「いくら友人の頼みとはいえ、引き受けなくないか」
「最近よくそう思う。あの頃の自分に言ってあげたいよ」
 安請け合いして、自分を苦しめることになるよ。そのままいけば気づかなくて済んだかもしれない気持ちに、気づいてしまうよ。引くに引けなくなって、自分の首を絞めるばかりになるよ。馬鹿だよと、言ってやりたい。
「他人事みたいに言うなよ」呆れた風にして息を吐く。「頼む方も頼む方だよな。だいたい、いい歳した男がだ、好きな子と仲良くなるきっかけを人に頼むか、ふつー」
 だらしないとでも続きそうな口振りだ。
「頼まないだろうね。あたしも最初はびっくりした」
 必死で拝み倒していた高輝の姿を思い出す。知り合った当初から、高輝は人に頼み事をすることに抵抗を感じない人間だった。年下のように、甘える感じの、頼み方だった。頼りにされるのは嫌いじゃない。他愛もないことが多くて、実際、簡単にできるようなことばかりだった。
 それが、いつになく真剣だった。真剣な当人には悪いけれど、興をくすぐられたのが正直なところだ。軽い心持ちで、面白そうなどと、一瞬掠めた。だからこれまでと同じくらいの軽さで、請けた。
 まさか、こんな風に後悔が芽生えるなんて、想像もつかなかったのだ。
「あいつが甘えっこなのは南が甘やかすからだ」
「人に責任押し付けんのはどうかと思う。仲いいんだから「男とは…」って教鞭執れないの」
「俺には重荷すぎる」
「逃げんのずるい」
 ぶうと頬を膨らませて、笑った。
 ――更紗、お願いがあるんだ。
 そう切り出すまでに、かなりの時間がかかった。いつもと違うなとは思っていたから、自分の側ではいつも通りにしていようと構えていた。高輝から言い出すまでは、促すつもりもなかった。
 さんざん余計な話題を上擦った調子で喋った後、急に黙り込み、切り出した。
 ――気になる子が、いるんだよね。
 同じビルの同じ階。廊下で何度かすれ違ったことがあるだけの顔見知り。好きになったとは言わなかった。どんな子か知りたくて、仲良くなりたくて。
 基本誰とでもすぐに打ち解けられる高輝は、こと恋愛関係に関しては奥手だったのだと、この時初めて知った。そういえば今まで色恋沙汰はなかったよなとも。
 ――友達になってほしいんだ。
 お願いの中身を問うた更紗に、高輝は言ったのだ。まずは更紗が友達となってよと。
 素っ頓狂な声をあげたのは、言うまでもない。二度聞き返しても、同じことを繰り返されただけだった。
 ビルの共有部分で顔を合わせれば挨拶くらいはする。でも、それだけだ。更紗は外回りで出たり入ったりの日々を送っているし、梨恵は内勤が主だった仕事だ。更紗と梨恵は顔を合わせること自体が少ない。
 浅慮なままに、興にくすぐられるままに、請けた。
 ビル正面口の近くに公園があり、公園脇の道路には平日の昼を狙ったお弁当のデリバリーカーが停まっていた。梨恵はそこで昼御飯の購入することが多い。ということを知ってから、昼時には会社にいるようにした。同時刻を見計らって更紗も買いに行き、偶然を装って顔を合わせる。挨拶も回を追うごとに、親近感に似たものが滲み始める。並んで待つ時間に世間話をするようにした。何度目かの時に、友人を誘う軽やかさで、今度ランチに行こうと誘った。その反応で、おおよその警戒心の有無や拒絶感は測れる。
 二人でランチをし、プライベートも含めた話をした。打ち解けた頃に、更紗の友人として高輝を紹介した。定時後にもご飯を食べに行くようになって、高輝とも打ち解け、暁登が加わるようになった。その頃から、4人で休日も過ごすことが増えたのだ。
 痛みがあったのは、まだ梨恵と二人だけでランチをしていた頃。
 様子を色々と聞きたがる高輝が、うっとおしかった。妙に苛立っていた。梨恵の利点を聞いた時の高輝の表情が、腹立たしかった。腹立たしいのに、この痛みの意味するところを理解していなかった。
 やがて3人になり、4人になり、痛みは増すばかりで。もしかして、と疑って、まさか、と打ち消す。その繰り返しだった。
 今になって思う。本当に自分は間抜けだったのだと。
「俺もそう思う」
「へ?」
 暁登からの突然の同意に、戸惑う。
「間抜けだって、自分で言ったろ、今」
 口に出していたのか、と恥ずかしくなる。「自分で言うのはいいけど人に言われるとむかつく」変に強がりじみた口調になってしまった。
「負けず嫌いだよな」く、と喉の奥で笑う。「間抜けすぎだよ、南」
「あのねぇ、」
 連発されると余計腹立つ。文句を述べようと開きかけた唇が、止まる。目の前の、暁登の真摯な双眸に、釘づけとなった。嫌な予感が沸いて、けれど、目を逸らせない。続きを聞くなと警報が鳴って、けれど、逸らすだけの話題が、声が、出ない。
「好きなんだろ、楠木のこと」
 違う。なに言ってんの。冗談やめてよ。そんなこと、あるわけがない。
 反射で言おうと――言うべき言葉が、出ない。つっかえて、見えない何かが邪魔をして、口にできなかった。



[短編掲載中]