「いーよー。どこに?あ、新規開拓?じゃあさ、そこをあたし持ちってことでどう?」
 チェックオッケー、と心の中で呟き、送信を押す。
「そっちじゃなくて」
「どっち?」
 送信完了を確認して、アプリケーションプログラムを次々と終了させていく。更紗に聖徳太子ばりの豊聡耳が欠片でもあれば、手元作業にも暁登の言葉にも集中できるのに。などと下らないことを考えてもどうしようもない。暁登の方が疎かになっているのは、当人にも判っているだろう。人によっては機嫌を損ねてしまうこんな態度にも、暁登なら怒ることはないだろうとの甘えが存在している。
「彼氏彼女の方」
 全てのアプリケーションが終了し、シャットダウンをクリックしたところで、言葉を脳内で反芻する。暁登を見上げた。真剣とも冗談ともつかない表情で、真っ直ぐに見つめてくる。
 捻りも面白みも無い冗談だ。残業で疲れているらしい。
 息が抜けるような笑い声が零れた。「やめとく」
 ディスプレイが黒くなったのを確認して、ノートパソコンを閉じた。
「理由は?」
 まだ続ける気らしい。どんなオチに持っていくのか興味が沸いて、軽口を返す。
「顔よくて背高くて仕事できる男となんて付き合えるか。しかも成績競う相手」
「ブサメン好き?」
「高輝に失礼でしょ」平凡ではあるが不細工ということはない。そもそも、好きになったのは外見ではないのだ。「ていうか、否定も謙遜もないの」呆れてみせる。
「ついでに言うとそれなりに収入もいい」
 営業職は歩合制だ。成績がよければそれだけ給与に跳ね返ってくる。遣り甲斐はあるが落ちてる時との落差は大きい。
「今まで意識したことなかったけど、嶋河くんってほんっと好条件なんだねー」
 感嘆めいた声が出た。なるほど、もてるわけだ。
「だろ。で、なんでやめとくなんだ」
 冗談前提だったとしても振られるとなると気になるのだろうか。意外と子供っぽいとこもあるんだ。またまた新発見。
「面倒事は回避したいから」
「恋愛を面倒とか言い出したら枯れてくだけだぞ」
 うっさい、余計なお世話。ふん、と鼻息荒くしてみると、暁登は可笑しそうにした。
「昔さ、友達の話なんだけど、女のやっかみ受けて大変な思いした子いてさ、そーゆうの、勘弁なんだよね」
「大概、友人の話ってのは本人の実体験だったりするよな」
「勘繰らないでよ」
「勘繰るもなにも、まんまだっての」
「とにかく。そーゆうわけだから。面倒事はなるべく遠ざけたい」
 こと恋愛絡みだと女同士の関係はこじれ易い。そして修復が難しいのだ。
「面倒くさがり装ってるけど、そういうことじゃないよな?チョコの仲介役断ったのだって、別に断らずに受け付けてれば余計な摩擦はなかったんだ。判らなかったわけでもないだろ?でもあえて断る方を選んだ。面倒くさくなるのが想像できていて、だ」
「変な深読み禁止。そんなとこまで考えてないって」
 鞄に私物を仕舞い込む。着々と帰り支度を進める更紗に対し、暁登は動かない。パソコンはまだ立ち上がったままだ。「電源落としていい?」
 頷くのを確認してマウスを操作した。暁登は更紗の動向を見守る態だ。言葉を躊躇ってるようにも映る。
「冗談と思ってるだろ。軽いもんな、返しが」
「え、違うの?」
「真剣に言ってる」
 急速に空気が締まる。真摯な眼差しが向けられていた。
「…ごめん」
「お付き合いできませんごめんなさい、のごめん?」
「冗談だと思ってたから笑い飛ばそうとしてた、のごめん」
「冗談だったとしても笑い飛ばすことはないだろ」ぼやく。「それで?」
「それで…」
 口籠る。唐突すぎる。そういう対象として、考えたこともなかった。
「一体いつからなんだ、なんであたしって思うし。正直、男としてみたことない」
 馬鹿正直な更紗の返答に気を悪くするかとも思ったが、嘘偽りを混ぜる不誠実はしたくなかった。
 暁登は軽やかに笑った。
「違いねぇな。それ、俺にとっては心地よかったし」
「心地いい?」
「南さ、俺のことオスとして見ないじゃん。そーゆうの、けっこう重要」
「そーゆうもんなの」
「そーゆうもん」
 かなりもてるっていうのは、なかなか大変なことらしい。実体験が無いので感覚としては捉えられないけれど、これまでの話の端々から苦労は窺えた。
「っていうかね、オスとかって言い方、なんかやなんだけど。さしずめ、あたしはメスしてないのが楽でいいって?」
「まぁ、ぶっちゃけると最初はそれだ。こいつといると楽だなって」
「ぶっちゃけすぎ。で、そんなんだったのに?理解できないよ。判んない。痛手負ってるのを近くで見てたから?」
 恋愛でぐじぐじ悩むタイプだったとは自分でも思っていなかった。弱い部分も見せてきてしまったのだよな、と今更ながらに思う。
「同情とか思ってるか」
「あたし、見てて痛いかな」
「憐れんでねーぞ。一緒にいることが多くなって、会社以外の南を知って、いいとこたくさん持ってる奴だなって。――確かに、楠木のことで悩んで苦しんでるの知ってて、放っておけなかったってのも、あったけど」
「同情も友情も愛情も、全部情ってつくのにね。たったひと文字違うだけなのに、全然違う中身になる」
 初めは、同情だったのかもしれない。無意識のうちに憐れんでいたのかもしれない。性分から、気づいてしまったことに対して無視することができなくて。
 今の暁登にあるものが、果たして彼の言う通りの感情であるかどうかは、更紗には決めることができない。けれど、誠実なことだけは判る。更紗の気持ちを紛らわせる為の方便でないことは、判る。
「俺のこと、いつか好きになってくれればいい。今すぐとは言わない。あいつのこと好きなままでも、今はいい」



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