昨日の今日で、できれば顔を合わせたくなかった。
 という更紗の気まずさが、ばったり出くわした瞬間には素直に出てしまっていたらしい。対面した暁登は、こちらの内心を悟って苦笑した。休日に同僚と出逢った軽い驚きを表現し、平時に戻すまで、1秒とかかっていない。わざわざ段階を踏んだのは、暁登の隣にいる連れに示す為だろう。つくづく機転の利く人間だ。有り難く更紗も乗っからせてもらう。
「こんなところで逢うなんて奇遇だね。隣は…弟さん?」
 目線を転じれば暁登の隣に立つ少年と目が合う。似ているといえば似ているか、といった程度ではある。年齢はおそらく高校生くらい。休日に暁登の年代の男性が少年と二人でいるというシチュエーションでは、妥当な読みの筈だ。
 駅前にある複合ビルにいた。更紗は駅改札前で待ち合わせをしていて、思っていたよりも早く着いてしまった為、時間潰しにとビルへ入ったところだった。
「そ。弟のハナブサ」
 暁登が紹介すると、ぺこりと頭を動かす。
「ハナブサ?」
「英語の英」とぶっきらぼうに弟が言い、、
「英雄の英?」思いついたまま口にした更紗の声がぶつかる。
 一瞬間が開く。我ながら鋭いなどと喜んだのも、瞬く間に的外れやらかしたかと萎む。
「即行で漢字思いついたの、初めて聞いたわ」暁登は感心している態だ。
「英雄の方で言われたのも無いかも」英は物珍しげに更紗を見ている。
 兄弟揃ってしげしげ観察されても反応に困る。
「変な名前ですよね。でもって微妙に女くさい」
 辟易した様子から、当人は気に入ってないらしいことは察せられる。これには首を傾げた。
「そうかな。前から暁登って名前、恰好いいなって思ってたんだよね。その弟くんは英。ご両親、素敵な名前つけるよね。…うん。あたしは好きだな」
 またもや兄弟揃って、今度はきょとんだ。そんなに外れたことを言った覚えはないが、居心地悪い。
「デートっすか」
 たじろいでいる更紗を尻目に、切り換え早く英が口を開く。かすかにあった不機嫌な空気が消えていた。
「そういや、ずいぶん女らしい恰好してんな」
 次いで暁登が口を開いた。全身をさらりとチェックされ、たじろいでる場合じゃないと気を執り成す。かぶりを振った。
「高校時代の友達に逢うんだよね」
「男ですか」
 英の素早い返しには友人に接する時の気安さがある。暁登はすかさず弟の頭を軽くはたいた。不満げに兄を見上げる構図が可笑しい。
「女友達です」
「にしては気合入ってんすね」
 懲りず英が突っ込んで、すかさず兄の攻撃を躱した。
 ふと、暁登の面倒見のよさは、ここからきているのかもしれないなと思う。高輝は根っからの末っ子気質だ。
「あー、まぁ、女同士ってそういうもんかも。変な服装はできないとか、張り合っちゃうとこあるかな」
「…だってさ、兄貴」
 英が揶揄を帯びた口調で暁登の顔を覗き込む。
「うるせ。わけ判んないこと言ってねぇで、とっとと見てこいよ。とろとろすんなら帰るぞ、俺は」
 暁登は弟を足蹴にすると追い払った。
「へいへい。俺、ゆっくり見たいからさ、兄貴もごゆっくり」
 更紗に目礼すると、軽やかな足取りで上階へのエスカレーターに乗った。
「一緒に出掛けること多いの?」
「この歳にしては多い方かもな」暁登は不本意そうだ。
「仲いいんだ」
「俺の財布が目当てなんだって。今日だって部活で使用するシューズがぼろくなっただかで、小遣いじゃ足んないって泣きつかれた」
 優しいしょ、とからかうと、露骨に苦い顔をした。更紗の追撃を打ち切るが如く、「南、待ち合わせてんだろ。また会社でな」と早々に解散となった。

 ひかりは高校に入学してからの友人だ。卒業後はそれぞれ別の学校に進み、社会人になってからも定期的に連絡は取り合っていた。その間隔が広がるようになった大きな要因は彼女が結婚し、出産して生活リズムが働いていた時とは異なってから。平日でいけば、専業主婦のひかりは子連れで昼間に時間を取りやすいが、更紗の勤務形態では開けられるのは夜になってしまう。
 子供が小さいので、ひかりの旦那さんが面倒をみてくれないと単独での外出はできないらしい。ひかりの旦那さんは平日の夜は帰りが遅いので不可。常々「ランチでも行こう」とは言っていたが、不規則な勤務形態の旦那さんの都合がつかず、なかなか実現できずにいた。
 今朝になって連絡があり、旦那が休みになったからランチでもしようよ、と急遽決まった。
 テーブルに運ばれてきたパスタセットを挟んで、近況やら共通の知り合いとの昔話で盛り上がった。お互い確実に歳をとっているのに、こうして向かい合えば自然と学生当時の感覚に戻る。もっとも、戻るのは心持ちだけのことで、話の内容は年代に添ったものなのだけど。
「更紗、恋人は?」
 セットのミニサラダとスープも綺麗に完食し、デザートを待ってる時に、前置きなく訊いてくる。いきなりの話題に、含んだばかりの水で盛大にむせそうになった。
「いない、けど」
 いいじゃないか、その話題は。と思っても、楽しげなところに水を差すのも憚られる。
「結婚考えてないの?」
「なくはないけど。まずは相手捜さないとね」
 年々晩婚化が進んでいるとはいえ、20代も後半に差し掛かる年齢になってくると、さすがに親もうるさくなってくる。溜息交じりに「孫の顔が見たい」などとぼやかれれば、こちらだって肩身が狭い。
「好きな人とか、いないの」
「ずいぶん突っ込むね」苦笑するしかない。
「主婦になっちゃうとさ、恋愛話なんて遠ざかる一方でしょ。たまにはしたくなるの、恋バナってやつ」
 子供ができればそこを中心としたコミニュティが生活の主となる。殆どが有夫であり、シングルマザーでもない限り恋愛話が出る方がまずい。
「期待してるとこ申し訳ないけど、その手の素材、無いわ」
 さらりと言う。ひかりは不満げに唇を尖らせた。



[短編掲載中]