本音を露呈させるわけにもいかず、一人で抱えなければいけない重みに潰されそうになっていた。いっそのこと、二人が付き合い出して完璧な失恋となれば、どうにか心の整理もつけられるのだろうか。
「そっくりそのまま返してやるよ。学生時代からなんだから、10年近い付き合いだろ。教育を怠ってきた南の責任は重大だ」
「知りません、っての。甘えっこに育てた覚えはありません」
 初めて顔を合わせた時から、高輝の性格に変貌無し。人に頼り甘える術を知る彼は、無意識の内にやってのける。人懐っこいのが功を奏し、人に嫌われることはほとんどなかった。つくづく得な性格だ。
「モンスターペアレント予備軍発見」
「余計なお世話。とにかく、週末は無理ですって言っといてね」
「直接言えばいいだろ」
「嶋河くん経由にしたのはあっちが先でしょ」
 何かを断るという行為は、例えこちらに非がなかったとしても、後味が悪い。それでなくても感情に素直な高輝は、きっと悲しげになる。苛めてるみたいで、見たくない。
「俺は伝言板か」
「安請け合いするからだよ」ご愁傷様、とからかう。「嶋河くんだってさ、貴重な休みをそろそろ自分の為に使いたくない?充分貢献したんだし、御役御免になっても文句は出ないと思うけど。ね、共謀しようよ。二人とも都合悪いって言い張ってけば、いくら楠木くんでも察するんじゃない?」
「……察するかねぇ」暁登は訝しげだ。
 そうだよと強く言い切れないのは、高輝の性格を把握しているからだ。
「とにかくさ、時間割かなくてよくなった方が嬉しいでしょ」
「どっちでもいいけどな」
「あたしは嫌なの。ちょっとは協力してよ」
「損益から結論を出しますか」少々お時間いただけますか、と営業口調でふざける。
「世知辛発言ですね」
「真の営業マンと言ってもらおうか」
 勤務時間中には決して有り得ない軽口調。大仰に作られた得意げな顔が可笑しくて、堪らず噴き出す。つられるようにして暁登も笑った。
「まぁ、あれだよな」暁登は首と肩を順番に廻した。鈍くごりごり鳴る。「あの二人、そろそろだし、俺らいなくても大丈夫そうだよな」
 ――やっぱり同じように感じてたんだ。
 胸の内側が鈍く痛むも、おくびには出さず頷いた。
 本当に二人が付き合い出したら、その時の自分は、この痛みを持つ心は、どんな風になるのか。ちゃんと諦めて、これまで通り友達として接していけるのだろうか。
 想像できなかった。したくもなかった。
「共謀決定。契約成立ってことで」テーブルに置かれた缶珈琲に紅茶ラテの角をぶつけた。「乾杯―」
 酒宴の陽気さで言ってから、言葉の響きに、脳内で変換の違う漢字が浮かび上がる。完敗。完全なる負け。
 馬鹿馬鹿しい。
 脳内変換直後に動揺の走った指先に力を込め、缶を取り落さないよう踏ん張った。
「実際の仕事もこんな簡単に契約とれたら面白いのにな」
「嶋河くんでもさくっといかないことあるの」
 思わず驚きの声音になってしまう。暁登は苦笑する。
「当たり前だろ。苦労知らずな奴なんかいるかよ」
 いつだって爽やか全開だから気づきませんでしたよ、とは言えない。「そりゃそうだよね」と曖昧に笑ってごまかす。
「そういやさ、阪木さんとの案件、どうなった。順調なのか」
「せっかくの休憩時間に、一番持ち出してほしくなかった話題だわ、それ」げんなりする。「明日打ち合わせするよ」
 阪木は、ヘッドハンティングで入社した30代半ばの男性でデザイナーだ。更紗とは入れ違いなので、デザイナーとして一緒に仕事をしたことはない。意見がぶつかり合うことが多く、喧々囂々としたミーティングは社内の名物と化している。
 口が悪く、我を押し通すばかりで折れ知らず。誰かとなあなあな関係になるなど、想像したこともないであろう人物だった。人として相容れる可能性は無きに等しい。けれど、技量には一目も二目も置いていた。
 これまで何度か彼と組んでの『完成』を見てきたが、後から反省点改善点が出てきたことは一度もない。
 ただ、そこに辿り着くまでが非常に困難ではあるが故に、彼と組むのを避ける営業もいる。
「毛嫌いしてやんなよ」暁登は楽しそうだ。
「嫌ってるわけじゃない。あたしには厄介な性格の持ち主だよなってだけ。嶋河くんだって実は苦手だったりするでしょ」
 かま掛けしてみたら意外と図星だったようだ。口元に運んでいた缶で巧く繕えたと思っているようだけれど、一瞬だけ詰まったのを見逃さなかった。
「厄介だって言うわりにはよく組んでるよな」
「案件引っ張ってくるとさ、これはあの人、あれはこの人って思うんだよね。ひらめくってのが近いかも。で、その提案通りに社内で担当決定してくれたら、競合入っても大体は勝ててる」
 勘に頼りすぎるのは危うい気もするけれど、今のところ大外れをしたことはなかった。
「そーゆうとこ、すげーなって思うよ」
 暁登からの想定外の台詞に、まじまじと見返してしまう。よっぽど笑える顔つきになっていたのか、遠慮なく噴き出された。
「驚きすぎだろ。けっこう羨ましいと思ってたよ」
「え、それって褒めてる?」胡乱げになってしまう。
「褒めてるな」呆れる中にも興を見つけた顔つきだ。
「思い当たる節がないからさ。大体ね、営業成績一度だって勝ったことないのに、羨ましいとか言われても」
「数字だけがすべてじゃないだろ。南の場合、人を巧く繋げられてるっていうか、完成までの見通しが見えてるっていうか。それってさ、たぶんだけど、デザイナーとしての基盤があるからだ」
「うわ、傷抉った」胸の痛みを気取られないようにと、冗談口調でわざとらしく胸のあたりを押え込んで痛がってみせる。「身内を蹴落とさんでも。心配しなくてもあたしの腕では嶋河くんの成績を脅かさないっての」
 阿呆か、と暁登も負けず劣らず大袈裟に息を吐いた。
「素直じゃねぇなぁ。基盤があるってのは強みだろうが。うちの会社の上って、意外と見る目あるんだなって思う。そりゃ南にしてみたら、デザイナーとして採用されたのに、って腐る気持ちも判らなくないけどな。双方のいろはを知ってるってのは、武器だろ」
 寂しいけど、頼もしいよ。――不意に記憶が浮上する。



[短編掲載中]