「選出は営業部主体なの?」梨恵が問う。
「ていう噂。まずは市場を獲得拡販するところからで、現地動き廻る人材だよね。営業部からの確率は高くなるかも。デザイナーも置くのかな」
 最後の疑問は暁登に投げた。
 どうかな、と暁登は首を傾げた。「現地の情報を的確に伝えられて、巧く連携とれれば現地に置かなくてもいけそうな気もするけどな。社長がどう考えてるかだろうな。あの人、自分がデザイナー畑で会社興してやってきてっから、自ら率先して行くとか言い出しそうだ」
「有り得る」
 社長職はつまらない、と常日頃から公言しているような御仁だった。呼んでもないのに現場スタッフとして動いたりすることも一度や二度ではなく、案外好き勝手に仕事をしては、秘書を困らせている。
 とはいえ、会社を興し、少数とはいえ人員を確実に増やしながらも安定した業績をあげているのだから、経営者としての手腕も備わっていたということだろう。
「二人が選ばれちゃったら、寂しくなるね」
 不意に梨恵が呟き、本当に寂しげに眉を下げた。
「そんなこと言ってくれるの、梨恵ちゃんくらいなもんだよ。仮にうちら同期の中で候補あったとしても、やっぱ嶋河くんだと思うけどね。選ばれたら行きたい?」
「出世考えるんなら受けるべきだろうな」
「殺伐としたご意見で」
 からかいつつも、男性の場合は将来を見据えて、社の意向には巻かれるしかない事態は多い。代表の有田は一般的な社長像からは外れがちな人ではあるが、逆らうのが得策とは思えない。
 暁登は苦虫を潰したような顔になる。「まぁ、出世云々抜かしてもさ、けっこう面白そうだよな」
「うん。遣り甲斐はあると思う」
「二人とも楽しそうな顔してる。ちょっと羨ましいな。あたしの仕事なんてくるもの処理してく作業が大半だから、慣れてしまうとこなすだけになっちゃうんだよね」
「ノルマを分けてあげたい」更紗が大袈裟に溜息を吐くと、
「同感」暁登も真似た。
「毎月大変そうだもんね。やっぱ、いいや。あたしは更紗ちゃんみたいにはなれないもん。もしもね、決まったら、ちゃんと教えてね。寂しいけど応援する。楠木くんも寂しがるよね」
「楠木の場合、寂しい寂しいって駄々捏ねて纏わりつきそうだな」
「さすが嶋河くん。判ってらっしゃる」
 更紗が茶化すと露骨に嫌そうにした。
 梨恵が噴き出す。「二人とも自慢の親友だって言ってたよ。自分のことよく判ってくれてるって」
「あの単純さを判らない方が有り得ないだろ」
 暁登は辛辣に斬る。どこにも共通点の無さそうな二人が友好関係にあるのがそもそも不思議だ。
「手厳しいね。高輝は嶋河くんのこと大好きみたいだけど」
「つうかさ、親友って宣言するもんじゃないよな。『暁登は永遠に俺の親友だ』とか、くっさいこと真顔で言うんだよ。親友だの友達だの、小学生かっての。中身の成長が伴ってない」
 暁登のぼやきを笑いながら耳にして、心の軋みを必死に抑え込む。
 同性同士なら、親友認定も笑い話にできる。異性なら、まして片方に恋愛感情があるとしたら、これほど残酷な宣言もない。
 鈍感で、単純で、純粋であればあるほど、気づかぬ内に人を傷つける。傷つけたことに当人は気づかない。でもそれでいい。気づかないままでいてくれたら、その方がいい。
 鈍感で、単純で、純粋な高輝は、ひどく優しい性根の持ち主だ。傷つけた事実を知ればきっと、この世の終わりみたいな顔をする。そんな顔は、見たくなかった。


◇◇◇


 デスクに向っている高輝の背後から近づいて、無言かつ少し乱暴に、レジ袋を置いた。気配にも気づかぬほどに惚けた面構えの高輝が、ゆっくりと上半身を捩り、更紗を見上げる。
 やっぱりね。――内心で溜息を吐いた。
 月初第一日目ということもあって、更紗は朝から忙しなく事務所を出たり入ったりだった。タイミングがなく、高輝とは朝の挨拶もしていない。更紗自身はじっとデスクに座っている時間がほとんど無い状況の中で、帰社の度に見掛けた高輝の様子が気にかかっていた。夕刻のアポが急遽取り止めになって、ようやと腰を落ち着けていたものの、どうにも気がかりが残ったままでは気持ちが悪い。財布片手にコンビニへ行った。
 外回りの最中に連絡が入れば寄ってきたのに。なんて詮無きことを内心でぼやいても仕方ない。アポのキャンセルが入ったのは、ちょうど事務所に戻っている時だった。
「これなに?」
 高輝はほわんとしたままで袋の中身を確認する。
 周囲の目には、今の高輝が普段とさして変わらぬように映っているのだろう。がつがつ動く方ではないし、デスクに向かっていても、思案に暮れているのか惚けているだけなのか判然としない態は多い。
 今と普段がどう違うのか。はっきりと言葉にしろと言われれば、更紗にだって不可能だ。ただ、なんとなく、感じた。
「おぉ、栄養ドリンク」高輝から歓喜に近い声があがる。「しかも高級なやつ」
 子供みたいな言い草が笑える。けれど真顔を崩さないよう口元を引き締めた。
「昨日から調子悪かったの?熱は?」
 退社の段で体調を崩していたのなら、きっと気づいてた。飲みに行こうだなんて、断固阻止した。はたして高輝はううん、とかぶりを振った。
「昨日はなんともなかった。今朝起きたら躰だるくて。あ、でこ冷やすやつもある」
 袋から取り出す度、嬉しそうに綻ぶ。
「熱っぽそうに見えたから。それ貼っとけば少しはすっきりできるでしょ。今日は定時で帰ったら。ぼさっとしてる奴いたら周りが迷惑するよ」
「更紗ってすごいよねぇ。だから営業マン…あ、女の子だからウーマンか。濃やかで優秀」
 自然体での賛辞に耐え切れず、わずかに視線を逸らした。



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