会長、と呼ばれ、書類に落としていた視線を上げた。なに、と聞き返すよりも早く、智姫が座る机の端に腰かけていた雅司がお行儀よろしく返事した。
 智姫に呼び掛けた生徒会役員も雅司の行動にうろたえることはない。受け流し方は慣れたもので。
「北條会長の方です」
 すみません、と儀礼的に付け加えたりするものだから、笑える。他の役員も百花も笑う中、雅司だけがぶすくれた。
「昨日のお話、どうなりました?日程が決定したようなら体育館を使用する部活への連絡をしようと思うのですが」
 練習試合の直談判しに来た時にはすでに今後の予定を脳内で組み立てていたのだろうな、と目の前の精悍な顔つきを見て想像する。会場としてはこちらの学校の体育館を使用させてほしい、というところまではこの生徒会室で話をしていた。
「具体的な日付はまだ調整中なんだけど、来月中の日曜日になる予定。一応各部活の顧問の先生方には打診しといて、外せない日があれば連絡もらう方向で話進めた方がいいかも。向こうの学校側は融通きくから、こっちに合わせるって方針だったし」
「判りました。書面作りますのであとでチェックしてもらっていいですか」
「そうしてくれると助かる。お願いします」
 笑顔で頷くと、生真面目な笑顔が返ってきた。時折堅物な面が顔を出す人物だが、仕事には信頼がおける。現行の役員達は優秀な面々が揃っていた。
 ひと悶着の頃に智姫が退任していたとしても、きっとこのメンバーであったなら、残った会長が雅司だったとしても運営に支障はなかったと推察できた。あの時は辞める覚悟は本気だったけれど、今となってはやはり続投できたことが嬉しい。生徒会長の立場で他の生徒とぶつかることはあっても、やっぱり性に合っていると自負していた。
 今日中に終わらせなければいけない案件が終了し、生徒会業務解散となった。鍵当番の智姫が皆を見送って、もう少しだけやれることに着手しようとして、
「にやけてんの?思い出し笑い?」
 智姫の視界に雅司の顔が入り込んでくる。至近距離を広げるべく、背もたれに背中を押し付けた。わざわざ上半身をよじって屈ませてまで顔を出す必要性が理解できない。
 愉しいネタ?と興味津々な文字が雅司の顔に書かれているようで、消しゴムをこすりつけてやりたくなる。
 日頃の智姫を知る男子の大半は、苦手意識を持って遠巻きに関わらないようにしている。こうして自らすすんで絡んでくる雅司は珍種に分類できた。必要以上に絡んでくるのは何が楽しいのか、智姫には理解不能だ。
「にやけてない。思い出し笑いしてない」
 実際には自分の表情が少し緩んでいたのは自覚していたけれど。認めると面倒臭いことになりかねないので嘘ぶく。
「昨日の、って、バスケ部の練習試合の、だよな?関西弁のにーちゃんが乗り込んできたやつ」
「ノセは同じ歳。にーちゃんではないよ」
 雅司にとってどうでもいい情報を言って、早々に話題を打ち切る方角へ導こうとする。この手の顔をしている時は長引かせない方が身の為だ、ということは経験をもって知っていた。
 が、頓着せずに続けるのが最上雅司という人間で。
「シュウにライバル出現、って感じだったな」雅司は茶化す気満々だ。
「馬鹿じゃないの」智姫は棒読みで一蹴する。
 目を合わせようものなら継続必至なので書面に落とした。身じろぎせずじっと見つめてくる雅司の視線を感じながら無視を続けること数秒、黙ってられなくなったか雅司が口を開いた。
「智姫ってさ、シュウが初彼氏なん?」
 さきほどよりもぐんと真剣みのある声色につい顔を上げてしまった。質問が馬鹿馬鹿しい類だと判っていながら、どうしてそう思うのかに興味を引かれた。
「付き合い出したとたんに、ぎこちなさ百倍くらいになってる」
 智姫の思考を汲んだかの素早さで雅司が接ぎ、その双眸の奥には案の定揶揄が垣間見えて辟易する。失敗した。妙な興味が沸いても無視すべきだった。
 こうなれば、これを機会に傍目からの意見を聞いておくのも手かもしれない。
「ぎこちない、かな」
 真っ向から否定できるほど無自覚にはなれなくて。促すようにして聞き返せば、揶揄継続了承と解釈した雅司は嬉しそうだ。
「手ぇとか繋ぐのでやっと、だろ?しかも恋人繋ぎじゃないし」
 自身の両手で指を絡ませる所作をとる。実践せずともどういうものかくらい、智姫にだって判る。
「どんな繋ぎ方だろうが本人同士がよければいいの」
「幼稚園児か、っての。つか、本人同士がよければ、ねぇ」
 気になる言い方をする。ほんと、こ憎たらしい。
 秀司がそんな話を、よりにもよって雅司にするとは思えない。含みある物言いには気づかなかったふりをする。
 とはいえ、やっぱり気になるものは気になる。秀司が直接不満を言ってくるタイプじゃないだけに、無理をさせてたり我慢を強いている可能性は充分有り得る。
「人は人、だろ」
 沈思しだした智姫を、落ち込ませてしまったと勘違いしたか、はしゃぎ過ぎて怒らせたと解釈したかは不明だが、雅司はフォローするようなことを口にした。斜に見上げれば、雅司に反省している色は無く、肩透かしをくう。
 智姫自身は怒っているわけでもないので、昨日覚えた引っ掛かりを問い掛けてみることにした。あの手の話題なら雅司がうってつけだ。
「あのさ、」
 口を開いたはいいが、なんと切り出したものか。いったん閉口し、慎重に言葉を選ぶ。
 ファミレスで声高に語っていた彼女達の感覚は、一般的なのだろうか。そういうことがこの歳になって無いのは、おかしいこと?
 何気なく、日常会話的に聞きたかったのに、実際音にしたら一気に登りつめてきた羞恥に邪魔をされ、しどろもどろになってしまった。内心で盛大な舌打ち炸裂だ。
「一般論的にはどうなのかな、って…思って。きもち悪いとか、どん引きしてるとか、なっちゃうもの?」
 智姫が言葉を切るまで黙って聞いている雅司は思いのほか真剣な面持ちで、余計焦燥に駆られる。継ぐ言葉を失って唇を閉じた。雅司と目が合ってしまっては逸らすことはできなくて、互いに黙したまま時が過ぎる。やがて雅司が息を吐いた。


[短編掲載中]