結局、あれやこれや手をつけていたら、陽が翳る時刻となってしまった。生徒会室の鍵を職員室に戻し玄関へと向かう。屋内の部活動も終了しているらしく、廊下に響くのは自身の足音だけだった。
 人声はどこからか遠くにあるくらいで、さっと見渡す限りで人影は見当たらない。
「ちー」
 下駄箱の陰から秀司が姿をみせる。誰もいないと勝手に決め付けていただけに瞬間は驚いたものの、声の主が纏う空気にすぐさま馴染んだ。
 雅司にはばれていた自分の気持ち。観念して認めたけれど、誰にも言わないようにと念押しはしっかりしておいた。
 今ならまだ、摘んでしまえる想いだから。摘んでしまわなければいけなくなった時に、少しでも自身に穿たれる傷が浅くて済むようにしておきたかった。
 詩姫と同じく好きになって、互いに譲り合わない状況など、あってはならない。自分は詩姫を相手にした時、我を通すことをしてはいけない。もう二度と。
「今帰り?他のメンバーは?」
「俺だけ居残ってたんだ。シュートフォーム変えたらなかなか馴染んでくれなくてさ。部活はとっくに解散してるよ。一緒に帰ろ?」
 帰宅時間が揃えば電車通学だから一緒に帰る。秀司とは部活終了が重なることが多く、その機会も多かった。
 雅司の指摘があったばかりだから、変に意識してしまう。ぎこちなくなっていないことを、祈るしかない。
 靴を履き替え、何気ない日常の話をする。平常心の返しができている、と自分では思っているけれど、秀司にはどう映っているのかと心地は落ち着きそうになかった。
 校門を出たところで、秀司が「わぁっ!?」と素っ頓狂な声をあげ、後方にずれた。衝撃に圧された形だと瞬時に判り、前方不注意でぶつかってしまったのかと目視する。
 秀司の両腕が所在無く中途半端に浮いている。彫刻の如く、固まっていた。他校の制服を着た女の子に抱きつかれる格好で。
「ああああの!?」
 秀司の上擦った声が放たれる。自身のそれを合図に、わたわたと両腕が動きだす。引き離すべきだと脳内では判断していても、容易に異性に触れるのは良くないとしているような動きだった。
 慌てふためく秀司と、人前に構わず抱きつく少女を数秒観察し、ひとつの結論を持つ。単純な人違いだ。
「あ、あの!俺は雅司じゃなくてっ…!」
「嘘!?」
 がば、と一瞬だけ顔を上げるも、顔を確認し、ぶすくれる。
「雅司じゃない! 冗談やめてよー」と、元の位置に顔を埋め直した。
「いや、あの、ほんとに違くて…っ」
 ――男なんて抱きついときゃおちる。
 不意に雅司の戯言が過ぎり、やっぱりあれは戯言でしかないじゃないか、と確信を得る。
 強引に払うこともできない秀司は救いを求める眼差しで智姫を見てくる。
「あたしが言って信じるかなぁ」
 のんびりと肩を竦めると秀司は泣きそうな声で智姫の名前を呼んだ。
 本気で困窮しているが、同様のことは今回が初めてではなかった。同じような目に何度も遭っているくせに、慣れないらしい。
 説明するのは簡単だけれど、相手が素直に信じてくれないのが常だった。言葉を選んでいる隙に、突き刺す視線に気づく。変わらす秀司にくっついたまま、智姫に睨みをきかせていた。
「誰、この子」
 まるでヤキモチ妬きの恋人の口振りだ。敵意を剥き出しにされても困る、とは口にしない。
 現在雅司には彼女がいない。と、聞いてもいないのに本人から報告を受けていた。たぶん彼女の座を狙っている一人なのだろう。
 人違いとはいえ秀司に気軽に抱きついている貴女にむっときてるよ、とは表面に出せず。あくまで冷静に対応しようとして「あっ」に濁点をつけた声をあげてしまった。


[短編掲載中]