さらりと言い放ち、瞬間静まり返る。それらの顔を一瞥して、良尚は悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。
「なんだよ、冗談かよ」
 輪の中から呆れた声がして、笑いが起こる。いつもの冗談か、と聞こえて、普段からこんなのりのメンバーなのだと知る。
「ふざけろっ、東郷〜!!」
 入沢がむきになって良尚に食って掛かっていく。ふざけ合う二人を、取り囲む小さな集団を、眺めた。その中から、華保を捉える直線的な視線を感じ、瞳がかち合う。
 人間雪崩の中に紛れ込んでいたらしく、入室の時には気づかなかったが、少女がいた。身長は華保と同じくらいだから、周りの少年達が大きいのだろう。
 その少女の双眸からは、好意的なものではなく、恨みが込められた攻撃的なものが感じられた。こちらもまた、初対面な筈なのに、だ。
 あたしって、知らずの内にやらかしてる人間なんだろうか…。
 もともとない自信が今は輪をかけて無くなっているというのに、何を考えても沈む方向にしか回答が出てこない。辛気臭いな、と自嘲したくもなる。
 何にせよ、今のこの空間は、自分がいるべき場面じゃないのだけは明白で。
 足音を立てない静かな動きで戸口に行き、退室を宣言した。そそくさと逃げるように廊下に出る。

 エレベーターホールへと向かう途中にあるナースステーション前で、たまたま聞こえてきた名称に思わず歩みを止めた。見舞い客と、その対応をしていた看護師がカウンターを挟んで話をしていた。ふと顔を上げた看護師は良尚の担当者で、華保にも顔なじみだった。
 看護師につられて華保を見た青年は疑問符を浮かべた。その向こうで看護師は「助かった」と安堵の色を滲ませていて、内心で苦笑する。
 目が合ってしまった以上無視するわけにもいかないのでカウンターへと近づいた。
「東郷くんのお見舞いですか?」
 病棟のこの階まで辿り着けたのだからあとは標識にならって病室を見つけるだけなのに、この人は迷っていたらしい。良尚の名を挙げ、道順を聞いていたところに華保は出くわしていた。
「良尚の知り合いですか?」戸惑いながら華保を見る。
 近づいて正面から見ると、どこかで見たような気がした。
 自信なさげな頼りなさげな雰囲気があって、華保よりは年上に見えるけれど、どうにも子供に接する時の心地になる。
「毎日お見舞いにきているのよね」
 たぶん忙しいのだろう。落ち着き無い感じで看護師は注釈を割り込ませた。
 毎日ばたばたしているのは目の当たりにしていたことなので、みなまで言われるまでもないと判断し、案内役を買って出た。
 急いでセンターに行く必要はなかったし、送り届けるのはそんなに手間なことでもない。
 恐縮する彼を誘導して歩く。ナースステーションから距離にしてそう遠くはなく、病室に学校の友達と思しき人達がきていることを告げたくらいで到着してしまった。
 戸口の一歩手前で立ち止まり、青年は名前の刻まれたプレートを凝視した。辛酸が滲んで、その横顔が、数年前の自分と重なった。
 すでに手遅れとなった時期、センターに華保のネームプレートは掲げられた。ゆっくりと名前をなぞる指先が震えていたのを鮮明に思い出せる。その感触が今も戻ってくるようだった。
「それじゃあ、あたしはここで」
「ありがとう。助かったよ」
 にっこりと微笑んで室内へと踏み込む。ベッドを囲うのは笑顔の群れ。音に気づいた良尚が華保を見つけた。
 目が合ってしまい、誤魔化すように笑顔を作り、手を振った。さっきはちゃんと挨拶しなかったから、不自然ではない。と思う。
 もう一度見舞い客の青年を見上げ、いとまを告げた。
 どうしてこうも、逃げ出す心境にしかならないのか、自分でもはっきりできなくて悔しかった。罪悪感がそうさせるのだろうか。 
 ぺこりとお辞儀をして踵を返そうと動く。
「華保!ちょお待てっ」
 ベッドの上から良尚が叫ぶ。突然の音量に驚いて周囲が口を噤んだ。遅れて、良尚と同方向に視線を送る。
「…っ。……あ、なに?」
 心臓が飛び跳ねたがどうにか持ち直し、平静を装った。
「話あんだ。残れる?」華保から友人達へ移行し「悪ぃんだけど、今日は帰ってもらっていいか?」と言う。
 まだ来たばかりなのに、などと華保が心配するところではないのかもしれないが、気にはなる。申し出をしたのは良尚なのに、邪魔をしてしまったようで申し訳なくなった。
 それはまた、先ほどと変わらぬ一人の鋭い視線の所為もあるのかもしれない。
 予想外にもあっさりとしたもので、入沢の「了解。顔見に来ただけだし、また来るなー」という軽口調に全員が同意を示した。
 廊下側に避けてぞろぞろと出て行く友人達を見送った。通りすぎざまに入沢に「またねー。舞阪さん」と手を振られ、たじろく。
「で。俺は帰らなくていいんだよな?良尚」
 華保と同じように、廊下に出て見送っていた青年は病室内を覗き込んで問う。
 ベッドの上の良尚は緩やかに笑った。
「伊織くんはいてくんなきゃ。きてもらった意味がない」
「だよな」
 華保を先に入室させて、伊織と呼ばれた青年は後に続いた。
 その名前に、引っ掛かりを覚えた。顔といい名前といい、どこかで会っていないだろうか。と首を捻った矢先、あ、と洩らしていた。


[短編掲載中]