二人が揃って苦笑し、背後からのしっと重みがくる。更紗と暁登の肩に腕が乗った。間に高輝が顔を出す。
「ずるいよ」
 高輝は不満全開だ。仲間外れにされて拗ねる子供そのものだ。
「なにが」
 更紗は振り返りもせず、素っ気なく言い放つ。手にしていたジョッキを持ち上げ、底に残っていたビールを煽った。ぬるくなった炭酸液が、やたらと苦い。
「なんで2人できてんのさ。俺、またみんなで行こうって言ったよね。今日だって夕方に声かけたのに」
 営業部の島へふらふらっとやってきた高輝から、確かに言われた。忙しいふりをして曖昧に濁したのだ。
「せっかく梨恵ちゃんと一緒なんだから、居酒屋じゃなくて少しはこ洒落たお店とか行けば。嶋河くんならいいとこ知ってるよ」
 肩の腕を払い除け、ほんの少しだけ離れて控えめに立っていた梨恵を振り返る。
「あたしがここがいいって言ったの」梨恵は困った風に笑っている。
 ほらね、と高輝は胸をはった。「あっち移動しようよ」空いているテーブル席を指す。
「面倒くさい。てか、2人で飲んでるんだから邪魔しないでくれる」
 とことんぞんざいに言い放つ。めげてくれと祈るばかりだ。梨恵はおろおろとし、暁登は見守る態だ。高輝が「え、」と素っ頓狂なトーンを放った。
「2人でいたいの?もしかして暁登が好きなの?」
 めげるどころか、成程、本当に面白い発想するね。真剣に問うとか、馬鹿じゃないの。脳天にジョッキを振り下ろしてやりたくなる。
「真面目な話してたんだよ。お前の能天気に構ってる気分じゃないってこと」
 判り易いのか単に馬鹿にしてるだけなのか、暁登の注釈は判断がつけられない。ただ、更紗が自身の攻撃的な衝動を抑えるには充分役立った。
「なんだよ、2人して。最近ずっとこんなじゃん。避けてるでしょ。帰る時だってデザイン部のとこ通らない方からオフィス出ていったりしてさぁ」
 再び不満全開。溜めてきた鬱憤をここぞとばかりに吐き出すつもりらしい。それでも今までは我慢してきたんだねと褒めてやるべきか。
 皮肉が掠めた更紗の代わりに、暁登が妙に感心した風に口を開いた。
「意外と鋭いな」
「馬鹿にすんな」
 さすがの高輝にも伝わったらしい。おたおたしていた梨恵が一歩近づいた。
「もし嫌じゃなかったら4人で飲もうよ」
 カウンター席付近で大の大人が喧々囂々していたって何の生産性もない。梨恵に気を遣わせてしまったことを、今更ながらに悔む。
 見つかった時点で、駄々を捏ねたところで無駄と諦めるべきだった。4人が顔を合わせた段階で、別々の席で過ごすとか、露骨に帰るとか、できるわけがないのだ。
 店員の手を借りて使用中の取り皿や料理を運ぶ。更紗たちが店にきてから1時間も経っていたわけではないので、運ぶものもたかが知れてる。面倒くさいを理由にできるほど手間はかからなかった。巧くすり抜ける術を持ち合わせていない不器用さが恨めしい。
 これまでと変わらない席順で座る。追加注文を選ぶ段から、むしろ席についたその瞬間から、高輝の機嫌のよさは過分に漂っていた。4人揃うのは、本当に久しぶりだ。
 高輝と梨恵は、2人きりになると今とは違った空気感になるのだろうか。実際に見掛けたことはなく、想像すらしたくなかった。否応無しに、彼氏彼女の立場となった2人を見て思う。
 恋人ができた途端に友達付き合いが悪くなる友人を幾人も見てきた。女性に多い特性かもしれないけれど、男性には当て嵌まらないとは断じれない。多少なりとも変化はある筈だ。あって当然とも、思う。
 けれど、たぶん、高輝は変わらない。
 不変であることは、ひどく難しい。芯に強さがなければ成り立たない。
