手に力が入って、繋いだ側から伝わったらしい。催促ととったのか、良尚は華保に視線を合わせて「大学の先輩。陸上部所属」と端的な紹介をする。
 珍しい語調に戸惑いつつも、良尚から視線を剥がし、大学の先輩に向き直る。華やかな笑みは携えられたまま。それが真っ直ぐに自分に向けられているとなると、鼓動のさわさわは止まらない。ほんと、同姓だというのに、この天地ほどの違いはなんなのだ?
 陸上部所属というわりには、肌はぬけるように白い。日焼けを巧く隠している風でもなかった。どうすれば自分を魅力的に見せられるかを熟知した化粧が、厚塗りにならずナチュラルに仕上がっていた。
「陸上部といっても選手じゃないの。サポートする側ね」
 疑問が顔にでも出ていたのだろうか。先回りしての回答だとしたら、驚くと同時に感嘆を覚える。聡くて美人でスタイルがよくて。欠点なんてないのだとしたら、神様は不公平だ。
「関屋です」
 名前に聞き覚えがあった。つい最近聞いた気がするけれど、と思い返そうとしてみるも、自己紹介を返す方を優先させる。
「舞阪です。あの、サポートっていうのは、マネージャーさんとかですか?」
 ヒールを履いているとはいえ、女性では背の高い方に入る。顔を上向きにしなければ目線が合わなかった。
「マネージャーとは、違うわね」
 ついと良尚に視線を流す。同意を求める瞳は、誰をも魅了する引力があった。良尚はその魅力に気づかないのか慣れているのか、気に留めている様子はない。
「セキヤスポーツが管理しているジムを借りてるって話、したろ?彼女のお父さんが会社の社長」
 聞き覚えがある筈だ。
 週の大半を、部活終了後に通っていると聞いていた。本来であれば部外者では利用できない施設なのだが特別に口利きをしてもらっている、と。マシンが充実していて、有難く使用させてもらってるんだ、とも。
 おそらく、彼女が特例を作ってくれた張本人なのだろう。会社の広告塔に良尚を打ち立てたのも、彼女なのかもしれない。
「あのさ、あたし。先向こうに行ってるね」
 空いてる方の手で目当てのコーナーがある方角を指した。
 人と自分を比べるな。そう思ってみても、居心地が悪い。近くにいるだけで周囲の者が色褪せてしまう気がする。自分が対等なくらいの見目であれば、こんな風に感じることもないのだろうけれど。例えば、良尚のように。
「いいよ。一緒に行こう」
 繋いだ手は離されることなく、良尚は先輩に「じゃあ、大学で」と頭を下げた。
「あぁ、そうそう。CMの話、ちゃんと考えておいてね」
 にこやかに言い放つと、返事を待たず踵を返して行ってしまった。残されたのは苦虫を潰したような表情の良尚で。
「CM?」
 初耳だ。入沢でも入手していない情報らしい。
「さすがに勘弁って言ってあるんだけどな」
 苦々しさを、溜息と共に吐き出す。
「芸能人みたい」
「やめてくれっての。有名になってほしくないんだろ?だったら改めて断るだけだ」
「実は迷ってた?」
 澄ました顔で片眉を持ち上げる。否定だと判る所作だけど、有耶無耶に濁す気なのだな、とも判った。


 本の検索機から印刷した案内図と見比べながら棚番号を追いかける。棚上部につけられた番号ばかりを見上げていたので、顔の向きを戻してはじめて、そのスペースにいる人物を確認することになった。
「外岡くん?」
 真剣に本と向き合っていた人物の正面がこちらを向く。声の主が華保だと判ると人当たりのいい笑顔になった。
 外岡とは同じクラスで、比較的一緒にいる時間の長い友人の一人だった。簡潔に互いの紹介を終え、外岡の手元に目線を置いた。
「その本、やっぱり見にきたんだ」
 授業中に先生が力説して薦めていたものだった。理学療法士を目指す一年目は、とにかく知識を豊富に吸収しなければいけない。この本は効率よく手助けになるのだとか。
「これ、なかなかいいよ。ゴリ押ししてただけはある」
 手渡された本を適当にめくるも、斜め読み数秒くらいで良し悪しの判断はできない。
 入学してから仲良くなった友人たちと一緒に勉強することは多々あり、外岡は華保よりも処理判断能力が上だった。彼も薦められるというのなら間違いないと判断できる。
「じゃー、あたしも買おっかな。外岡くんが下調べしててくれて助かったー」
