「南さん?」
 後輩の訝しげな声に、ようやと視線を剥がす。差し出されたクレープを受け取った。
「ありがと」
「嶋河さんが話してるのって誰なんでしょうね」
 後輩が暁登のいる方角を見遣るものだから、ついつられてしまう。先と変わらぬ笑顔があって、やっぱり背筋がもぞ痒い。
 取引先の社名を出し、そこの事務員さん、と答える。取次ぎ程度の電話くらいはある筈だ。後輩は合点顔になり頷いた。
「さっきから不味いものでも食べたみたいな顔になってますよ」
 立ってる必要はないので後輩を促し、ベンチに座ったところで訊かれた。おかしそうにしている。ちょうどクレープに齧り付いたところだったので、ぱくついたまま首を傾げた。「美味しい」
 次回は違う味も食べてみよう。種類が豊富にあるらしいので選ぶのも楽しそうだ。
「美味しいですね。で、どうしたんですか。嶋河さんがなにか」
「嶋河くん見て、そんな顔になってた?」
 自覚が無かっただけに驚く。思い返せば、あの妙な感覚は暁登を見た時だけだ。
 後輩が上半身を捩り振り返り、更紗もつられる。まだ話をしていた。
「またなってますよ」
 後輩が笑い、更紗は自身の眉間を指先で触った。きつめの溝になっている。
「判った。笑顔だ」
「はい?」
「嶋河くんの笑顔が受け付けない」
 不自然ではない。かといって、自然に零れたものでもない。変な笑顔ではない。むしろ、かなり気遣っているというか。気遣いすぎた作られた笑顔。
「なんですか、それ」後輩は観察するように見ている。
「甘すぎる」口に出してみたら、これ以外の的確な言い廻しが無いように思えてくる。「甘くて蕩けそうな笑顔って感じ。見慣れなくて背筋寒い」
 ああ、と笑いながらも後輩からも否定はない。
「けっこう的を射ってる表現ですけど、寒いってひどくないですか」
「いやー、だって無理だもん。あんなん、鳥肌もんだよ。まぁ、あたしに向けることってないだろうから別にいいんだけど。あれって営業スマイルってやつだよね」
「ですね。前に一緒に廻らせてもらった時には、外と中を使い分けてるってすごいなって思いましたよ。武器ですよ、武器」
「ある意味、身売りだね」
 妙に感心した声が出てしまった。我ながら笑えてしまう。
「身売りって言い廻し、面白いんですけど。言いつけますよ」
「どうぞ。たぶん笑い飛ばすよ」
 クレープにかぶりつく。やっぱり美味しい。満足気分で咀嚼していると、後輩はなにやら言いづらそうな様子だ。
「…あの、」
「うん?」
「……もしかして二人って、付き合ってたりするんですか」
「は?」
 危うく咀嚼中のものを噴き出しそうになる。最近立て続けだ。欠片が気管に入り込みかけ、思い切りむせた。
「違うんですか」仲がいいのでてっきり、と後輩は至って真面目だ。
「ないないない。どっから出んの、そんな発想」
 更紗はからからと笑った。どう見たらそう映るのか。思い当たる節も無い。
「いや、意外と多いんですよ、そう思ってる人。嶋河さんって、きちんと線引くタイプじゃないですか。特に女性に対しては。こと南さんにだけはその線が薄いといいますか」
 どう言えば適切な言葉になるのかと思案している顔つきだった。その思考をぶった切るほどきっぱりと言い放つ。
「今度その話題になったら、ちゃんと訂正しといてね。大きく間違ってるから。確かに仕事で関わる人間では気兼ねのいらない相手みたいだから仲よく見えるんだろうけど、間に楠木くん入ってるから」
「デザイン部の?」
「そう、楠木高輝。あたしはさ、楠木くんとは学生の時からの知り合いで、彼を介してプライベートでも出掛けることがあったってだけ」
 それだって今は無くなった。
 続けようとした言葉は、呑み込んだ。更紗の側で、残念に思っていると取られ兼ねない言動は控えないと。今度は片想いしてるなんて解釈が流布しようもんなら手に負えない。
 高輝が梨恵と付き合い出して、1か月が経つ。4人で出掛けなくなった。定時後のご飯でさえ、行かなくなった。更紗が強固に拒んでいるからだ。
 付き合っているというのに、両想いになれたというのに、高輝は相変わらずだった。更紗との距離が離れるものかと予測していただけに、あまりの変化のなさに呆気にとられたほどだ。
 否、心のどこかでは変わらないのだと、予測していたのかもしれない。期待、と言い換えてもいい。そのことに気づく度、自己嫌悪が込み上げる。
 その嫌悪をひた隠す為にも、この1か月は殊更すげない態度を全開にしてきた。なのに楠木高輝という人間はめげなかった。めげないどころか、更紗の意見を理解もしない。彼女持ちの男友達と今までと同じ接し方ができるか、といくら言っても響かない。



[短編掲載中]