クラス分けが貼り出された掲示板の前で、消しゴムを渡した彼も合格していたことを知った。
 詩姫と並んで立っていた智姫からは離れた位置にいて、友人達と盛り上がっている。その笑顔から、目が離せなかった。
「ちーちゃん、クラス離れちゃったね…。――ちーちゃん?」
 袖口を引っ張られる感触と共に名前を呼ばれて、慌てて顔を向けた。
「へ?…ああ、うん。離れちゃったね。仕方ないよ、同じクラスじゃややこしくなるからじゃない?」
「そーかもしんないけどさぁ」
 ぷう、と頬を膨らませてむくれる。こういう子供っぽい仕草を自然にやって可愛いと形容詞がつけられるのは詩姫の専売特許で、智姫には逆立ちしても真似できない部分だった。
 直前まで向けていた視線の矛先が妹にばれていなかったことに胸を撫で下ろし、少し落ち着かなくなった心地を誤魔化す為に詩姫にじゃれついた。
 膨らんだ頬を指で押し、それをくすぐったそうにかわそうと動いていた詩姫が、動きを止めた。一点に目線を置いている。
「詩姫?」
 辿るように見遣り、鼓動が脈打つ。詩姫が見つめるのは、智姫がつい先ほどまで視線を貼り付けていた場所。
「あの人、格好いいね」
 街中で、擦れ違った人を見て述べるくらいの軽い語調だった。実際、それくらい気軽に発しているのだと想像をつけても、ささめきだした鼓動は気持ちを落ち着かなくさせた。
 詩姫が、率先してこういうことを口にするタイプではないからかもしれない。
「ね、ちーちゃん。そう思わない?あんな人が彼氏だったら自慢できそう」
「…ん、だね…」
 半ば茫然と返す。双子だから通じるものは確かにあって。
 性格の違いは多々あるけれど、好みが共通することは多かった。不快に感じることはなかったし、むしろ嬉しかった。
 けれど今は、小さなしこりのような暗いものが、ずしりと心の奥に滞留した気分。
 それは、予感。
 詩姫が彼を好きになるかもしれない。――そんな予感。
 動揺していることを詩姫に悟られる前にこの場から離れるべきだ、と動こうとして、彼と視線がかち合った。
 智姫が逸らすよりも早く彼は動き出し、彼が動き出したことで詩姫が注視し、彼が自分たちを目指して近づいてくるのを知り、掴んできた妹の手に、智姫はそこから動けなくなってしまった。
 顔が明瞭に判別できる距離まで近づいた時点で、姉妹の顔を見比べた。瞬間、戸惑いを浮かべ、更に距離を縮めた時には智姫の真正面に立った。
 ここまでしっかりと視線を合わせてしまったら、逃げ出すことは叶わなくなる。
「受かってたんだ。よかった。あの時は消しゴム、ありがとな」
 ふわ、と笑まれ、顔で熱が弾けた。同じ歳とは思えない落ち着いた雰囲気があって、惹き込まれそうになる。
 詩姫は二人の顔を交互に見、智姫は凝固したまま。
 返答を得られないことで、彼は困惑していた。
「えっと、あの…」
「ちーちゃん?」
 彼を放置もできず、詩姫は姉の顔を覗き込んだ。
「え、あ…」
 慌てて意識の舵を取り戻し、改めて向かい合う。
 智姫から伝染したかは判然としないが、彼も落ち着きを失くしていた。往々にして、初対面同様の相手に話し掛けるという行為は相応の勇気を要する。その影響もあるのだろう。
「じゃ、じゃあ、また」
 彼は引き止める間もなく去っていってしまった。
 後ろ姿が見えなくなり、また袖口を引っ張られ、詩姫の方を見る。
「消しゴムのって、ちーちゃんが話してたやつでしょ? 忘れちゃったの?」
 彼だったんだねー、とどこか嬉しそうに言い加える。
「忘れてはないんだけど…。ね、お願いなんだけど、あれ、詩姫ってことにしてくれない?」
「え、どうして」
 純粋に疑問をぶつけられれば、回答を用意していないだけに窮してしまう。わずかな時間に様々なことを考えたところで、所詮最適な答えなど産まれる筈はなく。
「なんか、ちょっと、あの人苦手…かも」
 咄嗟に心にもないことが口をついて出ただけだった。
「そう?…そうかなぁ?」
 詩姫は不思議そうに首を捻り、訂正しそうになるのを堪えた。

 この時点なら、どうにでもなると、高を括っていた。
 自分の気持ちにコントロールをつけられるのだと。いずれ詩姫が彼を好きになるかもしれない。そんな確信のないことが過ぎっただけで、智姫は強固な予防線を張った。
 詩姫が好きになるかもしれない相手を、気にかけるわけにはいかない。己にも同等の想いが芽生えてしまうことは、あってはならない。
 妹が大事で、悲しませることはしたくない。なんのわだかまりもなく、応援する立場でありたい。
 自分は詩姫の、姉なのだから。

 予感は少しずつ、現実味を帯びていった。
 消しゴムの彼――最上秀司には双子の兄がいて、双子同士の仲間意識みたいなものなのか、仲良くなるまでに時間は掛からなかった。
 秀司は入学式当日にバスケ部に入部届けを出し、詩姫は入学して一ヶ月と経たない内にバスケ部のマネージャーになった。


[短編掲載中]