「あ…っぶねぇな」
「……ごめん」
 手を借りてベンチに座り直す。暁登は落としてしまったレジ袋を拾い上げ、隣に腰を降ろした。
「まだしばらくはかかりそうだな」
「あの、だからね、解散してくれても大丈夫だよ?あたし、あと少し休んだら、ちゃんと帰るから」
「阿呆」
 にべもなく却下される。つい十数分前にも展開された応酬だ。
 食事を終え席を立つ段で、足元にきていると自覚した。これまで、飲酒で多少陽気になることはあれど、歩行にくることは皆無だったので、驚いた。と同時に、可笑しくもあった。
 会計では割り勘もしくは自分が多めに持つと主張する暁登と軽く揉め、当初の約束通りを押し切った。そのまま公共の乗り物に乗るのは悪酔いになりそうな予感があり、少し休んで帰ることにした。どこかの店に入るよりは外気に晒されていた方が気持ちいいと、公園に入っていったのは更紗だ。休めば一人でも帰れると言い張ってみたものの、暁登が許容する筈はなく。
「…申し訳ない」
「何回も謝んなくていいよ。なかなか面白いのが見れたしな。無理しないで、動けそうだったら言って。俺の方は気にすんな」
 ん、と言って袋からミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。「お金」と言って鞄をまさぐろうとすると、「いい。奢り」と悪戯っぽく笑った。キャップを捻り、開け易くした状態で渡してくれる。
「至れり尽くせり」ふ、と笑い声が零れた。
 冷感が喉を通り過ぎていく。水をここまで美味しいと感じたのは初めてだった。躰の内側が一瞬だけ冷えて、火照った全身を、夜気がゆっくりと冷やしていく。
「いい男だろ」
「馬鹿でしょ」
 柔らかな空気感だった。心地いい。この人の隣は、楽だ。
「馬鹿って言うな。英にも言ったろ。あいつ、楽しそうに話してたな」
「もしかしてエム?」
「違うと思うけど」
「いや、そこはちゃんと明確にしとこうよ、英くんの名誉の為に」
 思わず突っ込むと、暁登はくはっと噴き出した。こうした時の笑顔は、実年齢よりも下に映る。作られた完璧な営業スマイルより、よっぽどいい。
「なんの面白い話したんだよ」
「何気ない会話しかした覚えがないんだけど。嶋河くんの弟にしては案外失礼だよね。人に向かって面白いとか言うかな、普通」わざとらしく斜に見てみる。「どことなく高輝に似てるとこあるよね。人懐っこさとか。だから嶋河くんも面倒見よくなってんのかなって、勝手に想像しながら喋ってた」
「…楠木、な」
 トーンの違う声音に、暁登といる時に、気軽に出してはいけない名前だったかと、遅まきながら思う。とはいえ、元来が友達関係にある相手だ。あえて避けるのも違う気がした。そういうのは、暁登も承知の上の筈だ。頭では理解していても、感情は別物の動きをとるものということか。
 自分も存外に、高輝のことを言えないほどには鈍感らしい。
 話題転換を、と考えた隙に、暁登は口を開いた。
「妬いてたよな、あいつ」
「はい?」
 あいつとは、この流れていけば高輝を指している。妬いたとは、更紗に絡むことで高輝がそうなった、と解釈できる。が、どれを指しているのか思い当たらなかった。
 暁登の短文を砕いて思考に投下してみても、やっぱり判らない。
「遊園地行った日だよ。俺と南が抜けて、見つかった時」
 羽交い絞めに近い恰好で抱きついてきた時のことだと、ようやと思い至る。確かに、暁登から距離を離そうとしていた、ととれなくもない。
 真剣な面持ちの暁登には申し訳ないくらいの勢いで噴き出してしまう。
「子供が玩具とられて手足じたばたさせるのと同類だよ、あんなの。妬いてたとしても、嶋河くんが思ってるのとは種類が違う」
 暁登は笑われたことに対してか、捉え方が違うことに対してなのか、不本意そうにしている。
「違わないと、俺はみてるけどな」
 珍しくむきになっている。ふと、思う。確認しておきたいのだろうか。更紗があの行動を、どう捉えたのか。やきもちだと判断していたのだとしたら、それをどう感じたのか。
 相手に本気の想いがあればこそ、気になってしまう部分で。
 梨恵もきっと、そう判断した。だから告白を急いだ。もしかしたら、高輝は自分に好意を寄せてくれてはいないのかもしれない。親友と言って憚らない相手こそが、本命なんじゃないのか、と。
「真面目に言ってるの」
「大真面目。南は、どう思った」
「それを聞いてどうなるの。どうしたいの?」
 高輝に少しでも恋愛感情があってのことだとしたら、暁登にとって喜ばしくない事態ではないか。更紗に気づかせて、どうしようというのだ。気づかせた上で、二人が付き合ってる現実を改めて自覚させて、どうしようというのだ。
 辛くさせたいのか。そして、とっとと諦めてしまえとでも言いたいのか。それとも、高輝にも恋愛感情があるのだから、諦めるなとでも言いたいのか。
「……悪い」
 暁登側の空気が急速に萎んだ。謝罪の言と判断がつくものの、何故なのかが判らない。更紗の言い方が、責めてるように聞こえたのだろうか。
「嶋河くん?」
「悪い、南。違うわ。これは南に言うべきじゃなかった。ごめん」
 よく判らない。猛烈に反省しているのだけは判るけれど。更紗が首を傾げると、痛いところがあるといった風に表情を歪めた。
「むかついたんだよ、楠木に。腹が立って仕方なかった」



[短編掲載中]