本当に寂しそうに、けれど誇らしげでもある顔。辞表を引き出しの奥に潜ませていた時期に、らしくもなく高輝に愚痴ってしまった時だ。もっとも、高輝はあれを愚痴とは思っていない可能性は高い。
 高輝には才能があった。必死に勉強しなくても、天性で備われた能力が。
 入社して同じ部署で同じデザイナーとして働いて、それをまざまざと見せつけられた2年間だった。
 そこそこのものなら、創り出せた。でも、それだけだ。以上でも以下でもなく、そこそこのもの。学んだ4年間は、努力の分だけそれなりの技術を身につけはしたけれど、この世界で通用するには至らない。非凡な才能が、更紗にはなかった。
 己の底を見せつけられた時の衝撃は、挫折するに等しい。
 異動が目前に迫って、独りで腐った気持ちを持て余していた時に、常と変らない高輝の能天気な空気が、癪に障った。たった2年で見限られたとの、ひねくれもあった。
 才能のある奴は、好きなことを好きなように創るだけで、認めてもらえる。努力したって、通用するものを創らなければ、認めてもらえない。棄てられる。
 高輝は才能をひけらかしたりはしない。謙遜したりもしない。ただ、創りたいように創る。それがことごとく認められる。
 悩むことも苦労もしないで創り出せる才能。そう勝手に決めつけて、勝手に悔しくなって、僻んで、苛ついた。気づいたら、八つ当たりに近い形で、零していた。
 あたしが入社できたのってさ、たぶん高輝のおかげだよね。あんたが先に入社しててさ、いいのいっぱい創り出しててさ。そんな奴の友達が同じくデザイン勉強してるって聞いたら、期待だってするよね。しかも、2つの学校通って4年間も学んだんだからって。
 素面の状態で、酩酊した時に愚痴るような更紗の言葉を聞いて、笑ったのだ、高輝は。馬鹿にした風でも憐れむでもなく、普段と変わらぬままの笑顔で。
 ――入社1年目の俺に、人事権なんてないよ。
 へらっと笑うのがかちんときて、勢い噛み付いた。
 そういうこと言ってんじゃないっての。履歴書見て同じ学校卒業してたら、どんな奴だったかくらい聞かれんでしょ。
 喧嘩腰の更紗に対し、高輝の態は崩れない。少し不思議そうにしただけだ。そっと首を傾げ、数秒考えた後、やっぱりへらっと笑って答えた。
 ――聞かれた。どんな奴だ、って聞かれて、いい奴です頼りになります、って言ったよ。
 この時の高輝の表情は、きっと、上司に訊かれて答えた時と同じ。脱力するほどに緩んだ笑顔で、更紗を「いい奴だ」と言ってのけた。
 なんであんたが嬉しそうな顔すんの。声には出さず、苦々しく吐き出した。胸の内がぎゅうっと掴まれたように縮まる。
 嬉しそうに、誇らしげに、南更紗という人物を語るな。自慢のように語るな。あたしは遠く及ばない、欲しても手に入れられない才能を持つあんたを、僻んで八つ当たりするしかできない人間なのに。
 悔しさを上塗りするしかなく、唇を噛み締めるしかなかった。
 ――更紗ってさ、心が窮屈になってる時、口悪くなるよねぇ。
 のんびり言う高輝自身には、深意は見当たらない。八つ当たりに気づき責める響きもない。天気の話をするくらいの軽さだからこそ、本人にはざっくり突き刺さった。
 素直にごめんなさいと言えたらいいのだけれど。持て余しすぎた不貞腐れた心地が邪魔をする。開いた口から転がり出たのは、いじけたそのものの声。
 中途半端だよ。デザイン学校出ても、デザイナーとして採用してもらっても、デザイナーでいられない。くびになるでもなく、異動だなんて。
 やばい泣きそう。そう思って、ぐっと奥歯に力を入れた。強く拳を握り、睨み下ろした。顔を上げて高輝と目を合わすことができず、俯いていた。
 高輝は黙っていた。黙って、視座だけは更紗にあるのが判った。沈黙が積り、居た堪れなくなった頃、高輝らしいのんびりとした調子で、言った。
 ――俺はね、寂しいけど頼もしくもあるんだ。ほら、更紗も判ってると思うけど、うちの営業ってさ、デザインのこと判ってない人も、いるじゃない。
 なにが言いたいの、と目線を持ち上げた。引き結んだ口元と、感情を抑え込もうとした表情では、高輝を睨んでる恰好になっている。
 ――あ、もちろん、みんながみんなじゃないけどっ。
 慌てるのそこ?との突っ込みも呆れて出なかった。
 ――更紗が営業部でね、双方の立場考えた仕事やってくれたらって思う。そしてそれがみんなにも浸透してくれたら、もっと嬉しい。勝手に期待しちゃってるけど、俺、頼りにしてるんだ。
 やる前から白旗をあげたくなかった。半ば意地のようなものを抱え、異動した。結局こうして辞めずにいるのだから、案外性に合っていたのかもしれない。
 営業部に異動して半年も経った頃だろうか。高輝に言われた。
 ――やっぱ更紗は的確だよね。どっちも判ってるからこその采配って感じ。すっげー頼もしいよ。
 笑顔満面で称賛などされたら、やれるところまでやるしかないじゃないか。
「なににやけてんだよ。思い出し笑いってスケベがするんだよな」
 暁登の声に我に返る。馬鹿じゃないの、と返し、紅茶ラテを口元に運んだ。
「武器だと、思う?」
 暁登は頷いた。「けっこう強烈な」
「そっか」呟き、続けて「ふふっ」と零れてしまった。
「すけべ?」
「違うっ」打って響く速さで断固否定。「ちょっと嬉しいなと思ってさ。あたしでも、認めてもらえる部分あるんだなぁって」
「なんだそんなことか」暁登の口調は軽い。「南は気づいてないと思うけど、うちの営業部、けっこう雰囲気変わったぞ。部というか人が先か。影響受けて、各人の意識が多少なりとも変化して、部署内が変わっていく」
「納得してるとこ悪いけど、言ってること全然判んない」
 異動になって1年間は喰らいついていくだけで精一杯。周囲を見渡す余裕などなかった。まして、部内の雰囲気が変貌しているなど、気づける筈もない。2年目に入ってようやと自分のペースを見つけたり、自分なりのやり方を見つけることができた。面白いなと感じる側面も、少しずつ増えていった。
 3年目になる今、異動してきたばかりの頃と比べてどうかなんて、比べる時期の雰囲気が記憶に無いのだから、判る筈もない。
「南が移ってきて、周りも影響受けてるって話」
「判んないよ、そんなの」
 自分に影響を及ぼすだけの何かがあるなんて思えなかったし、異端児扱いされた気分になる。褒められた気がせず、むくれた声になった。
 暁登は相好を崩した。「そりゃそうだ」
 無防備で無邪気な笑顔が突然咲いて、不意打ちを喰らう。新たな発見だ。仕事中はともかく、定時後や週末に『高輝に協力する都合』上、暁登とは逢う機会は多い。仕事を離れるとそれなりに砕けるなとは思っていたけれど、ここまでの無防備な感じは初めてだった。オフィスはすぐそこなのだし、誰に見られるとも知れない共有スペースなのに、油断してるのかと思えば可笑しい。別段、この笑顔が悪いものではないので、誰に見られようと構わないだろうけれど。
 線はきちんと引くタイプだと認識していただけに、少し新鮮だった。



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