手が望むなら。今、俺が相手している旧友は、それを必要としていない」真木瀬は断言する。
「勝手に決めんな」
 意外にも鋭い友人に、隆人は内心驚いていた。
「ふぅん」
 真木瀬は関心があるようで、呆れてるような相槌を打つ。
「結論を出すのは柚乃なんだ、よな」
 歯切れ悪く綴る隆人は、口にすることで整理をつけようとしているみたいだった。
「らしくねーな、隆人。父親になろーって人間が、うじうじ鬱陶しいんだよ」
 真木瀬は手を振って払う仕草をとる。
「うるせーよ」
 お前なんかと話すんじゃなかった、とぼやく。
「んだよ。そっちからふってきたんだろーが」
 負けず、真木瀬も不満げにぼやいた。

 最後の客(真木瀬除く)を隆人が外に出て見送って、ランチタイムが終了した。表に出していたランチメニューを書いた黒板を店内に運び込む。テーブルを拭いて廻っていた柚乃がカウンター席に帰ってきて、カウンター席周辺に勢揃いした。
「あー、死ぬかと思った」
 うんざり口調とは裏腹に、伊吹は清々しく笑う。忙しいのが性に合ってるの、というのが彼女の口癖だ。
「伊吹さん、食器洗いあたしやりますから、座ってて下さいね」
「あとで一緒にやろ。一人じゃ大変よぉ?」
 洗いながらランチに対応していたとはいえ、限りある食器でよく廻せたもんだと感心する。ラストオーダーの後は調理に専念したおかげで、その後の食器が山のように溜まっていた。白露庵内総動員だ。
「あたしやります。水仕事で躯冷やしたら大変です」
「柚乃ちゃんってさ、若いのにそーゆうことよく知ってるよねー?」
 真木瀬は褒めるとも揶揄するともつかない顔つきをとる。
「若年寄とか、言わないで下さいね」
「いやー。ほんと、お嫁さんにしたい」
「どうしてもそっちの方向になるんですね」
「俺、素直だからさ。人間素直が一番よ?」
 冗談めかしているのに、どこか真剣味が見え隠れしていて、柚乃はどきりとする。
「そうですね」曖昧に笑って誤魔化す。「さて、と。あたし片付け入りまーす」
 そそくさと厨房に足を向けかけて、隆人に正面からぐっと肩を押された。真木瀬の隣に逆戻りしてしまう。
「とりあえず休憩だ」
 隆人は柚乃の手から布巾を取り上げる。見ると、入口に掛けているプレートが「OPEN」の面を店内に見せていた。裏表を引っくり返して使用しているものなので、外には「CLOSE」が出ているということだ。さっき黒板を仕舞う時にでも引っくり返したのだろう。
 ちらりと時計に目がいき、隆人に台詞を先取りされた。
「時間早いとかゆーなよ。俺は疲れた。休憩だ、休憩」
「ほんとにお前は、やる気があんだか判んねー奴だな」真木瀬が呆れた声を出す。「あ、柚乃ちゃんさ。俺がいない間にどっか行っちゃわないでくれよ?」
 一瞬何のことかと疑問符を浮かべたが、すぐに合点がいく。開店と同時に、というよりは準備時間の早い時から白露庵にやってきた真木瀬は、出張で数日店にはこられないと、挨拶めいたものを言いに来たのだった。
 基本忙しい職種なので、出張がなくとも来られない日が続くことはざらである。わざわざ時間を割いて朝っぱらから「神様は…」などとぼやいているのは、朔が尋ねてきたことを知ったからだった。
「ここを出る時は、俺の嫁になる時だ」
「またそれか」
 隆人の突っ込みには疲労が蓄積していた。
「今度はどこに出張ですか?」
 話題を戻されないように矛先を別に向ける。朔のことでは、動揺が表面化してしまう。
「柚乃ちゃんさ、最近普通にかわすようになったね?」まぁいいけど、と足し、「京都」と素っ気無く答える。
「いいですね、京都。お土産待ってます」
 立場上出張の頻度が多い真木瀬は、どこかへ行く度に柚乃と伊吹には土産を買ってくる。ちなみに隆人には一度もない。白露庵に、と言って酒を買ってきては、自ら飲みきったりする。
「なにがいい?」
「冗談です。いつももらってばかりなので、申し訳ないです」
 慌てて顔の前で手を振った。言い馴れない冗談は口にするもんじゃない。
「なんでもいいよ。柚乃ちゃんの欲しいもの買ってくる」
「いえ、本当に」
 真木瀬は嬉しそうに喰い下がる。
「遠慮は無用。どっちにしても買ってくるんだから、好きなものリクエストしとけよ」
 気だるそうに口を挟む隆人に、お前には言ってない、と真木瀬は一瞥をくれた。
「じゃあ、気をつけて行ってきて、無事に帰ってきて下さい」
「柚乃ちゃん……やっぱ俺と結婚しよう!いいよー、こんなお嫁さん求むだよ、俺は」
 隆人は、柚乃の手をとる真木瀬の手首目掛けて手刀を振り落とす。気持ちいいくらいの快音が響いた。
「柚乃は優しいから、相手がお前じゃなくても同じこと言う」
「え。そうなの?」
 真木瀬は残念そうに言っているが、ちっとも残念そうじゃなかった。本当に、どこまで本気なのか掴めない人だなと、内心で苦笑する。
「まぁ、そうですね。同じこと言いますね、きっと」
「えー。まじかよぉ」
 大仰に落胆して見せてもいるが、ちっとも落胆していないようだった。


[短編掲載中]