「妹が心配なんだろ。坂巻みたいなのがうろついてて一人で帰らすのがさ。んで、堅物だったら送り狼になる可能性がないから安心、と」
 詩姫の表情は曇ったまま。雅司が適当なことを言ったところで、聞き入れられるものでもない。そんなことを期待して雅司を訪ねてきたわけでもないのだろう。
「智姫に、んな顔見せんなよ?」
 放っておけばどんどん沈んでいきそうで、笑顔で茶化す。
 詩姫のおかげで智姫の珍妙な言動の答えは掴めたが、これは口にすべきではない。
 そしてもう一つ。現段階では噂の域を出ていないのだが、いくつもの目撃情報が寄せられていて、これまた腑に落ちずにいる。これに関してはその情報すら詩姫の耳には入っていないようなので、触れずにおくのが良案と判断しておく。詩姫の不安を煽ったところで誰の得にもなりはしない。
「見せてないよぉ。心配させたくないもん」
「だろうな」
 むう、と唇を尖らせ雅司に批難の目を向けてくる。
 変わったと感じるが、どこがと問われれば答えられない不明瞭さ。彼女自身も明言できる言葉すら見つけられず、もどかしさを覚えているようだ。
「ちーちゃんがおかしい感じはしない?」
 詩姫は話を冒頭に戻し、同じことを問う。残念ながら、現時点で詩姫の望む解答を与えるわけにはいかなかった。片眉を上げて「俺には判らない」と示すと、詩姫は落胆した。
「それってあれだろ?勘みたいなもんだろ?フィーリング、とでもいうか。双子ゆえに通じる、ってやつ」
 友人としてもどかしさくらいは取り除いてやろうと、せめてもの助言を呈す。喰い付きよろしく、ぱっと顔色を明るくした。
 共鳴してくれる誰かの存在は、心細さでいっぱいの彼女に少しくらいは救いとなったらしい。
「判ってくれる?」
「感覚的には。けど、智姫の変化は俺には判らんよ。気のせいじゃないのか?」
「そう言われれば強く否定はできないんだけど…。やなんだよね、今の状態」
 喧嘩をしたのであれば原因の特定は容易。己の勘だけが原因だというのでは、解決の糸口すら見つけられない。
「気にしすぎ、ってことにしとけ。はっきりしてないんだから、今んとこ」
「……うん…」
 納得いってはいないが、どうにもならない現状に詩姫は渋々了承した。
 詩姫の表情と、智姫の表情と。数分の差で自分を訪れた姉妹の様子を思い返す。
「俺はなんでも相談室かよ…」
 思わず小さくぼやく。面倒事は嫌いだ。これが友人達のことでなければ、真っ先に回避に動いていた。
「マサくん?」
 ぼやきを拾ってしまったらしい。きょとんと覗き込まれる。
 なんでもない、と首を振ったちょうど、チャイムが鳴った。


 授業の内容は華麗に頭の中を通り抜けていった。見事なまでの、右から左。
 普段から熱心に受けているわけではないが、今はふりを取るのも忘れるくらい思考に没頭していた。否、没頭ではなく、強制的に思考が傾いている。
 数日前、数名の取り巻きと校内に乗り込んできた坂巻は、以降学校周辺で姿を目撃されるようになった。
 そもそもの発端は、坂巻の通う高校にも雅司の友好範囲は及んでおり、それが気に喰わなかったらしい。以前より、坂巻が雅司の存在をよく思っていないというのは耳にしていたが、気に留めもしなかった。
 平たく言えば、やっかみ僻みの類だ。いちいち相手になんかしてらんない。
 坂巻に面識は無かったし、直接なんらかの損失を与えた事実もない。鼻につくから掣肘してやろうという魂胆がみえみえで。
 実際、そのつもりで乗り込んできたのだろうが、数日経過した現在、接触はない。少なくとも、当初の標的であった雅司には。
 では他に理由ができたのか?
 おそらくイエス。だが、知る術はない。
 もともとの標的であった雅司から接触すべきではなかったし、標的から外れたのであれば波風立てることをする必要もない。が、代わりにというか、智姫が坂巻と一緒にいるとの目撃情報が、まことしやかに囁かれている。詩姫の耳に入っていないのは、不幸中の幸いと称してもいい。
 姿を見せる坂巻に教師陣は警戒を強めているが、門外にいて何もしてこないものを追い払うわけにもいかず、様子窺いのまま日数だけが重なっていた。
 詩姫の推測は、たぶん外れだ。智姫は無責任ではないが、会長の立場で煩わされてはいない。詩姫と話して、確信を得た。
 他に原因はあって、もがいている。
 詩姫が相談にくるほんの数分前、智姫は雅司に頼みがあると言ってきた。頼み事をすること自体に驚きもしたが、その内容にも驚かされた。
 あまりにも真剣すぎて、一蹴するのも憚られるくらいで。
「変なこと言うかもだけど、真剣に聞いてよね」と前置きして、智姫は真摯な瞳をひたと据えた。
 対する雅司は常の態度を崩さず身構えずにいたのだが、
「秀司に嫌われるように仕向けてくれない?」
 続いた依頼内容に、開いた口が開きぱなしになった。それは日本語か? と疑うくらいに理解不能。
「は?」
「仕向ける、ってゆーか、手伝ってほしい」
「はぁっ?今日は四月一日か?」
 真意が汲めなくて、咄嗟に揶揄を返していた。これはなんの戯れだ?
「大真面目な話。真面目に聞いて」
「だってお前さ、シュウのこと好、」
 ばしん、と快音。遅れて痛みが走る。智姫は手にしていた教科書で雅司の口に栓をした。
「馬鹿っ!!」
 少々力みすぎじゃないのか、と文句の一つも言ってやりたくなったが、智姫にも自覚があったらしいので飲み込んだ。
「……理由は?」
「言わない。こんなこと頼めるの、雅司しかいないんだ」
 雅司が秀司の兄だから。近くにいる存在だからこそ。
「嫌いになったとか?」
 有り得ないよな、と孕ませた。智姫は明言を避け、じっと見つめてくる。しばらく智姫を見つめ返してみたが、やっぱり意図は汲み取れず。
「まったくもって、意味判んねぇ。自分が納得いかないもんに協力なんてできっかよ」
 苛立ちを込めて息を吐く。事情と原因をきちんと話せば考えるぞ、と言外に匂わせてみたが、智姫は唇を引き結んだ。
 数秒間黙り込み、きゅっと顔を上げた。
「理由は言えない。手伝えないのなら、もういい。邪魔だけはしないで」
 乱暴に吐き捨て身を翻した。名前を呼んでも、その歩みが止まることはなかった。
 これまで、わざと怒らせるようなことを言ってからかってはきたが、今回ばかりは対処のしようが浮ばない怒りをぶつけられていた。
 半ば八つ当たりな態度に驚くばかりで、粘ってまで引き止める気は起きなかった。


[短編掲載中]