「バレンタインん時、悪かったな」
「へ?」
 ぼけっとしすぎだろ、と気分を害した様子もなく笑う。「去年の、チョコの配達依頼。俺が謝んのもおかしいけど。さっき南に辛いかって聞かれて、思い出してた」
 あたしもさっき同じこと考えたよ。普段なら気楽について出る言葉を、何故か呑み込んでいた。隔絶された世界の、独特な空気感の所為かもしれない。暁登が、いつもとは違って見える。
「やっぱりきつい?」
「全部が全部ではないけど、たまにはな。邪険にできればいいんだろうけどさ、そーゆうわけにもいかない場合の方が多いだろ。何気に南って人のこと見てんのな」
「たまたまだって。検討外れなこと言ったかなって思ったし」
「ありがとな」
「謝るのもお礼言うのも変だよ。あたしが勝手に判断して受け取らなかったんだもん。個別関係は受け取らないのかなぁって思ってたから」
 社内で女性社員が配る義理チョコ感たっぷりの大袋配布のはもらっていた。
「人づてに渡されたら返却とかできないだろ。南に突っ返すわけにもいかないし、本人にわざわざ返しにいくのも酷」
「棄てるって選択肢はないわけだ?」
 生真面目な顔で話す暁登を眺め、無いだろうな、と思いながらも問うてみる。はたして、暁登はかぶりを振った。
「ものに想いを託してんだ。そーゆうのは、無い」
「だろうね」
「南が受けなくて、ほんと助かったわ。でもあれだろ、その後ちょっと遣り辛くなったって聞いた」
「誰から聞くの、そんなの」
「この前外回り中に営業の人に偶然逢ってさ、あの頃、南が被害被ったって」
「大袈裟」
 軽く笑い飛ばす。被害というほどのものでは無い。が、ちょっとしたトラブルには発展した。からくりは実に簡潔で、解けてしまった今では、少なくとも会社間のしこりは残っていない。
 チョコを託そうとした女性は事務職に就いていて、電話の取次ぎ業務もその一環だ。伝言が伝わっていないことが、何度かあった。極めつけは、アポの予定変更で伝言をお願いしたものが、電話口で握り潰された。相手方に一時間ほど待ちぼうけをさせてしまう結果となった。行き違いだったと結論が着いたものの、作為的だったのは明白だった。相手方担当者は寛容に受け止めてくれ、築いてきた関係に亀裂が入ることはなかった。
「下手したら出入り禁止にする人だっているだろ。時間に厳しい人だったら一発でアウトの可能性だってあった」
「直接本人と話さなかったあたしにも非があるし。そうそう、おかげで携帯番号ゲットできたんだ。これって怪我の功名ってやつ?」
 めったに番号を教えないことで有名な人だった。職種柄、会社から支給されるのだが、極力教えない姿勢を貫いていた。
「まじか」
「嶋河くんでもなかったでしょ」いいでしょ、と得意ぶってみる。
「言い得て妙だな」
「嶋河くんが悪いわけじゃないしさ、受けません、はあたしの意志だから。気にしなくていいよ」
「さっぱりしてんよな。楠木が頼りにしてんの、判る気がするわ」
「嶋河くんまで甘えっこになんないでね。高輝だけで手一杯」
「なるか」暁登はわざとらしく心外そうな表情を作る。
「だよね」更紗は笑い返した。
 その笑みが、引き攣ったのが、自分でも判った。
 視界に捉えた高輝と梨恵の姿は、向かい合って、おそらく他愛もない会話をしているに過ぎない。笑顔で、楽しそうな、二人。何気ない、どこにでもありふれてそうな光景が、胸に痛かった。
「南?」
 暁登の怪訝そうな声に意識を戻すのと同時に、ゴンドラ越しに梨恵と目が合った。手を振ってくる。
「対面した」
 明るく口にして、暁登を促すようにして後ろを見遣った。手を振り返す。
 暁登は上半身を捩り、すぐさま態勢を戻した。同じように、こちらを見た高輝と目が合った瞬間に逸らしたともとれる、素早さだった。
 すぐに互いの姿が見えなくなる。ゴンドラ内から、会話が消えた。どちらから口を開くこともなく、稼働音だけに耳を傾けていた。あと少しで降りるという段で、呟いた。
「帰ろっか」
「ん、だな」
 即答だった。理由を話したわけでもなく、理由を問うでもなく。
「察しのいい人って楽だよね」
 暁登は、高輝と梨恵を二人にさせる為の提案だと思っている。更紗にしても、協力要請を請けた以上は、理由のひとつに挙げられる。
 でも、本音は、別にあった。
 限界だった。二人を見ていたくない。同じ空間にいたくない。一緒になって笑うなど、笑顔を作るなど、できそうもない。
「小腹すいたからなんか買ってくる。二人は席の確保よろしくな」
 高輝たちがゴンドラから降りてくるや、暁登はそう言って、更紗を促して売店方向へ歩き出した。園を出る為の口実なのに、芝居がかってもいない。
 出口のゲートをくぐり、暁登が高輝に電話する。無駄のない動きに、任せるままにした。



[短編掲載中]