そんな素振りが、あっただろうか。あの時はフォローするのに必死で、あまり他には気が廻っていなかった。むかついていたとしても、暁登は短絡的にそう表現していなかった。
 猛省している様がひどく子供っぽく映り、可笑しくなってくる。
「八つ当たり?」
 笑いを堪えながらの突っ込みは、なかなか骨が折れる。
「悪かった」
 暁登も更紗の反応にほっとしつつも、真摯に謝った。
 疑念が沸いた。裏には、本意が隠れているのではないか、と。もしかしたら、暁登自身も意図しなかった、無意識の本意。
 腹が立ったと知ってほしいのは、そこに本気の想いがあるのだと判っててほしくて。――深く深く想っているからこそ。
 一気に熱が上昇する。顔が熱い。自惚れすぎにもほどがある。
「南?」
 顔を手で仰ぎだした更紗を不思議そうに覗き込む。まともに視線を合わせられなくて、逸らした。からかう為の言葉が、僅かにどもる。
「よ…余裕発言かと、思ったよ。諦めないでみれば、みたいな感じの」
 自分の好きな人を想う他の誰かがいても、自分には関係ない。――そんな強さを持つ人間は、はたしてどれくらいの数がいるのだろうか。
「断じて違う。思ったことを言ったまでだ。気を悪くしたなら謝る」
 はっきりと口にするわりに、申し訳なさが滲む物言いだった。
「いっぱい謝ってもらったからいいよ。おなかいっぱい。そこが嶋河くんの間抜けなとこだと思うし」
「実直と言え。しかも、南にだけは間抜けとか言われたくない」
「だよね」
 更紗が笑うと、暁登も安堵した風にして笑った。
 己の間抜けさで、己の恋愛を失った。誰の所為でもない。そこに触れる度、いまだ心は波立つ。けれど、冷静に見据えていられる部分も、少しは増えた。こうやって徐々に、自分の想いに折り合いをつけていくのだろう。
 笑うことができるのが、ゆっくりとでも進んでいけている証拠。
「俺が南を好きだって言ったら、あいつどうするかな」
 まさに実直な物言いと射抜くような強い眼差しに、面映ゆさが込み上げた。下がりかけていた熱が、再び弾ける。
 仕事ではストレートな発言を間々見掛けていたけれど、この類でもはっきりと言える性格なのだと知る。
「相談してもらった、ってまず喜んで、全力で応援する、ってはりきると思う」
 容易く想像がついたのは暁登も同じだったらしい。苦笑して同意した。
「となると、やっぱ勘違いか」
「どうやっても嶋河くんの勘違いだね」
 潔く断言する。万が一にも、勘違いじゃなかったとしても、どうにもならない現実は確かに存在しているのだ。どうにもならないのなら、万が一など無い方がまし。ましというより、そうであってほしいと願っていて、気まぐれに仮説が浮かんだ。思いついたままに、気づいたらするりと、零していた。
「仮にね、勘違いではなかったとして、あたしが頑張ったとしてさ」
 もしもの話をしても、何も変わらない。頭の片隅で囁く声がしたけれど、止められなかった。無言で促してくる暁登の双眸が、ひどくあたたかな空気を出している所為かもしれない。
 これから口にしようとすることを、一瞬だけ想像してしまい、鼻の奥がつんと痛んだ。
「高輝とうまくいったとして、人の想い踏みつけてまで一緒にいられるようになったところで、あたし、幸せだって思えるようになんのかな」
 現況が引っ繰り返るということは、梨恵とは別れるということだ。誰かを傷つけて、心から幸せだと感じることができるのだろうか。
「そうやって考える奴は、幸せにはなれないだろうな」
「だよね。……実際やってのけてさ、幸せを感じられる人間に、あたしはなりたくない」
「ならない」
 暁登は力強く断言する。その力強さに、安心する。
「そう願うよ」
 不意に礼を言いたくなって、飲み込んだ。言われたところで、暁登には何のことだか判らない筈だ。
 暁登は苦笑する。「不器用だよな」
 更紗も負けず苦笑が漏れた。「つくづく思う」
「仕事は押せ押せなのにな」
 何故か嬉しげに茶化してきて、
「余計な言動は控えて下さい」
 更紗は笑って文句を述べておいた。


◇◇◇


 もともとが4人でよく来ていたのだから、想定していなかったこちらに非があるとも言える。抜かった、と後悔した時にはすでに遅し。更紗は己の不用意さをこっそり呪う以外に、とれる方法はなかった。
 はじめは暁登と二人だった。残業上がりで軽くご飯を食べて帰ろうか、といつもの流れで会社ビル近くの、いつもの居酒屋にきていた。平日ど真ん中の曜日でも店内は7割方埋まっていた。接客に近づいてきた顔馴染みの店員は、顔を合わせるなり常連に対する気安さを全開にし、テーブル席でもカウンターでも好きなとこ選んで下さいとふって、他の接客へと移っていった。席まで案内する、なんてことは今ではすっかり無くなった。これくらいの気の遣われなさが気楽でいい。
 残業後といってもまだ早い時間ではあったので、これから混んでくることも予想してカウンター席に座った。料理もつまむ程度の量しか頼まないので、テーブルのスペースも広くは要らない。何より、真正面に座って、を避けたいのが大きかった。そこはさすがに言えないけれど。
 2杯目をオーダーし終えたタイミングで、名前を呼ばれた。否、叫ばれた、の方がきっと正解だ。店内の喧騒が一瞬だけ止まり、声の主を見るべく多々の視線が入口へと注がれていくのが、見渡さなくても気配で伝わる。
 声の主が立つ方角――戸口の方はあえて見ない。そうすることで呼ばれたのが誰かを店内の人たちには知られずに済む、と思いたかった。単なる願望だ。どだい無理なことだと、判ってはいる。
「こっぱずかしいんだけど。シカトしていいかな」
 同意を求めてみるも、半身を捩り入口方面を見ている暁登は嘆息した。
「…まぁ、無理だろうな」
「だよね」



[短編掲載中]