「身分違いの悲恋やあるまいし、周囲の雑音を気にするなんて、らしくない。それに、好きやってゆーてきたん、向こうからやろ?」
「後とか先とか、そーゆうの重要?友達だった時には見えなくても、いざ付き合ってみたら見えることもあるじゃない」
「それは、そうやと思うけど。せやけど、まだ一ヶ月くらいなもんやろ?そんなんで決め付けんのはいかがなもんかと思うで。――なんか言われた、とか?」
 再び、強く首を振った。そうじゃないけど、と口内でもごもご呟く。
「なんや、元気ないの、ちょーし狂うわ。元気ださんかい。本人に確かめたわけやないんやろ?」
「確かめらんないよ」
「しおらしいなぁ。女の子やね」
 茶化しモードに突入されて、むくれる。ノセは宥めるみたいに頭をぽむぽむ叩いてきた。
「関西弁、反則」
「なんやそれ」
 誰にとっても共通ではないけれど、少なくとも智姫にとって温度のある言葉遣いだ。たぶん、意識するしないに関係なく、耳に届く言葉は心にあたたかく響く。懐かしく、自身が使用しなくなって久しいからこそ、余計にそう感じる。
 それに加えて頭撫でられたりしたら、泣きたくだってなってしまう。
 弱ってる時に優しくするのなんか、反則の上乗せだ。
「反則って言われたからって僕に標準語で話せってことなのかい?」
 わざとらしくぎこちなくノセは言う。湿っぽい心地が一気に霧散した。思わず噴き出す。
「かい、ってフツー言わなくない?しかも僕って…」笑いを堪えつつとなると胃のあたりがひきつきそうになった。「ノセには似合わないね」
「ちーが反則ゆーからやんか」気分を害した様子もなく笑う。「ちーが選んだ相手やろ。信じたれ」
「判ってる」
「ナイトのお出ましや」
「ナイト?」
 思い切り怪訝そうな声になってしまった。
「姫を護る騎士。あら、怒ってますなぁ」
 ノセの目線は廊下の方にあって、のほほんとした口調では誰かが怒っているとの危機感がみえない。
 ノセに倣って視線を動かそうとして、勇ましい足音が耳に飛び込んできた。直後、開けっ放しだった入口に秀司が出現した。むっと唇を真横にした秀司がつかつかと入ってきて、智姫の手を引っ掴み連れ出す。状況に置いてきぼりをくらうばかりで、前を進む秀司の背中を呆然と見つめる。
 ノセを置き去りにした生徒会室が遠ざかっていくにつれ、大股歩きが普通の歩行速度になって、やがてとぼとぼ歩きになる。人気のない方角へ向かっているのだけは判った。
 とどめをさすつもりで場所を捜しているのかもしれない。誰もいないところで終わりを告げるのが、せめてもの気遣いだと。
 背筋が寒くなる。怖くて、自分からは声を出すことができなかった。
 秀司は振り向かないまま、「この前のキスのことだけど」と切り出した。
「賭けのことは本当。…ごめん。だけど、頭に血がのぼった状態で思わず返しちゃって、すぐに取り消したんだ。なのにあいつら面白がって、有効だって言い張って」
「……売り言葉に買い言葉だって、雅司が言ってた」
 友達だった時からずっと見てきたのだ。自分が知っている秀司を信じればいい。
「信じてくれる?」
「…うん」
 よかった、と呟く。沈黙が落ち、足音だけが響く。やがて意を決したようにして、秀司は再び口を開いた。
「むきになったのは、悪かったと思ってる。けど、嫌がられるとか、結構ショックだった」
 嫌がったわけじゃない。せり上がった声は、音にならなかった。秀司の顔は見えなくて、どんな表情でいるのか検討もつかない。
「付き合ってんのに、とか思ったら、なんでだよって気持ちの方が強くなっちゃって…。付き合うのだって、友情壊すよりはましってくらいの気持ちだったのか、とか。考え出したらだんだん腹立って、意地になってた。でも、誰かに言われたからとか、そんなんじゃない。俺の意思で、気持ちで、智姫に触れたいって思ったんだ」
 前を向いたまま、振り返る素振もない。声の感じだけでは判断できなくて、怒っているのか、呆れ返っているのか。確認するのが怖い。
 たぶん、怒ってる…。
 当然だ。秀司がいくら優しい性根の持ち主だからといって、生身の人間なのだ。呆れもすれば、怒りもする。誰がどう見ても、あれは智姫が避けたとしか映らない。


[短編掲載中]