「……勘のいい男って、嫌い」
「察しのいい人間は歓迎してなかったか」
「微妙に違うの」
 子供みたいに、むきになって言い張る。想いを知られていたことが――知られていたことに気づけなかったことが、ひどく恥ずかしい。暁登の目には、更紗はどんな風に映っていたのだろう。
 いつから、と訊こうとして、意味がないと思い直す。それを知ったからといって、何が変わるわけじゃない。想いが、消えるわけじゃない。
 平静平常を心の内で唱える。そうすることに意味があるのか、自問の声が上がる。けれど、強がってでもいないと、涙腺が緩んでしまいそうだった。
「気づかれたか」
 乾いた笑い声が落ちた。きちんと笑顔になれている自信がなくて、落ちた声を追うようにして、視線が下がる。テーブルの上の、両手で包み込むように持っているカップの、水面を見つめる。
「昔っから人の機微にはけっこう敏感なんだ」
 ああ、そんな感じだよね。――声が掠れた。暁登に届いたか判らない。
 笑って、笑いながらいつも通りに、できない。どうしよう、と焦る。目の奥が熱い。じりじりと湿ってきて、顔を上げなければ落ちるのに、上げられない。
「気づいたの、嶋河くんだけ?」
 完璧に声が湿った。明るい声音を意識したのに、失敗した。ず、と洟をすすり上げてしまう。
「だろうな。巧く隠してると思う。それじゃなくても、楠木は相当鈍いから、他のみんなが気づいたとしても、あいつだけは最後まで気づかないかもな」
 暁登の声音が、普段と変わらないことが、有り難かった。
「よく、やってるよ」
 同情も、憐れみも、ない。変わらないままの声音が、沁みた。
「半ば、意地みたいなものなのかも。自分の意志で引き受けた手前、やっぱ止めるわけにいかなかったから」
「南らしいっちゃ南らしいな」
「嶋河くん、」
 誰にも言わないで。――続けようとした言葉は、暁登の方がわずかに早く、呑み込んだ。
「言いふらす趣味はないから安心しろ。いざって時の切り札にとっとくし」
 いつもの冗談口調。内心でほっと息を吐く。
「成績上位者の腹黒な一面が見えた気がする」
「ほんと、遠慮なく失礼だな」
 このまま、話題が何気ないものに移行してくれればいい。空気は間違いなくそちら側に流れ始めているのを感じた。けれど、
「我慢すんな」
「…」
「頑張りすぎんなよ」
 あたたかい温度のある声だった。更紗の心に、確実に響く。
 やめてよ。呟きは掠れ、音にならない。ぎゅ、と唇を噛んだ。きつく暁登を睨む。いっそ冷静な双眸が、見つめてくる。
「……泣かせたいの。こんなところで号泣されたら、嶋河くんが白い眼で見られるよ」
 素直になれない憎まれ口を叩く自分は、第三者からどんな風に映るのだろう。滑稽で、惨めで、不憫で。知られてしまっているというのに、何をそんなに必死になるのか。自身でも判らない。
「お気遣いどうも」声音が、少しだけ軽くなる。「周りの目が無いところの方がまずいからな」
「どういう意味、」
 更紗を遮って、ひらひらと手を振った。「そこは突っ込むな。こっちの事情だ。とにかくだ、南」
 す、と空気が締まる。聞けば崩れる予感があったのに、崩れたくなどないのに、引力に魅かれるように、じっと暁登を見つめ返した。
「充分我慢したし頑張った。楠木や服部さんの前では今まで通りの態度を貫くにしても、他に作れよ。気持ち緩められる場所」
 じわじわとした熱が、弾ける。見る間に滲む視界を、慌てて俯かせた。額に両方の掌を押し当て、暁登側から顔を隠す。呼吸も止めて唇を引き結ぶ。奥歯に力を篭め、震えそうになる躰にも気を張った。微動だにでもすれば絶対涙が零れると判っていた。零すものかと、必死になる。
「南、」
 気配が、動いた。暁登の腕が、伸びてくるのが判る。身構え、首を振った。何も言われたくない。何も聞きたくない。これ以上突かないでと、祈るしかなかった。と、唐突に、更紗の躰が後方へ引っ張られた。
 後ろから廻った両腕が、更紗を抱き締め引き寄せる。直後、声が落ちた。正確には、暁登に鋭い声がぶつけられる。
「なに更紗泣かしてんだよ、暁登!」
 高輝がこんな風に、声を荒げるのは、本当に珍しい。怒ること自体が稀有で、他者の為にむっとすることはあっても、自分のことで本気で怒ったことなど、少なくとも更紗は知らない。
 間近で声がする。たぶん更紗の後頭部に当たる感触は、高輝の胸だ。廻されている腕は力強く、護ろうとしている。
 視界の端に、人影が入り込む。ぎこちなく首を巡らせた。蒼褪めた梨恵が、更紗と高輝に照準を当てて近づいてくる。――その、傷ついた顔つきで、悟る。否、本当はもっと前から、知っていた。梨恵の、想いは。
 傷ついた顔なんて、しないでよ。梨恵への憐れみじゃなく思う。付き合ってもいないくせに、彼女ぶってるつもりなの。高輝はおそらく、梨恵の存在も忘れた状態で、更紗を庇いに走ってきた筈で。一緒にいる自分よりも、一瞬でも更紗を優先したことに、ショックを受けている顔。腹立たしくて、憎らしい。最低最悪な思考。



[短編掲載中]