当人がすぐそこにいる状況で気軽に挙げているのだから、普段から出ている話題なのかもしれない。
 高校に入学するまでバスケに興味もなかった詩姫が、入学してすぐにマネージャーに志願した。
 クラス発表で秀司に興味を惹かれていた。
 智姫にもあった推測が、明らかにされる時がきているのだろうか。目を逸らして逃げることは、叶わない時期にきているのだろうか。
 いや、だ…っ!
 知りたくない。強く願ったのは、それだった。
 内情を押し込めて、素知らぬ顔を作る。注視する視線達を順繰りに見返した。
「この中に詩姫の好きな人がいるとかは別にして、気に掛けるってことは、詩姫を好きな人がこの中にいるってこと?」
 微妙な空気が流れる。図星のような、違うような。ふ、と笑音を洩らし、声のトーンを若干持ち上げた。
「あたしが認めないと詩姫の彼氏にはなれないから。覚悟決めて挑んで?」
 鬼会長という不名誉な呼び声には、体術も含まれている筈だ。少しくらいは牽制になるだろうか。
 もちろん、詩姫が本当に好きになった相手なら、祝福するつもりではいる。頭の中では、そう理想を描いている。
 挑む視線を一同に巡らせたら、「怖えぇ。絶対無理」とあがった。
「それでいい」と智姫が胸をはって、笑いが起きた。

 電車を降りて最寄駅から先は北條姉妹だけの道程となる。道すがら、その日にあった日常のささいなことを話していて、ふと途切れた。
 詩姫が急に黙り込み、口を引き結んでいる。名を呼ぼうとして、視線が合った。その真摯な色に、嫌な予感が這い上がる。
「――気になる人がいる、っていうのは、ほんと」
 え、とたじろぐ他ない。
「そ、それって…バスケ部に?」
 智姫が強制終了させた話の続きだと判る。
 話題を打ち切った理由を、詩姫への助勢と判断しているのかもしれない。今までが、そうだったから。詩姫が困っている時に助けるのは、智姫の役目だった。
 だから答えを伝えることは、それへの、せめてもの礼儀と考えているのだろうか。
「内緒。…でも、同じ学年っていうのは、言っておく」
 詩姫の表情で、そこまで言うのが精一杯なのだと判る。耳に残された後では遅すぎるけれど、できるものなら聞かなかったことにしたかった。律儀に礼儀など、しなくてよかったのに。
 あの瞬間、智姫が助けたかったのは、自分自身だった。これまでと違うその事実に、嫌悪感が込み上げる。
 詩姫の懸命な告白を、黙殺できない。できないが、問いたくないのが本音だった。本音を押し潰して、問う。
「いつ、から?」
「入学してすぐかな」
 淀みなく返ってくる。本当は、聞いてほしいのかもしれない。
「ずっと片想いしてきたってこと?」
 恥ずかしげに、詩姫は頷いた。智姫が抱いていた推察は、今現実味を帯びて、確信へと変貌する。
「応援してくれる?」
 幼い頃から、それこそ、産まれおちた瞬間から、幾度となく見てきた表情だった。お願いがある時に、姉に頼る時に、見せる顔。
 愛しくて、信頼されている誇りすら感じさせた顔。
 頼られる度嬉しくて、自分が特別に思えて、幸せな気持ちにさせてくれた顔。
 それが今、苦しくて仕方なかった。一番見たくなかった。
「ちーちゃん?」
 不安げな詩姫の声に、我を取り戻す。
 頭の中では何度も繰り返してきた。祝福するのだと、応援するのだと。相手が誰であっても、妹が望むなら背中を押してやろうと。
 その為に、詩姫が誰を好きになってもいいように、詩姫が好きになる可能性のある誰かを好きになってしまわぬように、生きてきた。心に蓋を、してきたというのに。
 雅司に指摘されたことによって、強く自覚してしまった己の想い。
 ――押し潰さなきゃ。
 詩姫はずっと、自分が護るべき対象だった。
 ――消滅、させなきゃ。
 悲しませてはいけない大事な家族。傷つけるのが、自分であってはならない。あの時が、最初で最後だ。
 ――まだ、大丈夫。
 震える内情が表面化しないよう祈りながら、小さく深く深呼吸した。穏やかに緩やかに、を脳内に描き、妹に対峙する。
「もちろん」
 搾り出した声は、平常時のそれと同じに吐き出せた。
 詩姫の不安げな表情は一変し、首に腕を絡ませ抱きついてきた。
「ありがとう、ちーちゃん!」
 嬉々とした声に、これでよかったのだと己に言い聞かせた。


[短編掲載中]