こんな状況になりたくなくて、避けてきた。だから嫌だったんだ、なんて八つ当たりもできないことを思ったところで仕方ない。なってしまったものを、どう打開するかが重要だ。
 とはいえ、すぐさま閃きが起こる筈もなく。僅かに酔いの廻った頭で振り絞っている隙に、高輝が口を開いた。
「付き合ってんの」
「は?」
 思いの外真剣な問い掛けられ、口がぱっかり開いたままになる。
「だから、更紗と暁登、付き合ってんの」
「馬鹿じゃない」
 勘弁してほしい、そういう発想は。もしもそうだと言ったら、どういう反応をするのか。否、想像などするまでもなかった。
「更紗好きな人いないの?ほんとに暁登じゃないの」
 もうどうにでもしてよ。やけっぱちな気分が不意にもたげ、どうでもよくなってくる。喰い下がるのは、自分だけが幸せな状態であることに、協力してくれた者が同様になっていないことに、罪悪感を感じているだけ?自分にとって、南更紗という人間は大切な者だから、恋愛が巧くいってくれればいいとでも願っているの?
「だったら、どうだっていうのよ。応援でもしてくれるの」
 への字にひん曲がっていた口元は、途端に綻ぶ。ほらね、と切ない苦味が胸中に広がった。
 ほらね。やきもちなんかじゃない。
「するよ。するする!断然応援するよ」
「それこそ全力で?」
 喜色満面を見つめながら、捨て鉢な気分に支配されて吐き捨てた。裏も表もない。これが高輝の本心だ。
 高輝は大きく頷いた。「結婚とかしたらさ、暁登だったら知った仲だし」
「飛躍しすぎ」もう笑うしかない。
「南の言ってた通りだな」心なしか、暁登の笑い声も乾いて聞こえた。
「でしょ。うちらのどちらでも、こうなんだよ。まさに、親友だから」
 自虐的な物言いだ。暁登の方に顔を向けられない。必ず気づかれる。ざらついて痛みを伴う心の中身を、見透かされてしまう。懸命に作り出している軽口調だと知られてしまう。あさっての方角に視線をやることもできず、ごまかすようにビールを飲んだ。
 更紗と暁登だけに判る会話についていけない高輝は「なんだよ」と拗ね、梨恵はきょとんとした。
「高輝は判り易いよねって、うちらの中では結論づいてんの。そう思わない、梨恵ちゃん」
 矛先を向けられ、少しだけ回顧し、小さく噴き出した。頷くのを見て、高輝がますます拗ねる。
「で、実際のとこ、どうなの」
 どうと問われて、どう答えろというのか。
 仮に片想いしていたとして、本人がいる前でお願いしますとか言えるものではない。この状態自体がすでに、遠まわしな告白じゃないか。
「高輝には関係無いよね」
「無くないだろ。更紗には助けてもらってばっかだからさ、俺だってお返ししたいよ」
「へぇ。お世話になってる自覚、あるんだ」
 更紗の役に立ちたい。声なき願望が耳に届く。そうやって踏み込んでこようとすればするほど、内側が冷えていく。がちがちに固まってしまえば、揺れなくて済むのに。
 純粋に、役に立ちたいという想いが、重たい。
「からかうなよ。俺にできることない?」
「ある。…なにもしないこと。高輝が動いたら巧くいくものもいかなくなる。むしろもう、仕事以外で話し掛けんな。梨恵ちゃんとの時間、大切にしなよ」
 一体あたしは、自分の心をどこまで抉れば、こんなことから解放されるのか。これが撒いた種への代償とするなら、あまりじゃないか。
 高輝は変わらない。だとしたら、どこまでいっても平行線だ。
「ちゃんと大切にしてるよ。ていうか、別の話だろ。なんで友達でいられなくなるようなこと言うんだよ。絶交でもする気」
 どうしてそんなに必死になるの。やっと叶った恋愛でしょ。友情くらい疎かにしなさいよ。どっちも大事にしようと欲張んな。あんただって器用な人間じゃないでしょう。
 連ねてしまいそうになる本音を、唇を噛み締め堪える。痛みを打ちつけたのは一瞬に留め、鼻白んだ。
「絶交って久々に聞いたんだけど」
 どこかに振ってしまいたい視線は、暁登に向けた。他に逸らす先がない。彼なら確実に気づく。視線などかち合わなくても、気づいている可能性は高い。気づいてほしくない気持ちは、察してくれる筈だ。あさっての方角に振れないのなら、そこ以外に視座を置けないことにも。
 はたして暁登は飄然と同意した。
「俺も。小学以来かもしんない」
 頼りにしていいのだと、言われている気になってしまう。紛れもなく、これは甘えだ。更紗の辛いようにはしないという、甘え。ずるいと判っていても、一度その心地よさを知ってしまえば、ずるずると頼ってしまう。
「茶化さないでよ。俺、真面目だよ」
 むっとしている高輝を、睨み付けた。
「別じゃないよ。判んないの」
 苛立つ更紗に気圧されたか、高輝は身じろぎした。
「な、なにが」
「付き合ってるってのに、あんたが変わらなすぎて、梨恵ちゃんが不安になってること、気づいてないでしょ」
 判り易く驚いて梨恵を見る。梨恵は困惑顔だ。否定はない。自ら言えることではないだけに、言ってもらえたことに安堵しているのかもしれない。
「な、なんで」
 梨恵の表情からそれが真実と知り、高輝は判り易く狼狽えた。
「なんでじゃないよ。どうして判んないの。鈍いにもほどがある」
 きつい言い方が、止められない。責めたいわけじゃないのに。苛立ちを抑えられない自分が、腹立たしい。本気で何も気づいていない高輝が、腹立たしい。こんな自分は、嫌いだ。本気で嫌になる。
「あの、あたしはね、不安とかそーゆうの、大丈夫だから」
 梨恵はおず、と口を開いた。明らかにぶち壊しになった空気の、修正を試みようとたしなめる。喧嘩にならないように、仲違いしないように。
「よくない」梨恵に言うのは間違ってる。でも止められない。沸々とした怒りを止められなくて、制御がきかなかった。「こーゆうことはね、初めが肝心だよ。特に高輝みたいなのには口で言わなきゃ判んないんだから。言ったって判んないこと多いんだから」
 馬鹿だ。己を罵る。お酒の席なんだから適当に笑っていればいいのに。突っかかって雰囲気ぶち壊して、最悪だ。丸投げして、席を立ってしまいたかった。
 唐突に沈黙が落ちた。店内は賑やかさで満ちているのに、4人が座るテーブルだけが静まり返る。気まずい空気は、数秒で終わりを告げた。軽やかな着信音が重たい空気を割く。更紗の携帯電話だ。数回で切れ、メール着信を知らせるランプが点滅している。
『適当にふりして店出ろ』



[短編掲載中]