 実は良し悪しの判断を短時間でできるか不安だった、とは口にしない。短時間にしたいのは、良尚と一緒にいる時間をそこに割きたくなかったから、というのも口にしない。
「楽して人を利用したな?」
「人聞き悪いなぁ。言ったことが鵜呑みにされるって信頼されてるんだなー俺って、とかにはとれないの?」
「ま、そーゆうことにしときますか」利用された、など全く思っていない屈託ない笑顔が咲く。「じゃあさ、これ、一緒に使おう?結構値がはるんだ」
 棚に在庫はあるのかな、と捜索し出すタイミングだった。
 普段から感じてはいたけれど、やっぱり外岡は洞察力に優れている。良尚の姉で、華保の憧れの理学療法士である都にも天性で備わっている才だ。羨ましいと思える能力。
 一瞬ののち、言葉の意味を飲み下して裏表紙を確認する。脛齧りの身分では高価と呼んでいい。
「では、折半で」
 数字を見てからの素早い返しに外岡は小さく噴き出すと、本を取り上げた。
「俺が買うよ。その代わり、判んない箇所は解説してくれよ」
「外岡くんが判んないの、あたしにだって判んないって。ね、みんなでお金出して使おうよ」
「それもいいな。後日相談ってことで。とりあえず俺が買っとくな。舞阪はこれからデートだろ?本なんて邪魔なだけだ」
 さらりと言われようと、そのものずばりを正面きって言われると照れ臭い。デートなのー、なんて人前で惚気られるキャラでもないし。
 頷いて外岡の提案を受け入れる。また学校でな、と本をひらひら振って、外岡は歩き出した。が、数歩離れたところで思い出したように振り返る。
「明日、行くんだよな?夜の」
「勿論。行くよ」
「学校から直?俺、他の奴らとそのまんま行くかって話してんだけど、一緒行く?」
「ほんと?うん。その方が助かる。お店に辿り着けるかちょっと不安だったから」
「了解。舞阪って、方向音痴っぽいもんな」
 悪戯っぽく笑い、華保の抗議がぶつけられる前に行ってしまった。背中に舌を出してやろうか、とは思うだけにしておく。人目があるので良尚に恥ずかしい思いさせるのは嫌だ。
「ここの用事は完了したし、出よっか」返事がなく、良尚を見上げた。「……良尚?」
「彼、足が…?」
 外岡の姿が見えなくなっても見送った格好のままで、渋い顔つきになっていた。
「……あぁ、うん。義足なの」
 初めて目にした時、否応なしに共鳴した。仲良くなってすぐに、義足だと教えられた。一般的にハンデと呼称される状態なのに、同じ志を持つ者が近くにいる事実に、励まされている。無謀だと陰口があっても、可能なのだと信じる意思は、以前よりも強い。
「外岡くんは、すごいよ。見習わなきゃなって、思う」
 志というか、心の持ちようというか、自分にはまだまだ足りてないと考えさせられることは度々ある。
 視線をようやと剥がし、良尚の双眸が華保を捉えた。
「明日って?」
「クラスで懇親会やるの。来月に一泊で研修があるんだけど、それまでに慣れておこう、みたいな趣旨みたい。一年生の恒例みたいだよ。研修では交流深めてる暇は無いけど、出される課題を消化するには単独よりグループでやるのがいいらしくて、協力体制とり易いように、って配慮だかなんだか」
 要するに、これからの四年間を仲間と助け合って乗り切んなさい、ということだと華保は解釈していた。
 空気が抜けたような気の無い相槌をして、良尚は手を握り直す。表情を見る限りではいつも通りだけれど、少し違和感がある。怒っているわけではないけれど、といった感じだ。
 先導して前を行く背中を呼ぶ。うん、という声はしたが、ちらりとも顔を向けようとしないのは珍しい。基本良尚は人と話す時、相手の目を見るのだ。
 じっと見つめる視線が刺さったかは不明だけれど、半顔が振り返る。ばつが悪そうにも見えた。
「俺よりも学校の奴らと一緒にいる時間の方が断然多いよな」
「……もしかして、拗ねてる?」
 勝手に口元がにやけてしまう。それを堪えようとしてるから、きっと変顔だ。
「拗ねてない。単なるやきもちだ」
 照れるどころか地声で堂々と断言する姿勢は格好いいのかもしれないけれど、中身はあまり胸をはって言うことでもないのでは?
 ちらほら周囲の目が気になって、華保の方が照れ入ってしまった。


[短編掲載中]