 気づいてしまい、呻き声が、落ちそうになる。かろうじて抑え込んだ。すごいと思う。ことが恋愛絡みでなければ、ただ純粋に高輝を尊敬していた。腹立たしさなど、欠片も打たずに。
 自分に無いものを飄々として持ち続ける高輝を、尊敬する。芯の強さに惹かれ、魅了されたのだ。痛いほどに、気づいてしまった。
 楠木高輝は、変わらない。無意識のうちに、やってのけるのだ。芯を強く内側に秘めて、不変であることを。――その強さに、自分は、惹かれた。
 揺れる影に、意識を引き戻される。斜向かいに座る高輝が目一杯伸ばした腕の先を、更紗の顔前で振っていた。
「更紗、平気?もう酔っちゃった?」
 更紗の前髪を掻き分け、ぺたりと掌がおでこに触れてくる。ひんやりとした感触が、火照った思考を冷やしていくようだ。視線が絡む。心配と親しみとが滲む双眸が、真っ直ぐに見つめている。変わらない。きっとずっと高輝は、変わっていかない。更紗を親友と呼び、大切な人だと言う。
 胸に満ちる感傷を懸命に押し留めた。油断してしまえば容易く、涙腺は決壊してしまう。
 ぱしりと音がした。高輝の手を、邪険に叩き払っていた。隣からの梨恵の視線が、刺さる。
「南はビールじゃあんま酔わないよな」
 暁登は何事も無かったかのような口振りだ。いつでも、4人の中で感情が波立たないのは、暁登だ。否、波立ったとしても、巧く覆い隠せる術を知っている。
「あ、うん。全然ってことは無いけどね。悪酔いしたことはないかも」
 助け船にほっとして乗ったのも束の間、口が滑ったと気づいた時には、遅かった。
「この前、初日本酒でけっこう酔っぱらってて、面白かったぞ」
 揶揄感たっぷりに報告する。墓穴掘るとはまさにこのこと。
「そういえば日本酒って飲んでるの見たことないかも。焼酎もワインも大丈夫そうだから何でもいけるくちかなって思ってた。更紗ちゃんってひどく酔ったことってないよね」
 梨恵は前のめりになって興味津々だ。
「醜態晒してないからね」
 言い訳めいた口調になってしまう。だよね、と暁登を見ると片眉をあげてとぼけられた。どちらかと言えば変に絡んだの、そっちじゃないか。言い掛けて呑み込んだ。内容を突っ込まれて問われても、話せるわけがない。
「2人で行ったの」
 トーンの低い疑問が投げられる。むくれたり浮かんだり沈んでみたり、高輝は忙しい。気持ちを巧く覆い隠す術を持ち合わせていない子供と同じだ。そのまんまが表面に出る。
「そうだけど」当然でしょ、という態で返す。「前から気になってたお店あって、嶋河くんに付き合ってもらったの」
「仕事用に使えるかどうかのリサーチでな」暁登が補足する。
「それなら俺らにも声掛けてくれたっていいじゃないか。2人ともずっと忙しいばっかでおかしいよ。全然時間取れないみたいなこと言うくせに」
「ちょっとでも仕事噛んでることだし、別にいいじゃない。あんたいたら落ち着いて食事もできやしない」
 駄目だ。また喧嘩っぽくなってしまう。これでは人のことをとやかく言えたもんじゃない。自分もまだまだ気持ちを巧く覆えていない。仕事みたいに割り切って、機嫌の悪さも辛い気分も、全部奥底に仕舞って表面を作れたなら。
 他の誰かには可能だったとしても、高輝相手にはきっと無理だ。気を許している相手だからこそ、割り切れることはない。
「更紗、変だよ」
「おかしいだの変だの言うな」
 駄目だ。止まらない。運ばれてきたばかりのジョッキを引っ手繰るように持ち、一気飲みほどの勢いで半分くらい煽る。喉を滑り落ちる冷感に、頭の芯がほんのり冷えた。
 冷静になれ、冷静に。



[短編掲載中]