傍にいることで、彼の枷になるのなら。
 傍にいたくても、彼の強さを挫くことしかできないのなら。
 さよならしよう。
 自分は必要ないのだから。要らないのなら、傍にはいられない。
 彼を苦しめるだけ。妨げとなるだけ。――そんなのは嫌だから。
 重荷には、なりたくない。


 良尚の転院を翌日に控えた日曜日、華保は身の回り品の片付けを手伝っていた。
 とはいっても、もともとそんなに物を持ち込んではいなかったので、まとめたところでたいした量にはならない。
 秘めた決意を悟られないようにと平静を装い続け、悟られることなく終了に近づいたことで、安堵の息をそっと吐いた。
 ひと通り見回して最終チェックをする。
「今日明日で使うもの以外は全部しまったよね?忘れもの、無さそう?」
「大丈夫だな」
 同様に見回していた良尚は頷いた。「助かった。さんきゅーな」
「詰めとけばいーだろ状態だったもんね。あれじゃ都さんに小言いわれるよ」
 病室に到着した当初を思い出して笑う。ぱんぱんに膨らませた鞄を相手に、未収納で転がっていた雑貨類を詰め込もうと悪戦苦闘しているところだった。
 荷物増やしたつもりはなかったんだけど、と苦く笑う良尚は、代わりに詰めるよとの申し出を最初は断った。とにかく詰め込んだ、というのが露見するのを回避しようとしたからだ。結局はばれたのだけれど。
「うるさいよ」
 だから嫌だったんだ、とぼやく。
 きちんと畳んで鞄に詰めてみれば余裕ができるほどだった。
 何も知らず何も聞いていないのだと、明るく今まで通りに振舞う。逃げでしかないそれを、今日の華保は最重要視していた。
 どうすればいいのか、どうすべきなのか、判らないというのが正直なところで。
「片付けも終了したし、帰るね。明日はこれないけど…」
「いーよ、いーよ。午前中にはここ出るんだし、華保は学校だもんな。姉貴がきてくれるっつーから、大丈夫」
「うん。…ごめんね」
「ストップ!それ、癖になってるって」
「それ、って?」
「謝り癖。気づいてっか?二言目にはごめんって言ってる。要らないって言ったろ。それは間違いだって。気にすんな。これっぽっちも誰かが悪いって思ってないし」
 誰か、には渡仲要も含まれているのだろう。
 事故の直後、華保と都の話を聞いてしまった要は、何度も良尚を訪ねては謝罪をしていったという。その度に良尚は「悪いのは雨であって君じゃない。ついでに言えば、鈍かった俺の責任だ」と屈託無く笑い、「気に病まれると俺も困る。だから、気にすんな」と、都と同じことを言ったらしい。
 こんな言い回しは、良尚の優しさから滲むものだ。被害を受けた者に気を遣わせるほど、酷なこともない。
「ん。じゃあ…帰る、ね」
 納得なんていく筈もなく。かといって、温情を突っ撥ねることはすべきではない。
 逃げるような足取りで出口へと向かう。
 心の内を悟られたら、良尚はきっと怒る。怒って、許し、こちらの気が重くならないよう気遣う。それに甘えるわけにはいかない。
「華保」
 揺れてしまった肩に気づいていなければいい、と願いながら、笑みを貼り付け振り返った。
「またな」
「…明日、気をつけて」
 曖昧に笑んだ。また、とは口にできなかった。
 隠し通そうとする決意――決別が露呈する前に、病室から逃げ出した。
 もう振り返れない。良尚の傍には、戻れない。
 バイバイ…。ごめんね。

 どうか、と願う。
 どうか神様。良尚を救って下さい。


◇◇◇


 制服を着たまま他校の敷地に踏み込むのが勇気のいることだということを、華保は嫌というほど実感させられていた。想像以上だった。
 そういう意味では入沢に尊敬の念を置かずにはいられない。
 心情の上では、これから成そうとする用件も、対面したくない人がいることも、校門のところで引き返す理由には充分成り得たのだけれど。
 これだけは、逃げてはいけないと思うから。
 油断すればすぐにでも踵を返しそうになる足を懸命に前へと運んだ。一点紛れ込んできた他校の制服に注目する視線に素知らぬふりをとり、グラウンドを目指す。
 辿り着いた先に、放課後の活気ある風景が展開された。特に陸上部は大会本選に向けて気合いが漲っている。
 フェンス越しにそれを眺めて、はたと気づく。目的の人物とどうやって接触したものだろうか。初めて訪れた場所で、よもや入沢のようにさも当たり前の顔をして入るわけにはいかない。しかも、対面すれば真っ先に敵意を向けてくる相手がいる場所だ。
 彼女じゃなくても、華保自身が己に、敵意でも憎悪でもぶつけたくなるけれど。
 あまりの無計画さに途方に暮れる。ここは大人しく校門で部活の終了を待つべきか、と考えた時、目的の人物を遠目に捕らえた。
 同時に、目的の人物――入沢も華保を見つけて、驚いた表情を一瞬だけ見せた。
 数名の団子状で歩いていて、校庭へ戻る途中のようだった。周囲に気づかれないように、腰のあたりで手を動かす。移動して、ということらしい。
 その訳は、入沢の背後に続いていたマネージャーの存在が見えたことによって判明する。
 慌てて物陰に入り、集団が去っていくのを見送った。


[短編掲載中]