女の子とか言うな。尊敬の眼差し向けんな。あんたの機微に気づいてしまうのは、目で追ってしまうからだ。想いが向いているからだ。他の人だっから気づかない可能性は高い。誰にでも濃やかなわけじゃない。
 全部を、吐き出してやりたい。どんな顔をするのだろう。この想いを知っても、同じように笑いかけられるのか。親友などと、のたまえるのか。
 袋に手を突っ込む。炭酸飲料を取り出した。
「コンビニ行ったついでだから。体調治さないと週末は中止だからね。あたしは別に構わないけど。むしろ有り難いけど」
 陳腐な捨て台詞に、我ながら情けなくなる。さっさといなくなるのが最善と踵を返しかけて、阪木に呼び止められた。あの打ち合わせ以来、まともに顔を合わせていない。気まずいながらも阪木のデスクに近づいた。
 更紗が辿り着くのを待たずに、阪木が片腕を突き出してくる。手には紙。唐突な動きに面喰い、差し出されたままに受け取った。
「え…これ…?」
 大幅に変更になっているが、判る。阪木が面白くないと一蹴した要望書を元にしたデザインだ。
「う、わ…」
 思わず恍惚の溜息が出た。背中にぞくぞくとした昂揚感が這い上がる。言葉にもならない声を零してしまいそうで、口元を指先で押えた。デザイン画から阪木へと、顔を上げる。ばつが悪そうな阪木に対し、更紗は隠しきれない笑顔になっていた。
「創り直してくれたんですか?でも、どうして」
 降りるとまで言ったのに。デザイン画を置き去りにするほど、はっきりと背を向けたのに。
 更紗の素朴な疑問に、阪木はますます表情を歪めた。
「その…」阪木は言い掛けて閉口した。
 言い淀むなど、天地が引っくり返るほど有り得ない。瞠目したまま凝視した。
「阪木さん?」
「俺と入れ違いなんだってな」
 す、と冷たいものが胸を掠めた。なんだ、気遣われちゃったのか。なんだ、そういうこと。
「お詫びってこと、ですか」
 声が尖る。同情などされたくなかった。謝られたら、惨めになってしまう。才能ある者を引っ張ることになったから、才能の無い更紗が出された。そんな惨めな法則にだけは、知らんふりを通したい。異動は会社の命令でも、決めたのは自分の意志だ。強がりでもなんでも、己の意志だ。
「見くびるな」
 阪木から、ばつの悪さは消滅していた。代わりにあるのは、むっとしているととれる、打ち合わせの時によくお目見えする顔だ。
「情に流されてほいほい変更なんざ、するわけねぇだろうが。ましてあんたの為にとか詫びとか、自惚れてんじゃねぇよ」
 戻った。完璧に普段通りの阪木だ。笑ってしまいそうになる。
「あたしの勘違いのようです。すみません」
 阪木は口をへの字に曲げたまま、デザイン画に指先を叩きつけた。
「これ以上の妥協はしない」
「充分です。充分すぎるくらいです。妥協もなにも、最高じゃないですか。絶対ものにします。ありがとうございました」
 腰から躰を折って、深々と頭を下げた。

 自席に戻ると、更紗とは背中合わせにデスクのある暁登が、キャスター付きの椅子を座った格好のまま転がしてきた。更紗の手にあるデザイン画を覗き込む。
「おぉ、すごいな。この前の没案でもすごいと思ったけど、それ以上だろ、これ」
「だよね。もうなんか圧倒される。ていうか圧巻」
「でれでれだな。娘に甘々の父親みたいだ」
「例えがおかしい」文句を述べてみても頬の緩みは止められない。「絶対通してやるんだ。これを没にするなんて有り得ない」
「気合入れすぎて空廻りしないようにな」
「不吉なこと言わないでよ」
 暁登なりの叱咤激励と伝わる。プライベート時間でも逢うことが多い所為か、女性に接する態度が更紗には砕けた感じが多い。
「祝い酒でも行くか」
「気、早いし。無事契約とれたら祝ってよ」
「自信ないのか」
「まさか」ご冗談でしょ、と鼻で笑う。
 さっそく取引先のデータを呼び出す。善は急げだ。今の気分のままなら、なんでも巧くいきそうな気がする。受話器を持ち上げる前に、喉を湿らす程度に炭酸飲料を流し込んだ。
「南って、そんなに炭酸好きだったか」
 受話器に伸ばしていた手がぴくりと反応してしまう。
「そうでもないけど」
「自分の為には面倒くさがっても誰かの為になら労力割くんだな」
 なんだその微妙な突っ込み。動揺が出ないよう素知らぬ仮面を張り付ける。
「どうしても飲みたかったの。誤解しているようなので真っ向から解いておきますが、あくまであっちがついでです。あ、祝い酒は嶋河くんの奢りね」
 ふん、と鼻息荒く吐き出すと、暁登はさも可笑しそうに笑った。



[短編掲載中]