素直に謝罪を出せば、途端に雅司は興を見つけた顔になった。そうなると智姫の側では元来の負けん気の強さがむくむくと起き出して、反発心が目覚める。
「で、今日はなにしにここに来たわけ?」
 仕事する気は無かったでしょ、と言外に匂わす。
 たいていが何をするでもなくやって来ては、仕事もせずに居座っている。智姫に怒られても痛くも痒くもないらしく、怒らせて楽しんでいる節は否めない。
「暇潰し?」
 雅司はおどけて甘えた声を出す。
 彼の周囲にいるタイプの子であれば、そんな態度で即刻許してしまうのだろうけれど、生憎智姫にはそんな性分の持ち合わせはない。
 む、と眉根を寄せて鋭い視線を刺す。
「怒るよ」
「うそうそ」こえー、と肩を竦めた。「待ち合わせまで時間があるから、時間潰し?」
 全く真剣味が無く、呆れて大きく息を吐く。糠に釘、とは判り易い表現をしたものだ。
「五十歩百歩。それなら教室にでも居ればいいでしょ。ここに待ち合わせのオブジェがあるわけでもないんだし」
 一向に書類と向き合う姿勢が見えない。やれば出来るのに、やろうとしないタイプの典型だった。
「つれないこと言うなって。独りぼっちは寂しいだろ」
「はいはい」
 まともに相手をしているのが馬鹿らしくなってくる。
 調子者の性格の所為なのか、雅司は友人が多い。本人も把握しきれてないのではないだろうか、というくらいに多い。その友好範囲は他校にまで及ぶ。
 放課後だろうが休み時間だろうが、彼が一人でいる姿など、見たことがなかった。
「邪魔だけはしないでよね」
「智姫が冷たい」雅司は泣き真似する。
「自業自得よ。やることやんない奴には厳しいの」百花は援護射撃を容赦なく浴びせた。
 本気でへこむ性質は持ち合わせていない雅司は、早々に舵をきり直す。
「ところでさ、受験ん時の消しゴムのって、智姫だろ? ここいらで認めない?」
「また、それ? しつこいって」
 その話題を持ち出される度、少し動揺してしまう。最初の頃に比べれば、数段それと知られないように誤魔化すのも巧くなったけれど。
 目線を合わせてしまえば見透かされてしまうかもしれない。などという懼れを悟られないように、書面から目線も上げずに返答する。そんな智姫に代わり、百花が口を挟んだ。
「最上弟が受験当日消しゴム失くした、ってやつ?」
「そう、それ。それだけは俺とシュウの意見が合うんだよなぁ。絶対あれは智姫だ」
「根拠なし。ついさっき見分けがつかないって言ってたばっかでしょ」
「髪型が同じだったら、って仮定の話だろー。あん時のは絶対智姫!」
 この高校に合格して知り合って、秀司も雅司も何度か話題に上げてくる。雅司は決め付けて言い、秀司は確信を持ちたいのだという風に。
「記憶違いかもしれない、とか疑ったりしないわけ?受験の日なんて初対面だよ?だいたいね、本人達がそう言ってんだから、そうなの」
 言い切り、己の中で罪悪感に似た感情が疼く。
 嘘を、ついていた。些細なことかもしれない。そうではないかもしれない。その判断は、智姫がすることではなかった。
 罪悪感はきっと、詩姫に対する割合が大きい。妹を巻き込んで嘘を吐かせている。
 でも、仕方なかった。
 そう思うしかなく、思い込むしかない。
 詩姫の為、なのかもしれないんだから。
 産まれた瞬間から智姫は詩姫の姉であり、育った環境でその認識は根強く成長させられている。
 ――智姫はお姉ちゃんなんだから。
 幾度となく両親の口から出た台詞。何かの度に、何かを言う前に、後に、付けられた台詞。
 我慢することも、譲ることも、慣れた。当たり前で、普通のことだった。
 自分は姉だから。
 妹は護るべき大切な存在。望むことは出来うる限りで叶えてあげたい。そうやって生きてきたから、それを苦とは思っていなかった。
 だから、事実に蓋をして、咄嗟に嘘をついたことを、後悔などしていない。

 真実は、彼らの言う通り。それは闇に、葬るべきもの。


[短編掲載中]