とんでもない迷惑をかけてしまった。どころの話じゃない。
 意識を失った人間を抱えて、緩やかとはいえ坂道を登るなど、並大抵の体力では不可能に思えた。
 謝って、お礼言って…。
 脳内があたふたし出した華保は、椅子から立って捜しに行こうと動いて、冷静な声に制止をかけられる。
「姉貴。たまには、ってなんだよ。家でも散々こき使ってんじゃねーか」
 不満げに口を尖らせた都の弟が戸口にいた。つかつかと入ってくる。
 捜しに行こうとしていたくせに、実際目の前に現れると何から発していいものか判らなくなる。心臓が無駄に騒ぎ立てていた。
 立ち上がった都に代わりスツールに戻ってきた都の弟は「ほら」と果汁ジュースを差し出す。
「じゃー私は仕事に戻るわね。華保ちゃん、あとでね。ゆっくりでいいから」
 縋るような華保の視線を丸無視し、弟に「後頼んだわよ」と言い置いて、都は出て行ってしまった。
 忙しいから引き止めるわけにはいかないけど。――どうにも気まずい。
 缶を受け取り、礼を述べる。まともに顔が見られなかった。
 無言の時間が落ちる前に、とにかく運んでもらった礼を言わなければ、と口を開きかけて、目が合って咄嗟に逸らしてしまう。
 都と血の繋がりがあるだけあって、綺麗な顔立ちをしていた。細そうに見えるのに、一人の人間を運べるとなれば相当がっちりしているのかもしれない。
 と、相手を観察の上、あれこれ想像していた自分に気づくと、一気に羞恥心が込み上げた。顔の熱が更に上昇する。
「顔赤いな。日射病とかなってねーか?水分補給しといた方がいいかもな。こっちにするか?」
 手にしていた方のスポーツドリンクを差し出してくる。
「あの、こっちで大丈夫…です」
 遠慮なき近距離に座っているので、相手がほんの少し動くだけでも触れそうになる。意識がなかったとはいえ、抱き上げられたことを考えるだけで、逃げ出したくなった。
「そうか?…な、同じ歳なんだからそれ止めてくんない?」
「それ?」
「丁寧語」
「あ…はい」
「はいじゃなくて」
「……うん」
「よし」
 満足げに笑うと、無邪気な子供みたいだった。不意打ちをくらった気分。
 坂道で会った時は苛々させていた所為で無愛想にも見えていたけれど、実際は違うのかもしれない。
「あの、ごめん、ね。迷惑かけちゃって。ありがとう」
 ペコリ、と頭を下げると後頭部に乗せるかのタイミングで溜息を吐かれた。
「ごめんは要らない。迷惑とか思ってないし。それより、」
 すっと手を出されて、疑問符を貼り付けたままそれを見つめる。向きと手の形で握手なのだと遅れて気づく。
「東郷良尚です」
 おず、と中途半端に出された華保の手を握ると軽く上下に振る。細く長く骨張った男らしい指と大きな掌に、すっぽり包まれてしまった。
 握手する習慣などもとよりない人種に産まれていた所為で、どうにもぎこちない受け方になった。
「舞阪華保、です」
「うん、久し振り」


[短編掲載中]